18
教会は外から見ると一見真っ暗で人の気配はない。
屋根が朽ち欠けていて、人が通りかかったとしてもまさか中に誰かがいようとは思わないだろう。
だがよく見てみれば、窓には板で目張りがしてあるうえ、離れたところにひっそりと馬車が待機している。
アマーリヤは馬の腹を蹴った。
もっと早く!
教会の目前に来ると停止を待つことなく馬から飛び降りて、着地しながら回転して衝撃を殺し、少しも止まらずに教会のドアを蹴破った。
「おい! もっと観察してから──」
誰かが言う。
こっちは2人とひと班分の騎士しかいない。なにを観察しろというのだ。奴らがいたら排除する。それだけだ。
他に何が必要だっていうんだ?
観察している間にグリースは──!
飛び込んだ教会の中は暗闇──ではなかった。
窓に目張りされているせいで光は漏れていなかったが、蝋燭を焚いて何人もの男達が円になって酒を飲んでいる。
アマーリヤは奴らの驚きの目による注目を浴びた。
睨み合いは一瞬で終わった。
それがどうした?
全員、ぶっ殺せばいいだけのことだ。
「お前じゃ無理だ、おれたちが!」
また誰かが言う。
けれど、アマーリヤは迷わなかった。
突進し、ひとり目の喉を正確に切り落とす。
群がってくる獣共。
胸を突き、剣を捻る。体内に空気が入るうえ、臓器をさらに損傷して致命傷。
次。
次!
◇◆
モラダは鳥肌が立った。
これが、アマーリヤの実力だ。
これが、アマーリヤの真の背中だ。
ぎこちなさは少しも残っていない。
大きな体と剣が存分にその動きに窮屈さを感じさせずに暴れ狂っている。
これぞ獰猛な百獣の王。
これがアマーリヤだ。
「……あいつ、あんなに強かったか?」
「……いや……。いつもビリだったよな……」
仲間たちが呆然とするのも無理はない。
彼はようやく眠っていた才能を開花させたのだ。
自分の目は間違っていなかった。
「アマーリヤ、奥に進め! ドアがふたつある! 俺は右、お前は左に行け!」
モラダの指示が聞こえているのか、聞こえていないのか。
しかしアマーリヤはスピードを緩めずに左のドアへ向かった。
モラダは右へ。
ドアを蹴破る。
地下への石段が続いている。
奥のほうに僅かな光が見えた。
2、3段降りたところで、けたたましい悲鳴が聞こえた。
悪寒が走った。
グリース!
「アマーリヤ! こっちだ!」
反対側を捜索している相棒に叫ぶ。
残っていた段をすべて飛び降りるのと、踊り場の先にあったドアから大きな男が転がり出てくるのはほとんど同時だった。
両目を押さえながら、断末魔の叫びをあげている。
大量の血の涙。
「ああああ俺の目がぁ」
──この塵屑めが。
モラダは構わずに男を蹴りつけて道を開いた。
中には2人の男が戦意喪失して、血の涙を流しながら尻餅をつき、天を仰いでいる。
ひとりはまだグリースと格闘していた。
グリースに馬乗りになる男は既に片目をやられている。
テーブルの上に組み敷かれたグリースは男に首を片手で絞められ、剣を持つ手は男の腕力によってテーブルに縫い付けられている。自由な手は、だが男の肩にすら届いていない。
グリースの顔は血塗れだ。
だが彼女は諦めていなかった。
男はすでにひとつの視力を奪われ、もはやグリースを金の種ではなく敵としてみなし、本気で殺しにかかっている。
息もまともにできていないはずなのに、グリースは反抗を続けていた。
体をくねらせ、拘束から抜け出た両足を男の太い首に絡み付かせる。脛と膝で太い男の首を圧迫した。
あの細い足で男を絞め殺そうというのだ。
どちらの絞殺が早いかは、一目瞭然である。
モラダは頭に血が上った。
頭の中で雷鳴が轟いた気がした。
◇
いつ、雷が落ちたのか。
モラダにもわからなかった。
気付いたら、グリースの上にいた男は四肢を失って床に胴体だけが転がっている。
なにが起きたのか。
いや、もはや何が起きたのかはどうでもいい。
グリースが咳込んでいるということは、グリースは生きているということだ。
その手には、モラダが贈った短剣が握られている。
何本かの指の爪が捲れ上がっているのが見えた。それほどに強く短剣を握り締めたのだった。
手首にロープの痕が残っている。
そして片手の親指が妙に変色し、腫れている。
──親指を折ります。
頭の中に反芻されるグリースの声。
