第21話:十年前の光
カイが、初めて、その話を、したのは、解析室の、深夜だった。
バルカの通信から、三日。ジルドの組織が、動き始めていた。シキの傍受した断片によれば、解放者たちは、王都のどこかにある"エルシャ・データ"の在処を、探している。国家より先に、それを、奪おうとして。
「先輩」ノエルが、そっと、切り出した。「……エルシャさんって、誰なんですか。バルカが言ってた、最初の英雄って」
カイは、しばらく、端末の光を、見ていた。
言うつもりは、なかった。十年、誰にも言わなかった。だが――国家が、ジルドが、その名を、掘り返そうとしている。ならば、この二人にだけは、自分の口から、伝えておくべきだと、思った。
「……仲間だった」カイは、低く、言った。「十年前、俺と、ジルドと、あと数人で、魔王を、討った。その中の、一人だ。エルシャ。剣を、使った。俺と、背中を、預け合ってた」
シキが、端末を打つ手を、止めた。ノエルが、息を、詰めた。
「魔王を、倒した。世界が、救われた、はずだった」カイの声は、淡々としていた。感情を、言葉に、乗せないように。「討伐から、ひと月。エルシャが、最初に、暴走した。誰も、その言葉すら、知らなかった頃だ。英雄性の暴走なんて、名前は、まだ、なかった」
「最初の……暴走」
「そうだ。世界で、いちばん、最初の。役目を終えた英雄の力が、行き場を失って、内側から本人を喰い破る――その、最初の一人が、エルシャだった」カイは、目を、閉じた。「封印鎖も、執行局も、まだ、なかった。止める方法を、誰も、知らなかった。……ジルドは、新しい魔術で、彼女を、鎮めようとした。あと一歩で、届くと、信じてた」
「先輩は」ノエルの声が、掠れた。
「俺は」カイは、一拍、置いた。「街を、仲間を、焼き尽くす寸前だった彼女を、斬った。封印じゃない。……殺した。この手で」
シキも、ノエルも、何も、言えなかった。カイの淡々とした声の下に、十年分の、動かない時間が、沈んでいるのが、分かったから。
「ジルドは、俺が、待てなかったと言う。もう少しで、救えたのに、殺した、と」カイは、目を、開けた。「俺は、あれ以上、待てば、全員、死んだと思ってる。……どっちが、正しいのか。俺は、十年、答えを、出せずにいる」
*
「先輩は」ノエルが、俯いたまま、言った。「……間違って、ません」
「分からない」
「分かります!」ノエルが、顔を、上げた。目が、潤んでいた。「私の兄も、暴走しました。北の街で。誰も、救おうとしなかった。目の前で、執行されて……兄は、最後に、『逃げろ』とだけ、言いました」
カイは、ノエルを、見た。彼女が、その核を、口にするのは、廃村の夜以来だった。
「私は、ずっと、思ってきました。あの時、誰かが、救おうとしてくれたら、って。だから、救う側に、なりました。……でも」ノエルの声が、震えた。「先輩は、救おうとしたじゃないですか。ジルドさんも。二人とも。救おうとして、救おうとして、それでも、間に合わなかった。それは――誰も救おうとしなかった、私の街とは、違います。全然、違う」
「……」
「先輩が、殺したんじゃない。救おうとして、届かなかったんです。私の兄みたいに、一人ぼっちで、暴走したんじゃない。エルシャさんは、最後まで、救おうとしてくれる仲間の、真ん中で……」ノエルは、そこで、言葉を、詰まらせた。「ごめんなさい。私が、言うことじゃ、ないのに」
カイは、しばらく、黙っていた。それから、ほんの少しだけ、息を、吐いた。
「いや」低く、言った。「……ありがとう」
力を奪われた英雄の礼が、いちばん堪える、と、いつも思っていた。だが今夜、初めて、自分が、誰かに、礼を、言っていた。
*
「あっ、えっと」シキが、鼻を、すすりながら、端末を、指した。「か、解析、進めますね。データ、探さないと。国家より、先に」
「頼む」
「傍受した、解放者の、通信の断片から……エルシャ・データの、保管先を、絞り込みました」シキの指が、地図の一点で、止まった。「王都、地下。旧・宮廷研究施設。今は、使われてない、ことになってます。でも、微弱な、術式反応が、ずっと、消えてない」
「宮廷研究施設」カイの眉が、動いた。「魔王討伐の、直後。エルシャの暴走を"研究"してた連中が、いた場所か」
「そこに、記録が、あります。エルシャさんの、暴走の観測記録。それと」シキが、言い淀んだ。「か、管理者の、名前が。ずっと、更新されてないのに、一つだけ、残ってて。……イサク・グレーヴェ、って」
「イサク・グレーヴェ」
聞き覚えの、ない名だった。だが、その名が、十年前の光の、いちばん奥に、繋がっている。カイには、なぜか、それが、分かった。
「行く」カイは、封印鎖を、握った。「ジルドより、先に。国家より、先に。……エルシャの、記録に、触れる」
窓の外で、王都の灯が、静かに、瞬いていた。十年前、あの光の下で、カイは、最初の英雄を、斬った。その光の、いちばん奥へ、彼は、今、戻ろうとしていた。
カイが初めて、エルシャのことを――そして自らの罪を、ノエルとシキに語りました。「殺した」と言うカイに、ノエルが自分の兄を重ねて返した言葉は、彼女自身の救いでもあったのかもしれません。
次話、エルシャの記録が眠る旧研究施設で、一人の男が待っています。彼女の暴走を"観測"していた、老いた錬金術師が。
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