第22話:観測者
旧宮廷研究施設は、王都の地下に、埋もれていた。
崩れかけた石段を、降りていく。使われていないはずの通路に、青白い術式灯が、点々と、灯っていた。空気が、乾いていた。埃と、古い薬品と、そして――かすかに、あの賦活剤と、同じ匂いが、した。
「ここで」カイは、足を、止めた。「十年前、エルシャの暴走を、研究してた」
「先輩」ノエルが、術式灯を、見上げた。「灯が、ついてます。誰か、いますよ」
通路の奥、いちばん深い扉が、開いていた。
その先の、円形の部屋。壁一面に、古い記録板が、並んでいた。無数の、観測図。力の曲線。人体の図。そして、部屋の中央に、一人の、老人が、立っていた。
白衣。曲がった背。落ち窪んだ目。だが、その目は、少しも、濁っていなかった。むしろ、少年のように、爛々と、輝いていた。カイたちを見ても、老人は、驚かなかった。まるで、客を、待っていたように。
「おや」老人は、しわがれた声で、言った。「執行官殿。……それに、お若い、お嬢さん方。ようこそ。この、忘れられた、記録の墓場へ」
「イサク・グレーヴェか」
「いかにも」老人は、恭しく、頭を、下げた。「かつては、宮廷筆頭錬金術師。今は、ただの、記録の番人です。……あなたが来ることは、分かっていましたよ、カイ・執行官殿。エルシャの名を、聞いたのなら。必ず、ここへ、来る」
カイの手が、封印鎖に、触れた。
*
「エルシャの、記録は、どこだ」
「そう、急がれますな」イサクは、壁の観測図を、愛おしそうに、撫でた。「ここにある全ては、彼女です。世界で、最初の、英雄性の暴走。ああ……あれは、実に、美しい、データでした。力が、人を、内側から喰い破っていく。その過程の、なんと、精緻なことか」
「美しい?」ノエルの声が、尖った。「人が、壊れてるんですよ! それを――」
「壊れる過程こそ、最も、多くを、教えてくれる」イサクは、うっとりと、言った。「私は、ただ、観ていました。彼女が、暴走を、始めてから、斬られるまで。一部始終を。記録して。……ええ。手を、出さずに」
カイの中で、何かが、冷たく、凍った。
「手を、出さずに、だと」
「鎮静の術式なら、当時から、持っていましたよ」イサクは、こともなげに、言った。「彼女の暴走を、緩める、初歩的な術は。試せば、あるいは、あの大賢者の若造の"救済"を、助けられたかもしれない。……ですが、私は、観たかった。人為の介入なく、英雄性の暴走が、どこまで進むのか。その、最後まで」
「あんた」カイの声が、低く、震えた。「エルシャを、救えたかもしれないのに。……見殺しに、したのか。観測の、ために」
「見殺し、とは、人聞きの悪い」イサクは、微笑んだ。「私は、記録したのです。人類のために。……そして、その記録が、後の"勇者再兵器化計画"の、礎になった。賦活剤も、制御術式も、全て、あの日の、彼女の観測図から、生まれた。エルシャは、無駄には、死んでいませんよ。第0号として、この国の、大いなる計画の、母胎になったのですから」
*
カイは、封印鎖を、握りしめていた。
十年前、自分が、この手で斬った仲間。その死が――救えたかもしれなかった死が――国家に観測され、データにされ、あの、無数の暴走事案の、賦活剤の、猟犬の術式の、全ての、始まりに、されていた。
カイが、抱え続けた罪の裏で。誰かが、その罪を、材料に、していた。
「先輩」ノエルが、その拳に、そっと、手を、添えた。「まだ、です。まだ、封印鎖じゃ、ない」
カイは、荒く、息を、吐いた。頷いた。この男を、今すぐ縫い止めれば、エルシャの記録ごと、封じてしまうかもしれない。ジルドが、国家が、探しているものを。真相を。
「イサク・グレーヴェ」カイは、絞り出した。「エルシャは、どうやって、暴走した。自然に、か。それとも、あんたたちが」
「さあ、それは」イサクは、はぐらかすように、笑った。「記録を、見れば、分かります。……ですが、あなたが、本当に、知りたいのは、それでは、ないでしょう?」
老人は、壁の一枚の、記録板を、指した。他とは違う、封印された、小さな水晶が、嵌め込まれていた。
「彼女が、最期に――斬られる、その瞬間に、あなたに、何と言ったか」イサクの目が、爛々と、輝いた。「私は、それも、記録しました。音声として。この、水晶に。……あなたは、覚えているつもりでしょう。ですが、十年です。記憶は、都合よく、書き換わる。ここに、本物が、あります。エルシャの、本当の、最後の言葉が」
カイの視界が、白く、明滅した。
十年、逃げ続けた、あの一言。都合よく、書き換えたかもしれない、あの一言。それが、この水晶の中に、封じられている。本物が。
その時――施設の、別の入り口から、風が、吹き込んだ。青白い術式灯が、一斉に、揺れた。
白い装束の男が、記録の墓場の、入り口に、立っていた。
「その水晶を」ジルドが、静かに、言った。魔杖の先に、光を、灯して。「――私にも、聞かせてもらおう、イサク・グレーヴェ。私も、十年、その言葉を、探していた」
エルシャの暴走を"観測"し、見殺しにし、その死を計画の礎にした男――イサク・グレーヴェ。カイが十年抱えた罪の裏で、その罪を材料にしていた者の顔です。
そして、エルシャの「最後の言葉」が、水晶に記録されていた。カイもジルドも、十年、その意味を探し続けていました。次話、十年前のあの日が、事件の中で、明かされます。
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