あんなに愉快だった会話が現実になるとこんなに残酷だなんて。
テーブルの上でまだ起き上がれないグリースに手を貸す。
胸の上に乗っていた男の腕が重い音を立てて床に落ちる。
グリースの細い手首、細い腕、細い肩。
後頭部の傷。
殴られた頬の傷。
切れた唇。
大きく斬られた額の傷。
まだ意志の失われていない強い目。
傷だらけのグリースを見て、モラダはまともに立てなくなって、縋り付くように膝を付いた。
吐きそうだ。
思わず手で口を覆う。
胃の内容物がせり上がってくる。
戦う女が好きだった。
助けられるのを待つのではなく、守られるのを当然と待つのではなく、苦況を打破しようと挑む強い女性が好きだ。
なのに、どうして彼女の傷はこんなに自分が痛むのだろう。
戦ってほしいと、強くいてほしいと思っていたのに、なぜ彼女が傷を負うとは思っていなかったのか。
痛い。
痛くて苦しい。
彼女の傷のすべてが自分の体にもあるみたいに胸が苦しくて耐えられなかった。
グリースの頬を震える手で包む。
熱い。熱があるのかもしれないし、極限まで体を動かしたがゆえの発熱なのかもしれなかった。
思わず口から突いて出た謝罪。
「すまない……ごめん……」
守りたかった。
初めて女性を守りたかったと感じた。
傷を負わせることなく、掌で優しく包む花弁みたいに守ってあげたかった。
なんにも怖い目に合わせず、お腹を抱えて笑う毎日を隣で見つめていたかった。
こんな状況になるなんて、自分の責任だ。
騎士なのに。
騎士なのに。
ぽん、と頭を慰められた。
振り仰ぐと、グリースだった。
不器用そうに、不慣れそうに、遠慮がちに置かれた手が、初めて彼女から警戒心を解かれたようでモラダの感情はぐちゃぐちゃだった。
「グリース!」
そこへ駆け付けたアマーリヤ。
アマーリヤは肩で息をしながらも、静かにグリースに歩み寄ってきた。
モラダは咄嗟に避けてしまっていた。
なぜだか、自分こそ邪魔者に思えたからだ。
アマーリヤはテーブルに腰掛けるグリースの額や爪を見て、拳を戦慄かせている。
怒りに打ち震えているに違いなかった。
きっと憤怒して爆発する──
「すげえじゃん、かっこよ!」
さらに続けて『強いなぁ。さすがだなぁ。』なんて明るく言っている。
(な、なんだ?)
モラダは拍子抜けした。
なぜ、あんなにあっけらかんとしているのだ?
一歩でも半歩でも間違えていればグリースはもはやこの世にいなかったかもしれないのに、どうして呑気でいられるのだろうか。
けれど、グリースはそんな反応も予想していたみたいにいつもどおりの表情で受け止めている。
「うわ。おでこヤバくね? 爪ないし。歯ぜんぶあるのか? 肉食える? 他には? なんもされてねえの?」
「されてない」
「オレが今見えてるところだけ?」
「そう」
質問の意味は、女性が攫われたとなれば確かめたくもなるはずだった。グリースもそれをわかっているらしい。
それを聞いて、モラダもほっと一息ついた。
「なあ! オレさ、今めっちゃ強かった! すごかったんだぜ! 見て! 傷ひとつもねえの! ほら!」
くるくる回ってみせる。後頭部が真っ赤なのをすっかり忘れているらしい。
グリースがふふ、と小さく笑った。
「すごいね」
「なんか、ぐわーーーって力が出て、すんげえ上手く剣を振り回せてた! グリースを守らなきゃって思ったら、オレすげぇんだよ!」
「すごいね」
グリースは眠そうに微睡み始めていた。
緊張が解けて、体が休息を求めているのかもしれない。
モラダは既に馬車と医務官を部下に指示していた。じきに来るだろうが、休ませてやらねばならない。
アマーリヤを止めようとした。
「アマーリヤ、もう──」
「だから、オレ、グリースのことずっと守りてぇ。多分グリースのためなら騎士として強くなれる気がする。超強い。グリースだけ守りたい。
オレ、グリースがいてくれねえと無理っぽい!」
またグリースは小さく笑った。ふふ。
「だから、よかった!
生きててよかった! マジで!」
グリースはまた小さく笑った。ふふ。
ふふ。
最後の笑いは、アマーリヤが笑いながら泣いていたからだった。涙と鼻水と、後頭部からの出血も相まってぐしゃぐしゃになった顔で笑い、泣いている。
あんた、馬鹿だねえ──。
そう呟きながら、ぐらりと倒れ込むグリースをモラダとアマーリヤのふたりが咄嗟に支えた。




