第41話:三日間
王都中央広場に、柵が組まれていた。二重の木柵。その外側に、観覧の桟敷。石畳には、白い線で、円が引かれている。直径、十歩。
「……見世物ですね」
ノエルが、低く言った。
「そうだ」カイは、円を、見ていた。「見世物にしないと、誰も見ない。見られないものは、無かったことになる」
*
「断ることも、できた」
局長室で、ヴェルナーは、そう言った。
「断れば、あの案は、二度と審議に載らん。金は軍務省しか出さん。……受けたのは、私だ。文句は、私に言え」
「文句は、ありません」ノエルが言った。「ただ、確認させてください。もし失敗したら、どうなりますか」
「制度の案は、廃案だ」
「ダリオさんは」
「予防措置の対象になる」ヴェルナーは、平らな声で言った。「公衆の面前で暴走した元勇者だ。回収を止める理屈が、なくなる」
ノエルの手が、書類の上で、握られた。
「局長」カイが、言った。「あんたは、どっちに賭けてる」
ヴェルナーは、しばらく、答えなかった。
「私は、執行局を守る」
いつかと、同じ言葉だった。
「その局が、封じるだけの局から、止めさせる局になれるなら、その方が長く保つ。……賭けているのは、そこだ。お前たちの善意ではない」
「充分だ」
カイは、そう言って、部屋を出た。
*
ダリオを、王都へ移した。
実演まで、三日。
局の裏庭に、白い円を、同じ大きさで引いた。ダリオは、その中に、立った。
「……まず、何をすれば」
「手順書、読み上げます」ノエルが、束を掲げた。「第二版です。前より、厚くなりました」
「厚いのか」
「六十二枚あります」
「六十二」ダリオの顔が、引きつった。「……俺、字は、読めるが、そんなには」
「大丈夫です、暗記するのは三枚だけです。残りは根拠です」
「根拠、いるのか」
「いります!」ノエルは、胸を張った。「根拠のない手順は、条文になりません」
ダリオが、カイを、見た。助けを求める目だった。カイは、目をそらした。
一日目。ダリオは、手順を、三度、噛んだ。
「息を、吐き切ってから……吸って」
「吸うな」
「吸うな、だったか」
「吸ったら、力が上がる」
「……なんで、深呼吸って、そういうものじゃないのか」
「深呼吸じゃない」
二日目。ダリオは、暗唱できるようになった。だが、腕に力が回り始めた途端、全部、飛んだ。
三度目に飛んだあと、彼は、円の中に座り込んだ。
「無理だ」
「まだ二日目です」
「三ヶ月やって、できなかったんだぞ、俺は」
「三ヶ月、ひとりでしたよね」
ノエルは、円の中に、入った。手順書を、脇に置いて、しゃがんだ。
「今、ひとりですか」
ダリオは、顔を上げた。
柵の外に、シキがいた。端末を三つ提げて、こちらを見ないようにしながら、数値だけを、律儀に読み上げている。
その隣で、村から来た守備隊の男が二人、帽子を脱いで立っていた。村長が、彼らに、頼んで寄越したのだった。
「……ひとりじゃ、ないな」
「はい」
*
三日目の朝、カイは、円の中で、ダリオと二人になった。
「一つ、直す」
「何を」
「手順書の、順番だ」カイは、言った。「一番目に書いてあることが、違う」
ノエルが、柵の外で、身を乗り出した。
「一番目は、『息を吐き切る』です!」
「二番目に落とせ」
「じゃあ、一番目は何ですか」
カイは、しばらく、黙っていた。あの検査場の夜、渦の底で、自分が何を見ていたのかを、思い出していた。
――解き放て。
――解かないで。
二つの声が、両側から来ていた。ジルドの声は、遠かった。もう一つの声は、近かった。手が届く距離にいる者の、声だった。自分は、あの時、あの近さを、選んだのだ。
止まると決めたのではない。戻る先を、選んだ。
「一番目は」
カイは、言った。
「『止まったあと、誰が引き受けるかを、先に決めておく』だ」
ダリオが、瞬きをした。
「……引き受ける?」
「あんたが村で止まれなかったのは、止めかたを知らなかったからじゃない。止まった次の日に、村が死ぬからだ」カイは、言った。「止まるってのは、手を離すことだ。手を離すには、誰かが下で受けてないといけない」
「……あの村には、守備隊が入った」
「そうだ。あれが、一番目だった。順番が、逆だったんだ」
ダリオは、自分の腕を、見た。白い線が、皮膚の下で、静かに脈打っている。
「……じゃあ、明日、あの円の中で、俺が止まったら」
「俺が、引き受ける」
カイは、言った。
「暴れても、封じない」
ダリオの顔が、変わった。
「封じてくれ」
「封じない」
「執行官さん」ダリオの声が、震えた。「頼む。暴れたら、封じてくれ。俺は、あんたが来てくれるから、あそこまで持ったんだ。誰かが最後に止めてくれると思ってたから、止まってこられた」
「知ってる」
カイは、言った。
「だから、やめる」
「……なんで」
「俺がいる場所でしか止まれないなら、俺が行けなかった村では、誰も止まれない」
風が、裏庭を、抜けた。
「あんたが明日止まれば、それは、俺の腕の話じゃなくなる。手順の話になる。手順なら、写せる。馬車で三日の村にも、送れる」
ダリオは、長い間、動かなかった。それから、震える手を、自分で、握った。
「……六十二枚、読むか」
「三枚でいいです!」
柵の外から、ノエルが叫んだ。
*
その夜、シキが、局の卓に、小さな硝子瓶を置いた。
中に、灰色の砂が、ひとつまみ。
「あっ、えっと、カイさん。広場の、土です。円の内側の」
「何が出た」
「賦活剤です」シキの声は、震えていた。「微量です。すごく。飲む量じゃありません。……土に、練り込んであります。円の、内側だけに」
ノエルが、息を、呑んだ。
「土に……? 飲まないのに、効くんですか」
「効きません。普通は」シキは、端末を、見た。「でも、暴走が始まってからなら、効きます。噴き出した力に、下から、油を差すみたいに。……止まりかけたところを、押し戻せます」
カイは、瓶を、指で、転がした。
実演は、明日の正午。
誰かが、この円を、あらかじめ、失敗するように、作っていた。
手順書の枚数が話ごとに増えているのは、書きながら数えているからです。六十二枚が六十三枚になるのは、押し戻された時にどうするかを足した分。この物語で人を救っているのは鎖ではなく、こういう一枚です。ノエルが叩きつけるように机へ置く音が、私はいちばん好きかもしれません。
次話、円の内側の土に仕込みを見つけたのは、氷の監督官でした。




