第8話:局長を通すな
「これ、私、たぶん、見ちゃいけないやつです」
深夜の解析室で、シキは、端末に向かったまま、震える声で言った。
「でも、見ます。……カイさんが、局長を通すなって言うなら、そういうことだと、思うので」
カイは、ロゼの執務室から持ち出した一枚の書類を、机に置いていた。正確には、持ち出したのではない。ロゼが並べて見せた概要書の一枚を、目に焼き付けて、書きうつしたものだ。そこに記された、国立施設の"予算措置"の欄。
その数字の並びに、シキは、引っかかった。
「療養施設の予算にしては、変なんです。医療品の項目が、少なすぎて。代わりに……"術式資材"と"封印機関の維持"に、お金が、すごく回ってて」
「封印機関」
「はい。封印を、"かける"機関じゃなくて……これ、"解く"ための、機関です」
シキの指が、止まった。
「封印を、解いてるんです。あの施設で。……封印済みの元勇者の力を、もう一度、こじ開けるために」
部屋の空気が、冷えた。
カイは、自分の腰に巻いた封印鎖を、無意識に、握っていた。
封印を解く。それが、どういうことか、カイは誰よりも知っていた。一度封じた力を無理やり引き戻せば、体はそれに耐えられない。ハロルドが、リアムが、あれほど苦しんだ力を、意図的に、もう一度、注ぎ込む。
「賦活剤と、同じだ」カイは、低く言った。「デュランは末端で、暴走を"起こして"いた。ロゼは、封印済みの者の封印を"解いて"、力を引き戻してる。……集めた元勇者を、もう一度、兵器にするために」
「なんで……」シキの声が、掠れた。「せっかく、封印して、静かに暮らせるようになったのに。もう一回、あの苦しみに、戻すなんて」
「兵器は、消耗品だからだ」
カイの声には、感情がなかった。感情を込めれば、抑えが利かなくなると、分かっていた。
「新しく英雄を育てるより、余った英雄を再利用したほうが、安い。……国家にとっては、それだけの話だ」
*
施設の場所は、シキが、予算書の輸送経路から割り出した。
王都の北、旧鉱山の跡地。地図には、何もないことになっている一帯。だが、術式資材の輸送記録は、確かにそこへ向かっていた。
カイとノエルは、夜陰に紛れて、その外縁へ潜り込んだ。
鉄条網の内側に、無機質な施設が建っていた。窓は少なく、煙突からは、青白い光が、時折、漏れている。あれは、火の色ではない。力を、精錬する色だ。
「……あそこに、オーウェンさんが」ノエルが、木彫りの小鳥を、握りしめた。
「まだ、決めつけるな」カイは、双眼の魔道具を覗いた。「確認する」
施設の一角、格子の嵌まった窓の向こうに、人影があった。
カイは、目を凝らした。
オーウェンだった。だが、療養院の日向で木を削っていた、あの穏やかな男ではなかった。椅子に拘束され、腕に、いくつもの管を刺されている。その体からは、あの白い紋様が、途切れ途切れに、にじみ出していた。
封印されたはずの力が、無理やり、引き戻されつつあった。
「オーウェン、さん……」
ノエルの声が、震えた。
男の顔は、苦痛に歪んでいた。かつて一度、あの力に苦しめられ、ようやく解放されたはずの男が、今、もう一度、同じ地獄へ、意図的に、落とされている。木彫りの小鳥を彫っていた指が、拘束具の中で、ひくひくと痙攣していた。
「……戻す」カイは、双眼を下ろした。「明日、ロゼがまた療養院へ行く前に、あの施設を、止める」
「二人で、ですか」ノエルが、顔を上げた。「局に、応援を」
「呼べば、局長に伝わる。局長に伝われば、"待て"と言われる。待てば、オーウェンは、兵器になる」カイは、立ち上がった。「間に合わせる。今度は、間に合わせる」
ノエルは、その横顔を見た。いつも冷たく、感情を殺しているこの先輩が、今、たしかに、怒っていた。声も表情も変わらないまま、その奥で、静かに、燃えていた。
「先輩」ノエルは、木彫りの小鳥を、そっと、胸に収めた。「私、リアムさんの時、何も、できませんでした。でも、オーウェンさんは……まだ、間に合うなら」
「ああ」
「救います。今度こそ」
カイは、答える代わりに、封印鎖の環を、一つ、確かめた。
これは、力を封じる鎖だ。だが今夜だけは――誰かの封印を、無理やりこじ開けようとする、その術式を、断ち切るために使う。
鎖の役目が、逆さまになる夜だった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
封印を「解く」――一度救われた英雄を、もう一度、苦しみと力の中へ突き落とす。それが「合法な悪」の正体でした。カイとノエルは、たった二人で、それを止めに向かいます。
次話、第二章の山場。今度こそ「救えた」と言えるのか。封印鎖が、封印を破壊する術式に牙を剥きます。
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