19
モラダは目を細めた。
医務官を派遣する手間を省くため(なおかつ自分が心配で離れたくなかったから)、王宮にグリースを泊め始めて数日になる。
しかし見舞うたびにグリースのベッドの傍にはアマーリヤがいた。
だらしなく椅子に座ってグリースの顔を眺めていたり、起きていながらも眠そうなグリースを知ってか知らずか身振り手振りで自分の活躍を話していたり(何度も同じ話を)、はたまた今みたいに眠っているグリースの邪魔をしないように、床に同じ体勢で寝転んでいることもある。
片時も傍を離れようとしない。
大きな忠犬とはこのことだ。
まったく。
護衛が熟睡するだなんて。
モラダもずっと付き添っていてやりたいのだが、なにせ騎士団の指揮をしなければならない。グリースと同じく頭を負傷したアマーリヤは休養中のため、傍を離れなければならない理由がないのだ。
もやもやする。
自分が不在時の護衛を任せたとはいえ、ふたりの関係性を知っていると、二度と近付かないでくれと命じてしまいたくなる。
そんなことは情けなくてできないが。
モラダはアマーリヤを起こした。
「グリースの診察の時間だ。部屋を出ろ」
アマーリヤは寝ぼけながら、寝癖だらけの頭でとぼとぼと廊下に出た。
しかしそれ以上は離れず、ドアの前で壁に背をつく。またすぐにグリースの傍に戻るつもりなのだ。
もやもやする。
廊下でずるずると床に座り込み、再び眠りについてしまいそうになるアマーリヤを叱る。
「起きろ」
「あ、はい」
目を擦りながら、辛うじて姿勢を正す。
壁に寄りかかりながら、うつらうつらとするアマーリヤはあの日以来ずっと帯剣していた。
「剣はアマーリヤには合わないと思う」
率直に言うと、アマーリヤはようやく顔を上げた。
あからさまに不愉快そうだった。
「どういう意味すか」
「剣の才能がないと言っているのではない。先日の戦い方を見るに、柄が少し長い剣が合うだろう。今の剣の2倍はあったほうがアマーリヤの体にはいい。身長はいくつだ?」
「たしか、192センチす」
モラダより6センチは高い。
武器は特注になるだろう。微調整、試作を繰り返すと、やや時間がかかりすぎるか。
「あともうひとつ別案がある。柄をそのままの長さにするなら、双剣はどうだろうか」
「……双剣?」
「2本の剣を持つ戦い方だ。アマーリヤを見るに、素早く動く体に対して剣が足りないというか、間に合っていない印象を受ける。怪我が完治したら双剣で訓練をしてみるといい。」
「わかりました。やってみます」
それでいて素直だから、グリースから離れてくれと言いにくい。悪い奴ではないと知っているだけに。
本題に移った。
「どうして教会だとわかった?」
「だからあいつらが言ってたって──」
「言っていないと言っている。だから奴らはどうしてバレたのかわからないと嘆いているんだ」
「いや、思いきり言ってたすけど」
「なんの言語で?」
アマーリヤが目をぱちくり。
また瞬き。
どうやら状況を思い返しているらしかった。
ややあった後で、あっという顔に変わった。
「あー……そういえば、グリースから教わった言葉で言ってた気がする」
「どこで使われている言語だ」
「いやー、オレも教わっただけで詳しいことは。どこかの施設で使われてたって言ってたような……?」
どこだっけ、とアマーリヤが考える素振りをする。
「……わかった」
嘘をついた。
奴らは言っていないとは言っていない。
仲間内だけで伝わる言葉で意思の疎通を図っていたと証言している。それは監獄で使われ、収監者たちに大流行し、看守にやりとりを悟らせないために広く用いられた。発端がどこの監獄なのかはわからない。刑期を終えたものが再犯して、さらに違う監獄に収監されて広め、また違う監獄へと広がったせいで大元を辿るのは難しい。
グリースは、なぜその言葉を知っている?
