第7話:令状という名の壁
監督官ロゼ・ファルケの執務室は、書類の城だった。
壁一面の棚に、隙間なく綴じられた記録。机の上にも、決裁を待つ紙束が、几帳面に積まれている。彼女はその中央で、カイとノエルを前に、湯気の立つ茶を、一口だけ飲んだ。
「執行官殿が、わざわざ役所まで。……オーウェン・ラストの件ですね」
「六人だ」カイは、単刀直入に切り出した。「今月、あんたが接収した封印済み元勇者は、六人。全員、療養院で静かに暮らしていた者たちだ。国立施設で何をする」
「療養です」
「療養?」
「より専門的な、経過観察と療養。それ以上でも、以下でもありません」ロゼは、書類挟みを開いた。「必要なら、プログラムの概要書をお渡しします。予算措置、施設要件、受け入れ体制。すべて、議会の承認を経た、正規の事業です」
彼女は、一枚一枚、書類を机に並べていく。どれも、非の打ちどころのない書式だった。
カイは、その一枚を手に取った。
「賦活剤の投与記録は、どこにある」
ロゼの指が、ほんの一瞬、止まった。
「……何の話でしょう」
「デュランという錬金術師を、先日、摘発した。暴走を人工的に起こす賦活剤を売っていた男だ。その帳簿に、"お上の仕事"という言葉があった。あんたの言う"療養"と、同じ紋章の書類が、暴走した元勇者の遺品から出てきた」
「存じません」
ロゼは、湯気の向こうで、静かに答えた。
「一介の犯罪者が、自分の悪事を大きく見せるために、国家の名を騙ることは、よくあります。その男の妄言を、私どもの正規事業と結びつけられても、困りますね」
「オーウェンさんは、行きたくないと言ってました」
ノエルが、机に手をついた。
「力もない、ただ穏やかに暮らしたいだけの人を、本人の意思も聞かずに連れていく。それの、どこが療養ですか。あの人は、孫に木彫りを渡したいって、それだけを――」
「オルグレン執行官」
ロゼが、初めて、ノエルの名を呼んだ。彼女の襟章を、正確に読んでいた。
「あなたは、若い。だから、教えておきます。……国家というのは、感情で動くと、必ず、より多くの人を殺します。一人を救う情に流されて、百の秩序を崩す。それが、いちばん恐ろしい」
「私は――」
「彼らは、封印処置を受けた元勇者です。かつて、力で街を壊しかけた者たちだ。その者たちの管理を、国家が引き受ける。何の問題が?」
ノエルは、言葉に詰まった。
ロゼの言うことは、一つ一つが、正しかった。正しい書式で、正しい手続きで、正しい理屈で。だからこそ、そこに何かが決定的に欠けていることを、うまく、言葉にできなかった。
「話は、以上でしょうか」
ロゼは、茶を置いた。
「私は、私の仕事をしているだけです。……執行官殿。あなたも、そうでしょう?」
*
局へ戻ると、カイは、まっすぐ局長室へ向かった。
ヴェルナーは、報告を、黙って聞いていた。デュランの帳簿。ロゼの接収。同じ紋章。封印済み元勇者が、国家事業の名で、集められていること。
聞き終えて、局長は、長く、息を吐いた。
「カイ。あの時、言ったはずだ。"お役所"の名を追うのは、待て、と」
「六人が、消えました」
「消えてはいない。国家の管理下にある。書類の上ではな」
「局長」カイは、声を低くした。「あなたは、知っていたんですか。この計画を」
ヴェルナーの眼が、鋭くなった。だが、その奥にあるものは、やはり、読めなかった。怒りなのか。後ろめたさなのか。それとも、諦めなのか。
「……執行局は、国家の機関だ」局長は、窓の外へ目をやった。「その国家が、勇者を再び使おうとしているなら、我々に、それを止める"権限"はない。分かるか。我々は、国家が壊せと言った英雄を壊す道具だ。国家そのものには、手が届かん」
「では、見過ごせと」
「私は、この局を潰さないために言っている」ヴェルナーは、振り返らなかった。「お前が一人で突っ込めば、執行局ごと、潰される。そうなれば、次に暴走する英雄を、誰が止める。……大局を見ろ、カイ」
カイは、しばらく、局長の背を見ていた。
この上司が、味方なのか。計画を知りながら、局を守るために蓋をしているのか。あるいは、局を守ると言いながら、もっと別の何かを庇っているのか。灰色の霧は、今日も、晴れなかった。
「……分かりました」
カイは、一礼して、局長室を出た。
分かった、とは言った。見過ごす、とは言っていない。
廊下で、解析室のほうへ足を向けながら、カイは、一つだけ、腹を決めていた。局長を通していては、間に合わない。ならば、通さない。
オーウェンが握らせた木彫りの小鳥は、まだ、ノエルの手の中にあった。孫に渡す、と約束した男は、もう、どこにいるかも分からない。
その約束を、果たせる時間が、どれだけ残っているか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
暴力なら封印鎖で止められる。けれど、令状と制度で武装した悪は、鎖では斬れません。そして局長ヴェルナーは、味方とも敵ともつかない灰色のまま。
次話、カイはついに局を通さず、シキと二人で"合法な悪"の裏側へ踏み込みます。封印を、こじ開ける者たちのもとへ。
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