第20話:資産の筆頭
問題は、カレン・ロスを、どこへ、返すかだった。
療養院へ戻せば、また国家に接収される。ジルドに託せば、解放組織の一員に、なりかねない。制御術式は断ち切ったが、こじ開けられた封印は、元のようには、戻らない。彼女は、力を持ったまま、しかし操られることもなく、宙ぶらりんに、なっていた。
「私が、預かる」ジルドは、当然のように、言った。「国家の手の届かぬ場所へ。それが、彼女のためだ」
「彼女の意志は、まだ、戻っていない」カイは、首を振った。「意志のない相手を、あんたの思想に、囲い込むな。それは、飼い主を替えるだけだと、言ったはずだ」
二人は、また、睨み合った。エルシャの名を見た後でさえ、この一点だけは、譲れなかった。
結論を、出したのは、意外な人物だった。
*
局長室で、ヴェルナーは、カレンの記録を、長い間、見ていた。
「カレン・ロス。制御術式を、断たれた元勇者」局長は、平らに、言った。「本来なら、暴走リスクありとして、再封印の対象だ」
「局長」ノエルが、身を乗り出した。「あの人は――」
「――だが」ヴェルナーは、遮った。「暴走の兆候は、ない。シキの解析でも、力は、静かに、沈んでいる。つまり、彼女は、危険物では、ない」
局長は、書類に、判を、押した。
「執行局が、保護観察下に置く。国家の"資産"としてでは、なく。……療養院でも、解放組織でもなく、局の、監督下だ。手は、出させん。バルカ様にも、ジルドにも」
ノエルが、息を、呑んだ。カイも、局長の顔を、見た。灰色の霧の向こうで、その本心は、やはり、読めなかった。
「局長」カイは、問うた。「なぜ、彼女を、庇う」
ヴェルナーは、判を、置いた。しばらく、窓の外を、見ていた。
「……執行局は、暴走を、止める機関だ」局長は、答えになっていない答えを、返した。「操られて同胞を狩らされた英雄を、もう一度、誰かの道具にさせるのは、その理念に、反する。それだけだ」
それだけ、と言いながら。その声には、平らさの奥に、微かな、別の温度が、あった。カイには、それが、味方の温度なのか、駒を手放したくない管理者の温度なのか、判じられなかった。
だが、今日この一度、局長は、英雄を、資産から、人へ、引き戻した。要塞の夜に続いて、二度、この男は、楯に、なった。本心は、まだ、灰色のまま。
*
その夜。
カイの局員宿舎に、一つの、通信の水晶が、届いた。差出人は、記されていなかった。だが、卓に置いた瞬間、それは、淡く、光り始めた。
『――夜分に、失礼しますよ、執行官殿』
バルカの、乾いた声だった。
「軍務卿」カイは、水晶を、見据えた。「グレゴールを、猟犬使いに仕立てたのは、あんたか」
『特務は、優秀な男でした。彼を失ったのは、痛い。……ですが、今夜の用件は、彼のことでは、ない』
水晶の光が、静かに、揺れた。
『あなた方は、廃屋敷で、一枚の指令書を、見た。そこに記された名を、見て、あなたの手が、止まった。……ザイフェルトから、報告が、ありました。彼は、うずくまりながらも、あなたの顔色の変化だけは、見逃さなかった』
カイは、答えなかった。
『エルシャ』
バルカが、その名を、口にした。悪意なく、値踏みするように。
『十年前、あなたが、その手で、斬った英雄。パーティが崩壊した、あの日。……解放者ジルドと、あなたの道が、分かれた、その原因の、名だ。違いますか、カイ・執行官殿』
「……何が、言いたい」
『我々は、彼女の記録を、持っている』バルカの声は、乾いたまま、深く、沈んだ。『暴走の観測記録。そして――彼女が、最期に、あなたに何と言ったか、まで。ジルドが、それを、探し当てようとしている。彼は、十年、その"最後の言葉"の、意味を、知りたがっていた。あなたも、そうでしょう』
カイの指が、卓の上で、握られた。
『次に回収すべき資産の筆頭は、あなた自身だと、要塞で、申し上げた。ですが、その前に――あなたに、一つ、教えてあげたい。あなたが十年、逃げ続けた、"最初の英雄"の、本当の話を。……近いうちに、また、連絡します』
水晶の光が、消えた。
部屋に、静けさが、戻った。だが、カイの中では、十年、封じてきたものが、かたり、と、環を、緩ませていた。
エルシャが、最期に、何と言ったか。カイは、覚えていた。誰にも、言えなかった。そして――その意味を、いまだに、答えられずにいた。
バルカが口にした「最初の英雄」――その名を、カイは、十年、誰にも言えずにいた。エルシャ、と。




