第32話:居場所を売る男
ヴェルド村から、東へ半日。
宿場町ロウブリッジの広場に、その荷馬車は、停まっていた。
幌には、麦の穂を丸で囲んだ印。瓶の底の刻印と、同じものだった。
荷台の前に、男が七人、並んでいた。並び方に、規律があった。かつて隊列を組んだ者の並び方だ、とカイは思った。
「はい、順番に。慌てなくていい」
荷台の上の男が、瓶を配っていた。三十半ば。日に焼けて、袖をまくり、笑っている。商人の笑い方ではなかった。もっと近い。近所の男の笑い方だった。
「ゲイル、あんた先月より顔色いいな。よし。……マルダ、飲む量、増やしてないか? 増やすなよ。減るのが早くなる」
「ヴィトさん」列の男が、頭を下げた。「先月の護衛の分、まだ半分しか」
「いいっていいって。稼いでから返せ。俺は、待つのが仕事みたいなもんだ」
ノエルの手が、書類の束を、握りつぶしそうになっていた。
*
「ヴィト・サーレン」
カイが名を呼ぶと、男は荷台の上から、意外そうに、こちらを見た。それから、ああ、という顔をした。黒服と、腰の鎖を見て。
「執行官さんか。ずいぶん遠くまでご苦労さんだね」
男は、逃げなかった。荷台から、降りてきた。瓶を一本、手に持ったまま。
「賦活剤だな」
「そう」
あっさり、頷いた。
「あんた、これを、元勇者に配ってる」
「配ってない。売ってる。掛けでな」ヴィトは笑った。「配ってたら、俺が飢える」
「暴走を、生む薬だ」
「暴走を生むのは、力だろ。俺が売ってるのは、力が抜けていく体に、しばらく力を留めとく薬だよ。……執行官さん、この七人が、なんでここに並んでるか、聞いた?」
「聞く気はない」
「聞けよ」
ヴィトの声から、笑いが、少し抜けた。
「魔王が死んで、十年だ。国は勇者に勲章をやって、それで終わりにした。等級の登録はさせる。暴れたらあんたらが来る。だが、その間に飯を食う方法は、誰も教えてくれない。剣しか持ってない男が、剣を振らずに、どう生きる?」
列の一人が、口を開いた。歳のいった男だった。
「ヴィトさんが、仕事をくれるんだ。隊商の護衛。鉱山の獣払い。……力が落ちて、断られるようになった俺らに」
「そのために、薬を飲ませてる」カイが言った。
「飲まなきゃ雇ってもらえないんだ!」
男が、叫んだ。カイに向かって、ではなかった。ノエルに向かって、でもなかった。誰にでもない場所に向かって、叫んでいた。
*
「……あなたは」
ノエルが、一歩、出た。声が、震えていた。
「あなたは、この人たちが、どうなるか、知ってますよね」
「知ってるよ」
ヴィトは、認めた。それが、いちばん、たちが悪かった。
「何人か、飛んだ。暴れて、あんたらに封印された。……そりゃ、寝覚めは悪いさ。でもな、お嬢さん。俺が薬をやめたら、この七人は、来月、飢える。飢えてから暴れるか、稼いでから暴れるか。どっちがましだ?」
「どっちも、ましじゃありません!」
「じゃあ三つ目を出せよ」
ヴィトが、初めて、真顔になった。
「執行局はな、封印して、療養院に放り込んで、それで終わりだ。そのあと誰が飯を食わせる? ……俺だよ。あんたらが手を離した後を、拾ってるのは、俺だ」
ノエルの唇が、動いた。言葉は、出てこなかった。
カイは、それを、黙って見ていた。
この男の言うことは、半分、正しい。半分正しい人間は、まるごと間違っている人間より、ずっと、憎い。
*
『あっ、えっと、カイさん。解析、出ました』
宿の二階で、シキの声が、無線に、詰まった。
「言え」
『この賦活剤の術式……デュランのです』
カイの指が、卓を、叩くのを、止めた。
『正確には、デュランの傑作を、崩したものです。純度を三十分の一まで落として、量を作れるようにしてます。……あの、術式って、書いた人の癖が残るんです。線の入れ方とか、順番とか。癖が、同じです。同じ人か、同じ人に教わった人が、書いてます』
「デュランは、封じた」
『はい。だから、教わった人の方だと、思います』
カイは、窓の外を見た。広場の荷馬車に、明かりが灯っていた。ヴィトが、荷を、片づけている。歌など、口ずさみながら。
師は、英雄が壊れる過程を、美しいと言った。弟子は、英雄に、居場所を売っている。
「ノエル」
「……はい」
「あいつを、憎めるか」
ノエルは、しばらく黙っていた。それから、絞り出すように、言った。
「憎めます。……憎めますけど、あの人が悪いだけなら、こんなに、苦しくないです」
*
夜半、カイは、荷馬車の帳簿を見た。ヴィト本人が、見せた。隠す物はない、と言って。ダリオと、同じ言葉だった。
仕入れ。売り。掛け。几帳面な字だった。
最後の頁に、売りとは別の欄が、あった。
『引き取り』——日付と、名前と、金額。
名前は、七つ。どれも、この半年で、暴走して消えた元勇者のものだった。
金額は、薬の売り値より、桁が、二つ、大きかった。
「……ヴィト」カイは、帳簿を、閉じた。「あんた、暴れた奴を、誰に売った」
ヴィトは、答えなかった。
初めて、その顔から、近所の男の笑いが、消えていた。
ヴィトを書いていて厄介だったのは、彼に嘘をつかせられないことでした。デュランは「壊れる過程が美しい」と言えばそれで悪党になりますが、ヴィトは事実しか言いません。国は元勇者に飯を食わせない。彼は食わせている。ここまでは本当です。嘘は、その先を数えている帳簿の方にあります。
次話、カイがダリオに「止まりかた」を教えようとして、自分がそれを言葉にできないことに気づきます。




