第12話:駒を並べる男
軍務卿バルカ・オルデンは、約束の時刻より、一分早く現れた。
供も連れず、たった一人で。五十がらみの、痩せた男だった。派手さはない。仕立てのいい軍装をまとい、感情の読めない、乾いた目をしている。歩くたび、床が、静かに鳴った。
局長室の長机に、その男は、無造作に、一枚の大きな地図を広げた。
王国全土の地図だった。そして、その上に、いくつもの小さな駒が、並べられていく。バルカは、革の小箱から駒をつまみ、地図の各地へ、置いていった。
「北方戦線に、四つ」
こつん、と駒が置かれる。
「東の国境に、三つ。西に、五つ。……これが、我が国に眠る"資産"の、配置図です」
「資産」
カイは、その駒の一つを、見た。駒には、小さく、名が刻まれていた。人の名だった。封印され、療養院で静かに暮らす、元勇者たちの名。
「英雄を、駒として、数えてるのか」
「数えなければ、運用できません」
バルカの声には、怒りも、悪意も、なかった。ただ、乾いた合理だけが、あった。
「執行官殿。魔王は、十年前に倒しました。ですが、国境の魔物は、一匹も減っていない。むしろ、増えている。……新しい勇者を育てるには、十年かかり、金は湯水のように要る。ならば、なぜ、既にある"力"を、遊ばせておく必要が?」
「一度、その力に、殺されかけた者たちだ」
「ええ。だからこそ、扱いやすい」
バルカは、また一つ、駒を置いた。
「彼らは、もう、力の使い方を知っている。壊れることも、恐れない。……国家にとって、これほど無駄のない資源は、ありません。デュランのような小者が、勝手に賦活剤を売りさばいて金にしていたのは、実に、嘆かわしい。あれは、私的な流用だ。私が求めているのは、もっと、秩序だった運用です」
カイの中で、静かに、何かが軋んだ。
デュランは、暴走を金にする、分かりやすい悪党だった。ロゼは、合法を盾にする、冷たい官僚だった。だが、この男は――英雄を消耗品と呼ぶことに、一片の、ためらいもない。悪意すら、ない。それが、一番、恐ろしかった。
「その運用を」ノエルが、拳を握って、進み出た。「邪魔してるのが、ジルドさんだから。だから、執行しろって言うんですか。あの人は、暴走なんて――」
「ジルド・ヴェレンティは」バルカは、ノエルを、感情のない目で見た。「私の資産を、盗んでいる。連れ去った英雄は、既に、十数人。あれは、窃盗です。国家の財産に対する」
こつん、と、また駒が、地図の東の森に置かれた。ジルドの、駒だった。
「執行官殿。取引を、しましょう」
バルカは、その駒を、指先で、まっすぐカイのほうへ、滑らせた。
「ジルドを執行すれば、奴の匿う英雄たちは、国家が回収する。そして――あなたにとっても、悪い話ではないはずだ」
「どういう意味だ」
「十年前」バルカの乾いた目が、初めて、わずかに、細くなった。「魔王討伐パーティ。あなたは、暴走した仲間を、自らの手で封じた。ですが、始末しそこねた者が、一人。……それが、ジルド・ヴェレンティだ。違いますか」
カイは、答えなかった。
この男は、知っている。カイの過去を。エルシャのことも。ジルドのことも。全て、握った上で、それを、切り札として、机に置いている。
「十年前の宿題を、今、片付けられる。国家の令状という、大義名分つきで。……執行官として、これほど、都合のいい話もないでしょう」
「断る」
カイの声は、静かだった。
「ジルドは、暴走勇者じゃない。暴走を止めるのが、執行局の仕事だ。暴走してない者を狩るのは、執行じゃない。ただの、殺しだ」
バルカは、しばらく、カイを見ていた。それから、ゆっくりと、地図の駒を、革の小箱へ、片付け始めた。
「……感情で、判断なさる。ロゼが言っていた通りだ」
最後の駒を、しまう。
「よろしい。では、こう申し上げましょう。近く、"回収"を行います。ジルドの匿う英雄も、療養院で眠る資産も、まとめて。……その日、勇者刑執行局は、令状に従い、私の指揮下に入る。局長の、承認済みだ」
バルカは、地図を巻き取り、脇に抱えた。
「あなたが、どちらを止めるにせよ。その手の鎖が、その日、何を封じるのか。……見せていただきます、執行官殿」
乾いた足音が、廊下の向こうへ、遠ざかっていった。
局長室に、ヴェルナーの、重い沈黙だけが、残った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
デュランは金のため、ロゼは合法のため。そして軍務卿バルカは、悪意すらなく、ただ「国家の合理」で、英雄を駒として数える男でした。地図に人の名を刻んだ駒を並べる――この作品で一番、憎ませたかった顔です。
そして、バルカが握るカイの過去。「始末しそこねた仲間=ジルド」という切り札。次話、カイは令状に背いて、ジルドのもとへ向かいます。谷間の廃村で、二人はもう一度、思想をぶつけ合います。
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