第19話:二度、名を
青白い暴走の紋様を挟んで、三人の男が、対峙していた。
繋がれていたカレンは、制御された暴走のまま、鎖の刃を、振り回している。狙いは、定まっていない。グレゴールの操る"栓"が、まだ、彼女を、猟犬に、留めていた。
「解放者ジルド」グレゴールが、杖を構えた。「ちょうどいい。あなたも、まとめて回収の対象だ。……カレン、そちらの、白い男を」
カレンが、ジルドへ、跳んだ。
ジルドは、避けなかった。魔杖を、横に薙ぐ。淡い光の膜が、カレンの鎖の刃を、柔らかく、受け止めた。斬るのではなく、包むように。
「私は、君を救いに来た」ジルドは、静かに言った。「国家の鎖からも、この街の"英雄殺し"からも。……こちらへおいで。私のところなら、力を罪と呼ばれない」
「ジルド」カイは、割って入った。「あんたのやり方は、認めない。カレンを連れて行っても、あんたは、あの首の印を、断ち切れない。国家の術式を、あんたの理論で"上書き"するだけだ。それは、救いじゃない。飼い主を、替えるだけだ」
「では、お前のやり方は?」ジルドの目が、鋭くなった。「封印して、また、力のないただの人間に戻すのか。二度も、力を奪うのか」
「奪うんじゃない」カイは、封印鎖を、握り直した。「返すんだ。あいつを、操られる前の、ただのカレン・ロスに」
二人の視線が、火花のように、交差した。方法は、真逆だった。だが――今、この瞬間だけは、目的が、重なっていた。
「……いいだろう」ジルドが、魔杖を、翻した。「グレゴール・ザイフェルト。今だけ、私は、この男に、背中を貸す」
*
ジルドの光の膜が、カレンの動きを、封じた。ほんの、数拍。だが、カイには、それで、十分だった。
「シキ」無線に、短く。「印の、断ち切る一点は」
『首の、左。青い印の、中心の、環です! そこが、栓の、要! そこだけ、狙って!』
カイは、地を、蹴った。
封印鎖が、空気を裂いて、伸びる。だが今度は、暴走した力を、縫い止めるためでは、なかった。カレンの首を、掠めるように、その青い印の、ただ一点へ。外科医の刃のように、精密に。
鎖の先端が、印の中心の環を、断ち切った。
青い光が、糸の切れた凧のように、ふっと、消えた。
カレンの体から、荒々しい紋様が、潮のように、引いていく。制御が、断たれた。だが――暴走も、しなかった。栓を無理に開かれていた力は、行き場を失い、静かに、彼女の奥へ、沈んでいく。振り上げられた鎖の刃が、地に、落ちた。
カレンが、膝を、つく。空っぽだった目に、疲れ果てた、ただの人間の、光が、戻った。
「……わた、し……」
「戻った」カイは、告げた。「あんたは、もう、誰の猟犬でもない」
*
「――こしゃくな!」
グレゴールが、杖を、振り上げた。制御を失った以上、この男に、残された手は、暴力だけだった。杖の先に、青い光が、集まる。誰かの封印を、こじ開けようとする、あの力が。
だが、遅かった。
「グレゴール・ザイフェルト」
カイの封印鎖が、もう一度、空気を裂いた。
鎖は、生き物のように、グレゴールの四肢に巻きつき、杖を握った手を、地に、縫い止めた。青い光が、行き場を失い、環の中へ、吸い込まれていく。
「あんたは、英雄を、猟犬にした」カイは、歩み寄った。声は、静かだった。だが、その静けさが、いちばん、冷たかった。「涙を、副産物と呼んだ。……名前を、栓一つで消せると、言ったな」
「……っ、放せ! 私は、国家の、正式な――!」
「あんたの名前は、俺が、覚えておく」カイは、鎖の環を、締めた。「あんたが、壊した英雄たちの、名前と、一緒に。一人残らず。……それが、あんたへの、刑罰だ」
グレゴールが、地に、伏した。彼の"栓を緩める"力は、封印鎖の環の中で、二度と誰の封印にも届かないよう、封じられた。特務監督官は、自らの武器を奪われ、ただの、うずくまる男に、なった。
ノエルが、カレンに、駆け寄った。
「カレンさん。……もう、大丈夫です。狩らなくて、いいんです。もう、誰も」
カレンは、ノエルの顔を、ぼんやりと、見た。記憶は、戻らないのかもしれない。だが、その頬を伝う涙は、もう、命じられたものでは、なかった。
「……救えた」ノエルが、掠れた声で、言った。目に、涙が、滲む。「先輩。今度は、救えました。狩る側にも、狩られる側にも、しないで。……ちゃんと、救えました」
カイは、頷いた。要塞の夜に続いて、二度目の「救えた」だった。
*
グレゴールの部隊が撤収した後、カイは、廃屋敷の指令室を、検分した。
机の上に、走り書きの、指令書が、一枚。グレゴールが、受け取ったばかりのものらしい。バルカの筆跡ではない。だが、あの三本の剣の紋章が、隅に、押されていた。
カイの目が、その一文で、止まった。
『解放者一党の動きに注意。連中は"第0号"に近づきつつある。エルシャ・データを、何としても、死守せよ』
エルシャ。
その名を、カイは、十年、誰にも、言えずにいた。腰の封印鎖が、かたり、と、鳴った気がした。
傍らに立ったジルドが、その一文を、覗き込んだ。白い横顔が、初めて、揺らいだ。
「……エルシャ」ジルドが、低く、呟いた。「国家は、彼女の、何を、握っている」
二人の男は、しばらく、その一枚の紙を、見ていた。真逆の道を歩いてきた二人が、十年前の、同じ場所へ、引き戻されようとしていた。
猟犬にされたカレンを、封印鎖の精密な一撃で救い、グレゴールを成敗しました。二度目の「救えた」――ノエルの成長が、少しずつ、形になっています。
しかし、拠点に残された指令書に記された名――「エルシャ」。カイが十年、誰にも言えずにいた名前です。次話から、第2部の核心、カイとジルドの過去(A2)へと物語が向かいます。
次のアークは、切なさが深くなります。応援、力になります。




