第24話:ふたりの英雄殺し
暴走した元勇者が、記録の墓場の天井を、砕いた。
制御された力は、荒々しく、不安定だった。噴き上がる紋様が、壁の観測図を、なぎ倒していく。十年前の、エルシャの記録が、青白い光の中で、崩れ落ちた。
「カイ、右へ!」ジルドが、叫んだ。
カイは、地を、蹴った。ジルドの魔杖から、淡い光の網が、放たれる。暴走勇者の力を、包み、勢いを、殺す。だが、鎮めきれない。制御術式が、彼の力を、外から、煽り続けていた。
「シキ!」カイは、無線に、告げた。「こいつの首にも、青い印だ。要の環は」
『は、はい! 首の、右! カレンさんと、同じ位置です! ……でも、暴走してる相手に、あの精密な一撃は――』
「ジルドが、動きを、止める」カイは、封印鎖を、握った。「俺が、断つ」
ジルドの光の網が、暴走勇者を、一瞬、宙で、縫い留めた。ほんの、半拍。だが、十年前、砦で背中を預け合った二人にとって、その半拍は、永遠のように、長かった。
カイの封印鎖が、空気を、裂いた。
鎖の先端が、暴走勇者の首の、青い印の、中心の環を、断ち切る。制御術式が、断たれる。同時に、ジルドの魔術が、行き場を失った暴走の力を、優しく、奥へと、鎮めていく。封じるのではなく、宥めるように。
白い紋様が、静かに、引いた。
大柄な元勇者は、糸の切れたように、膝を、つき――そして、意識を、失って、倒れた。生きて。暴走もせず。ただ、眠るように。
封印鎖と、救済魔術。真逆の二つの術が、同じ英雄を、一人、救っていた。
「……ふん」ジルドが、荒く、息を、吐いた。「十年ぶりに、お前と、背中を合わせた。……悪く、なかったな、カイ」
「ああ」カイも、息を、吐いた。「悪く、なかった」
*
だが、イサクが、いなかった。
混乱に、紛れて。あの水晶を、懐に。老いた観測者は、崩れかけた墓場の、奥の通路へ、逃れようとしていた。
「――逃がすか」
カイの封印鎖が、もう一度、伸びた。
鎖は、崩れる石の間を、生き物のように、縫って走り、逃げるイサクの、足首に、巻きついた。老人が、つんのめる。懐から、水晶が、転がり出た。
「イサク・グレーヴェ」カイは、歩み寄った。倒れた老人を、見下ろす。「あんたは、戦わない、観測者だと言った。……なら、これは、戦いじゃない。刑罰だ」
「……ぐ、待ちなさい。私を、封じても、真相は」
「真相は、もう、聞いた」カイは、封印鎖の環を、イサクの、記録術式を編む手に、当てた。「あんたが、エルシャを、見殺しにした。俺とジルドを、分裂させた。その死を、この国の、地獄の、礎にした。……それを、聞くために、来た。もう、十分だ」
「あんたの観測は、ここで、終わりだ」
カイは、環を、締めた。イサクの、術式を編む力――人の壊れる様を記録し、材料にしてきた、その力が、封印鎖の環の中へ、吸い込まれていく。爛々と輝いていた老人の目から、光が、失せた。ただの、しわがれた老人が、後に、残った。
顔のある観測者は、自らの"観測"の力を奪われ、二度と、誰の死も、データにできないよう、封じられた。
*
カイは、床に転がった、水晶を、拾い上げた。
小さな、封じられた水晶。この中に、エルシャの、最後の言葉が、ある。十年、逃げ続けた、あの一言の、本物が。
「……開けるのか」ジルドが、静かに、問うた。その声も、微かに、震えていた。この男も、十年、この言葉を、探していた。
「ああ」カイは、水晶に、封印鎖の環を、そっと、触れさせた。封を、解く。
青白い光が、灯った。そして――十年前の、あの日の、声が、流れ出した。
『――カイ』
エルシャの、声だった。暴走の、狂気の、合間。一瞬だけ、正気に、戻った、彼女の声。荒く、掠れて。それでも、確かに、カイの名を、呼んだ。
『わたしを、ここで、止めて』
カイの、指が、震えた。
『――そして、いつか。ほんとうの、止めかたを、みつけて』
声は、そこで、途切れた。あとは、暴走の、雄叫びだけが、残った。そして、カイの剣が、下される、音。
水晶の光が、静かに、消えた。
記録の墓場に、長い、沈黙が、落ちた。
「……止めて、と」カイは、掠れた声で、言った。「彼女は、俺に、止めてくれ、と、言った。……殺してくれ、と。俺は、そう、聞いた。十年、そう、思ってきた」
「違う」ジルドの声が、震えた。「彼女は、言ったんだ。ほんとうの止めかたを、みつけて、と。……殺すのではない、止めかたを。だから、私は、解放を、選んだ。力を、罪としない、道を」
二人は、水晶を、見つめた。
同じ、一つの言葉。エルシャは、その言葉に、二つの願いを、託していた。「今は、止めて」と「いつか、ほんとうの止めかたを」と。カイは、前半分を。ジルドは、後ろ半分を。十年、それぞれの半分だけを、抱いて、生きてきた。
「彼女は」カイは、ようやく、悟った。「両方を、望んでたのか。……あの日、殺してくれと、言いながら。いつか、殺さずに済む方法を、見つけてくれ、とも」
止まっていた、十年の時間が。かたり、と、微かに、動いた。
エルシャの最後の言葉――「わたしを、ここで、止めて。そして、いつか、ほんとうの、止めかたを、みつけて」。カイは前半分を、ジルドは後ろ半分を、十年、抱えて生きてきました。彼女は、その両方を、望んでいた。
殺すことと、救うこと。作品のいちばん奥にあった問いの、源です。読んでくださって、ありがとうございます。次話、二人はこの真相を分かち合い――それでもなお、道を分かちます。
応援、力になります。




