第39話:あなたが書いた条文です
確定審議の朝、ノエルは、三日ぶんの寝不足を、化粧で隠さなかった。
「隠したら、三日読んだことが、伝わりませんから」
そう言って、彼女は審議室に入った。
*
「順位表を、確定します」
ハウゼル・クリーグは、いつもの席にいた。手元の書類には、やはり、書き込みが一つも、なかった。
「異議のある者は」
「あります」
ノエルが、立った。
「勇者刑執行局・執行官、ノエル・オルグレン。第四条別紙、暴走適性審査の配点表に、異議を申し立てます」
「理由を」
「配点表が、第四条の定義に、反しているからです」
法官たちの顔が、上がった。
「オルグレン執行官」ハウゼルの声は、変わらなかった。「第四条は、私が書きました」
「はい」ノエルは、頷いた。「だから、申し上げています」
ノエルは、条文の写しを、掲げた。頁の端は、擦り切れていた。
「第四条。『指導対象者の選定にあたっては、別に定める暴走適性審査の結果に基づき、順位を付するものとする』。……この『適性』の語は、第一条第二項で、定義されています。読み上げます」
彼女は、息を、吸った。
「『適性とは、自制指導により、当該対象者が自らの意志で暴走を停止しうるに至る見込みの度合いをいう』」
羽根ペンの音が、一つ残らず、止んだ。
「定義したのは、あなたです、クリーグ次席法官。私の原案には、この一文はありませんでした。あなたが、書き足しました」
「そのとおりです」
「では、伺います。配点表は、残存出力が高いほど、点を高くしています。……残存出力が高い人ほど、自分の意志で止まれる見込みが、高いのですか」
ハウゼルは、答えなかった。
「解析官の記録を、提出します」
ノエルが、書板を、机に置いた。シキの字が、びっしり、並んでいた。
「執行局が立ち会った暴走事案、三年分。四百十二件です。残存出力の等級ごとに、説得が届いた割合を、出しました。……出力が高い等級ほど、届いていません。等級四で、七分。等級一で、三割八分」
法官の一人が、書板を、引き寄せた。灰色の髪の男は、動かなかった。
「先月、辺境で折れた男は、出力等級四でした。三ヶ月ひとりで止まり続けて、それでも、折れました」ノエルの声が、一度だけ、揺れた。「その二日前に、王都で説得が届いた元勇者は、等級一でした」
彼女は、顔を上げた。
「配点表は、『止まれる見込み』の高い順ではありません。逆です。……この表は、あなたの定義した『適性』を、測っていません」
*
沈黙が、長かった。やがて、ハウゼルが、書類を、揃えた。かさ、と乾いた音がした。
「知っていました」
ノエルの息が、止まった。
「配点の係数が、指導の見込みを測るものでないことは、承知していました」ハウゼルは、平然と言った。「私が差配し、私が別紙として添えました」
「……なぜ、ですか」
「予算です」
彼は、初めて、少しだけ、声に力を入れた。
「オルグレン執行官。あなたの三点は、良い案です。私は本気でそう思っています。ですが、あの案には、金がかかる。三千人を指導し、その間の生活を保障する。法制院に、その財源はありません」
「だから」
「軍務省が、出すと言いました」ハウゼルは、言った。「条件は一つ。名簿を、軍務省が閲覧できる形にすること。……第四条は、そのための条文です」
「あなたは」ノエルの声が、掠れた。「あなたは、私の案を通すために、名簿を、売ったんですか」
「通すために、です」
ハウゼルは、頷いた。
「三点のうち、二点は、そのまま条文になりました。執行の保留も、手順の法定も、あなたが書いたとおりに残っています。……代わりに、順序を、彼らに決めさせた。それだけです」
「それだけ、じゃありません」
「では、あなたの案は、金なしで、どうやって動きますか」
*
カイは、ノエルの横顔を、見ていた。三日前、この娘は「法の中で勝ちます」と言った。だが今、彼女の前に置かれているのは、勝ち負けではなかった。取引だった。第四条を残せば制度は動く。削れば、制度は死ぬ。
ノエルは、条文の写しを、机に、置いた。
「……クリーグ次席法官」
「はい」
「私は、通らなくていいです」
部屋の空気が、動いた。
「並べ替えるだけの制度なら、無い方が、ましです」ノエルは、言った。「順位表は、誰を先に救うかを決める表じゃありません。誰を先に持っていくかを決める表です。それが動き出したら、私たちが救うたびに、名簿が更新されます。……私は、そんな仕事の、手伝いはしません」
「制度が無ければ、誰も救われません」
「制度が無かった三年間に、うちの局は、四百十二件、立ち会いました」ノエルは、真っ直ぐ、彼を見た。「そのうち百六十件は、救えています。ゼロじゃありません。……ゼロじゃないところから、また、積みます」
ハウゼルは、しばらく、彼女を見ていた。
それから、書類を、閉じた。
「第四条別紙は、第一条第二項の定義に反します。無効です」
法官たちが、顔を見合わせた。
「配点表は、廃棄。順位表の確定は、取り消し。……以上を、記録してください」
書記の筆が、走った。
「クリーグ次席法官」中央の法官が、低く言った。「別紙の差配は、あなたの独断ですか」
「私の独断です」
ハウゼルは、答えた。
「軍務省との折衝も、私が、単独で行いました。記録は、私の執務室にあります。すべて、残してあります」
*
審議室を出る時、ハウゼルは、ノエルの前で、一度だけ、足を止めた。
「オルグレン執行官」
「……はい」
「私は、順序をつけるのが制度だと、今も思っています」
彼の声には、悔いも、恨みも、なかった。
「ですが、私が書いた定義に合わない順序は、順序ではない。ただの、並べ替えです。……それを、私は、自分で書いておきながら、見落としました」
彼は、書類の束を、抱え直した。
「良い仕事でした」
そう言って、彼は、回廊を歩いていった。三日後、法制院は、次席法官ハウゼル・クリーグの罷免を、公示した。
この作品で封印鎖を使わない決着を一度やってみたくて、第8アークを法廷の側に寄せました。鎖は相手の力を封じますが、条文は相手の正しさを封じます。ハウゼルが最後に折れたのは、追い詰められたからではなく、自分の書いた定義に負けたからです。あの人にはそれで充分な負け方でした。
次話、廃棄されたはずの名簿が動き出します。
ノエルの初勝利にご祝儀をいただけるなら、ブックマークか評価をひとつ。彼女は書類を胸に抱えて喜びます。