特殊な環境下で、特殊な訓練を積んだ──初めに感じた印象がここで繋がってくる。
「少しグリースとふたりだけで話がしたい。食事をして、風呂に入ってこい。」
「……わかりました」
空腹を感じてはいたのだろう。
アマーリヤはゆっくりとその場を離れた。
医務官が出て行くのを待って、ノックをする。
──頼む。正直に話してくれ。
◇◆
グリースはベッドではなくソファに移っていた。
頬の青黒かったアザは周囲から黄に変色し、唇はまだ腫れ、なによりも目立つのは頭を覆う包帯だ。
緊急であったため、ほとんど麻酔が効かない状態で縫合されたにも関わらず、グリースは叫ばなかった。騎士である大の男さえ叫んで悲鳴を上げて暴れ回り、仲間たちが四肢を押さえつけてやるほどの痛みだ。それでも彼女は拳を握り、歯を食いしばり、猛烈な痛みに耐える姿はどんな慰めも無意味に思えた。
モラダはグリースの隣に腰掛けた。
「痛むか」
「いえ。お気遣いありがとうございます」
傷と包帯だらけの横顔。
縫合のせいで皮膚が引っ張られている。次第に落ち着くだろうが、張り詰めた肌が辛そうに見える。
可哀想に、痛むはずだ。撫でてやりたいのだが、どうにも手が伸びない。
「食事はどうだ。量は」
「少し減らしてください」
「味は」
「問題ありません」
「窓を開けようか」
「お願いします」
立ち上がって、背後にある壁に嵌っている窓を開ける。
風の弱い日だ。
あまり気分転換にはならない。
言わなければならない。
聞かなければならない。
(ああ、嫌だな)
聞きたくない。
聞いてしまったら、壊れてしまうかもしれない。
しかしながら、返答がいかなるものでも騎士団として、王族として知らなければならない。
感情と理性とが戦って、なんとか理性が勝った、
窓枠を掴んで、深呼吸。
背を向けたまま、問うことにした。
「グリースはどこで覚えたんだ」
「なにをですか」
「あの言語だ」
背中でグリースの反応が止まるのを感じた。
モラダは目を閉じて聴取を続けた。
「調べによると、監獄に、ある一定期間収監されていたものの中にあの言語を使うものが多くいるらしい。しかしそれらは収監者同士の暗号のようなもので、一般人に教えてやることはほとんどない。
知っているのは、収監されていた者か。
その関係者ということになる。
……グリース。
君は一体どこであの言葉を知ったんだ」
返事はなかった。
語ってはくれないか。
黙秘を選ぶのか。
どうして──。
「わかっているのでしょう」
はっとして振り返った。
物音もせず、モラダの背後を取った。
グリースは不気味にも無音でモラダの背後に移動していたのだ。
「私がどこにいたのか、もうわかっておられるはずです」
だが、モラダは認めたくなかった。
「なぜ。なぜだ。君は公爵家の娘ではないのか。なんの罪を犯したんだ」
「わかりません。強いていうなら、生まれてきたのが間違いでした」
なんてことを言うんだ。
責めようとしたが、グリースの目は虚空に向けられ、感情がない。そんな彼女をどうして責め立てられようか。
「どこの監獄に収監されていたんだ。この国に女性の監獄なんてない。女性はすぐさま処刑されるか、修道院か、店に売られる。この国は男専用の監獄しか──」
待てよ。
ふと浮かんだ初対面。
刈り上がった髪。
服。
口調。
グリースの、いや、グレンのあの姿は、まさか。
モラダは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
「男として生きてきたのか……!」
気付いてしまった。
彼女のこれまでの人生の辛酸と数々の嘘。
公爵家が紡ぐ辻褄合わせに感じていた違和感が、ここで晴れた気がした。すべて嘘だったのだ。
しかし、通常に収監されたのなら体を捜索することもあるし、風呂では全員が裸にされて女だとすぐにバレてしまうだろう。
女とバレずに過ごすにはどうすべきか。
収監される側では無理だ。自由や融通がなさすぎる。
つまり、わざわざ髪を短くして、体を鍛えて訓練する必要があるのは、収監された側ではない。
監視をするほうなのだ。
彼女は、悪辣な人間を監視していた。
こんな小さな体で。
グリースの力強い眼差しに射抜かれる。
「わかっておられるはずです」
グリースは呪いのようにまたその言葉を繰り返した。
そして、また呪いを告げた。
「婚約を、破棄してください」




