第18話:名前を呼ぶ
その夜、カイは局長室を、通さなかった。
シキの解析室に、カイとノエルだけが、集まった。ヴェルナーの決裁を経れば、記録は国家へ流れる。バルカへ流れる。今、局長を通すわけには、いかなかった。局長が味方か駒か、まだ、分からない以上は。
「カレン・ロスの、制御術式を、解析しました」シキが、端末の光を、指でなぞる。「あっ、えっと……これ、賦活剤とも、要塞の術式とも、違います。もっと、精密で。首の印から、力の"栓"を、少しずつ、緩めたり、締めたり……できるように、なってます」
「栓を、緩める」カイの声が、低くなった。「封印を、こじ開けるんじゃなく、調節してるのか」
「はい。だから、暴走させきらずに、"猟犬"として、使える。……カイさん」シキが、言い淀んだ。「この術式の、根っこ。要塞のものと、同じ図式が、あります。封印を、外から、操る術。……その、いちばん精密な応用が、これです」
カイは、答えなかった。
封印を、外から操る術。それは、彼の腰に巻かれた封印鎖の、裏返しだった。カイが自分自身を封じている、その環を――もし誰かが、外から、緩められるとしたら。要塞の夜、渦に呼ばれて、緩みかけた、あの一番奥の環を。
「……先輩?」ノエルが、その横顔を、見た。
「なんでもない」カイは、目を、逸らした。「カレンの、居場所は」
「グレゴールの部隊が、次の掃討に備えて、王都北の廃屋敷に。カレンさんも、そこに」
「行く」カイは、立ち上がった。「あいつが、次の猟犬狩りに出る前に。一度、話す」
「話す?」ノエルが、瞬いた。「意志も記憶も、奪われてるって……」
「奪われても、名前は、残る」カイは、封印鎖を、握った。「俺は、執行した相手を、一人残らず、覚えてる。だったら、あいつも、自分の名前くらいは、どこかに、覚えてるはずだ」
*
廃屋敷の裏庭に、カレンは、繋がれていた。
太い杭に、鎖で。獣のように。青白い紋様が、眠るように、微かに、明滅している。カイが近づくと、その目が、ゆっくりと、開いた。焦点の、合わない目。だが――怯えは、なかった。ハロルドの目にあった、狂気も。ただ、空っぽだった。
「カレン・ロス」
カイは、名を、呼んだ。静かに。
「元Bランク認定勇者。三年前、南街道で、崩落から隊商を守って、力を使いすぎた。……あんたが暴走した時、封印したのは、俺だ。覚えてないだろうが」
カレンの、空っぽの目が、微かに、揺れた。
「あの時、あんたは、封印される間際に、言った。『みんな、無事?』って。自分が壊れかけてるのに、隊商の心配を、してた」
紋様が、ちり、と、音を立てた。カレンの唇が、動く。声にならない声で。
「……ん、な……」
「そうだ。みんな、無事だった。あんたが、守ったからだ」
カレンの目に、初めて、焦点が、宿りかけた。空っぽだった顔に、何かが、戻ろうとする。涙が、また、頬を、伝った。今度は、命じられてでは、なく。
「わた、し……なにを、して……同胞を、わたし……」
「あんたのせいじゃない」カイは、膝をついた。手を、伸ばした。「あんたを、操ってる奴が、いる。その首の印を、断ち切れば――」
その時、カレンの首の、青い印が、かっと、光った。
「――余計なことを」
庭の闇から、グレゴールの声が、した。手にした杖の先が、印へ向けられている。カレンの体が、びくりと、痙攣した。戻りかけた焦点が、また、空っぽに、押し戻されていく。
「せっかくの、猟犬に。妙な、記憶を、吹き込まないでいただきたい」グレゴールは、杖を、ひねった。カレンの紋様が、荒々しく、噴き上がる。「名前など、栓の緩め方一つで、いくらでも、消せる。……見せましょうか。彼女が、自分の名前ごと、壊れる様を」
「やめろ!」ノエルが、叫んだ。
カレンが、繋がれた鎖を、引きちぎった。制御された暴走が、カイたちへ、牙を剥く。カイは、封印鎖を、握りしめた。だが――ここで振るえば、また、被害者を。
その、瞬間だった。
庭の塀の上に、白い装束の影が、立った。魔杖の先に、淡い光を、灯して。
「そこまでだ、特務殿」
ジルドだった。
「同じ英雄を、二人がかりで、壊すのか。……国家も、私も。呆れたものだな」ジルドの目が、カイを、捉えた。あの夜と、同じ、静かな敬意と、譲れない対立を、湛えて。
「また、同じものを救おうとしているな、カイ」
カレンの暴走の紋様が、二人の男の間で、青白く、燃えていた。
名前を呼ぶ、という、カイのやり方。奪われた意志の底に残るものへ、届かせようとする執行官の武器です。しかし制御術式が、それを引き戻します。そしてその術式の根には、カイ自身の封印(B2)と同じ図式が――。
同じ標的を"救い"に来たジルドが、再び現れました。次話、二人は同じものを救おうとして、ぶつかります。そして、猟犬の首の印を断ち切る、留飲の一撃を。
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