13
アマーリヤとグリースは驚いて振り返った。
モラダは真っ直ぐとアマーリヤを見据えており、グリースにもわかるくらいに明らかに牽制している。
しかし、ここで空気の読めないアマーリヤが悪びれもせずに純粋な疑問を投げ掛けた。
「……え? なんでですか?」
グリースは「この、馬鹿」と項垂れたくなった。
しかもこの純然たる理解不能の顔。はてな?の顔。
「オレが無理言ってここに連れてきたし、一番オレと仲良いし、喋りたいこともあるし、未来の婚約者だし、オレ以外に送るやついます?」
やめろ馬鹿。
睨んでやるが、アマーリヤは素っ頓狂な顔で小首を傾げた。嫌味でもなんでもなく本当にその考えで言葉を発しているのだ。
雰囲気でモラダが怒っているのがわかる。
「俺こそがグリース公女の──グリースの婚約者だ。俺が送る」
沈黙。
少しして、やっと言葉の意味を理解したようだった。
はてなの顔から不愉快へと表情が変わる。
貴族らしからぬ表情の豊かさだ。
「はあ!? どういうことだよ! オレとの約束は!?」
「(うるせえなこの野郎)私もなにがなんだか」
「俺が説明する。執務室に来い」
「オレはグリースに聞いてんすよ!」
「グリースを困らせるな」
「困らせてんのは団長ですよ! グリースは困ったら表情でわかります! オレなら!」
今まさしく腹が立ってんだが。余計なこと言ってねえで黙って今日のところは引き下がれ。
「もう家門同士で約束されたことだ」
「オレたちの愛は!?」
愛なんてねえだろ。
モラダがややむきになって反論する。
「友情だろう」
「それにしたって、だって、静かな山奥か森に移り住んで、一緒に野菜育てようって約束したじゃねえか!」
ぐ、とモラダの喉が鳴った。
グリースの行動に思い当たる節があったようだった。
グリースが宥める。
「アマーリヤ。明日話しましょう。」
「明日なんざ待てるかよ! とにかく馬車の中でまずは説明を──」
「アマーリヤは下がってろ、俺が──」
「3人で参りましょう。これ以上、遅くなっては公爵閣下が心配しますし、私が帰宅したあと、馬車は騎士団とさらに往復するよう伝えますから、その間におふたりでお話すればよろしいのでは?」
モラダはそれが妥協案だと納得したらしかった。
納得しないやつがひとりいたが。ぶつくさぶつくさ、まだ文句を並べている。
ふたりは同時に腕を差し出してきた。
それでもまだアマーリヤはやいのやいの言っている。これが2人きりであったなら、思いつく限りの言葉で怒鳴りまくっているところだ。
これ以上、揉めるのは面倒くさい。
グリースはふたりの腕を取り、ふたりに挟まれる形で廊下を歩いた。
こんな状況が公爵家までずっと続いた。
◇◆
馬車の中でも騒がしさは続いた。
アマーリヤがグリースとの会話を求めたからだ。
なんでだよ。
くそみてえな騎士団を辞めて、ふたりで公爵家を没落させて、のんびり暮らそうって約束したのに。ふたりだけで暮らそうって──約束したのに!
向かいには堅物のクソ上司。
立場では、確実に負ける。
相手は王族だ。
公爵もモラダとの結婚を推し進めるだろう。男爵の四男坊なんて見向きもされないはずだ。
またこの劣等感と疎外感。
ただでさえ貴族社会の最下層であり、四男ともあればほとんど平民扱いだ。
こんな扱いうんざりだ。
なんでだよ。なんでだ。ちくしょう。
「なあ、グリース」
グリースの袖を掴む。
グリースはそれを拒絶さえしなかったが、返事はなかった。
だから駄々をこねる子どもみたいにその袖を揺さぶった。なあグリース!
グリースは目を伏せながら応えた。
「(わかってる。ちゃんと明日説明するから。とにかくこの状況は私も想定外。王族と婚約してたなんて知らない。これ以上は、今はモラダが目の前にいるから無理)」
小声だけれでも強い語気で返ってくる。
「(でも──)」
「(今は無理)」
納得できない。
アマーリヤは断じて納得できなかった。
やっと光明が見えたのだ。
波長の合わない仕事を放り出して逃げて、波長の合う人と穏やかに一生を暮らせるという幸せな未来が、やっと見えたのだ。
なのにそれを目の前で奪われようとしている。
嫌だ。
アマーリヤは袖を掴んだ指の力を緩めることはできなかった。震えてさえいた。怒りと焦りと、負けるであろう現実感と。
ふと気付くと、アマーリヤのその手にグリースが手を乗せてくれた。
「(大丈夫。私は公爵家のためになるようなことは絶対にしない。アマーリヤが望むなら、ふたりで逃げてもいい)」
グリースも最後の一言だけはぐっと指に力を込めて、言葉そのものを肌に突き刺すみたいに言ってくれた。
それが、アマーリヤを安心させた。
そうか、逃げる。ふたりで──。
確かに、それでもいいか。
ようやくアマーリヤは手を離した。
間もなく馬車が止まった。
◇◆
騎士団へ戻る馬車の中、アマーリヤはずっと黙っていた。
大きな体を小さくして、生気を吸い取られたみたいに項垂れている。
モラダは食って掛かるのを必死に抑えていた。
なぜグリースはアマーリヤから掴まれたのに拒絶しなかった?
俺の手は叩き落としたのに?
聞いたこともないあの言葉はなんだ?
どこの言語だ?
ふたりは、本当に想い合っているのか?
出会ったタイミングはほとんど一緒のはずなのに、どうしてここまで差が生まれたのか。
やっと理想の人に会えたのに、その人はもう他の男と過ごそうと決意していた──なんて運命のいたずらなのか。いない、いないと揶揄されていた理想についに出会わせておいて、こんな仕打ちを用意しているとは。
グリースも、アマーリヤには心を開いているように見える。一線を引いていないというか、砕けているというか、取り繕っていないというか。
王族の特権を使えば、男爵家に引けというのは簡単だろう。
しかし、それを使えばグリースは永遠にモラダから去ってしまう気がする。
あの親密さ。
モラダは先まで目の当たりにしたふたりの様子を思い出して唇を噛んだ。
ふと、問うた。
「アマーリヤは、グリースをどう思ってるんだ」
問うと、やっと人形に命が吹き込まれたみたいにアマーリヤが顔を上げた。
才能があるのに、ないと思い込んでいる哀れな騎士。
そして、最大の好敵手。
「どうって言われても……年取っても一緒にぐうたらしてんだろうなって……。今日は外に行くの面倒くせえなぁって愚痴ったら、そうだなぁって、ふたりで寝転がったままなんだろうなぁって……そんな感じっす。」
明確な言葉ではないが、暗にずっと一緒にいる以外の未来を想像していないという意味が含まれている。
グリースがそんなふうに寝転がるイメージが湧かないのに、アマーリヤには容易に思い浮かべられるのは、モラダの知らないふたりの過ごした時間があったからに他ならない。
モラダを天を仰いだ。
手に入れようと躍起になっても、彼女は去るだけだ。
地位を利用しようとはしまい。
真摯にグリースに向き合って、誠実に思い、それでも彼女がアマーリヤを選ぶなら、身を引こう。
それまではアマーリヤと真剣勝負だ。
モラダは決意した。




