第10話:英雄殺し、と男は言った
救い出した元勇者は、六人だった。
カイは、施設の外へ運び出された彼らに、一人ずつ、毛布をかけて回った。夜気の中で、みな一様に、荒い息をつきながら、それでも、生きていた。オーウェンは、ノエルに肩を支えられ、崩れた塀にもたれている。木彫りの小鳥が、その膝の上に、戻されていた。
腰の無線が、鳴った。シキの声だった。
「カ、カイさん、あの……施設の管理記録、遠隔で吸い上げたんですけど。数が、合わないんです」
「数」
「接収された元勇者の名簿……十二人、載ってます。でも、そっちで保護したの、六人ですよね」
カイの手が、止まった。
「残りの、六人は」
「わかりません。ただ、搬出の記録が……ロゼさんの部隊が動くより、前の日付なんです。誰かが、国家より先に、六人を、連れ出してます」
誰かが。
カイは、施設を振り返った。ロゼでも、バルカでもない、第三の手。この事案には、まだ、見えていない顔がある。
*
その時、斜面の上で、砂利が鳴った。
カイは、顔を上げた。
旧鉱山の斜面の上、崩れた坑口の縁に、人影が立っていた。
一人ではない。その背後に、数人。拘束もされず、腕に管も刺さっていない、静かに佇む元勇者たち。彼らは暴走もせず、怯えもせず、ただ、先頭の男の後ろに、従うように、並んでいた。
先頭の男が、ゆっくりと、坂を下りてくる。
白を基調にした、旅の魔術師のような装束。手には、意匠を凝らした魔杖。理知的で、穏やかな顔立ち。だが、その口元には、笑みがあった。慈悲とも、狂気とも取れる、笑み。
「間に合わなかったな、カイ」男は言った。「連れ出すのは、私の方が、六人、早かった」
カイは、その顔を、知っていた。
十年、会っていなかった。それでも、忘れるはずが、なかった。魔王を、共に倒した男だった。
「……ジルド」
「久しぶりだ」ジルドは、微笑んだ。「執行官の制服が、よく似合っている。英雄を、殺して回る仕事だそうだな」
その言葉に、ノエルが、前へ出た。
「あなたが、残りの六人を、連れ去ったんですか。どこへ」
「安全な場所へ。国家の刃にも、執行局の鎖にも、届かない場所へ」ジルドは、背後の元勇者たちを、手で示した。「見ろ。彼らは暴走していない。私のもとでは、誰も、力に殺されない。……私は、彼らを従えてなどいないんだ。救っている。お前が"殺して"いる者たちを、な、カイ」
「救う、ね」
カイは、腰の封印鎖に、手をかけた。
「暴走した英雄を匿えば、次に壊れた時、街ごと道連れにする。お前は、それを、救いと呼ぶのか」
「壊れないよ。私が管理する限りは」
カイの指が、封印鎖の環を、握った。鎖が、低く鳴る。
それに応えるように、ジルドの魔杖の先で、白い紋様が、ふっと灯った。互いの力が、闇の中で、静かに光を交わす。かつて肩を並べて魔王に向けた二つの力が、今、向かい合っていた。
その時、無線の向こうで、シキが、息を呑む音がした。
「カイさん……今の施設の術式、解析、終わりました。封印を、こじ開ける術式……これ、デュランの賦活剤と、根っこが同じです。人工的に、英雄性の暴走を起こす体系……大元が、一つなんです」
「そうだ」
ジルドが、静かに、引き取った。まるで、その声が聞こえていたかのように。
「あれは、元は、私の理論だよ」
カイの、指先が、冷えた。
「魔王を倒した後、私は研究した。英雄性の暴走を、どうすれば制御できるか。力を、罪ではなく、資産として、人類の手に残せないか。……その研究を、国家が盗んだ。制御のためではなく、兵器化のためにな。デュランの賦活剤も、あの施設の封印解除も、根はすべて、私の論文だ」
「お前の理論が、勇者を、暴走させてる」
「私の理論を"盗んだ者"が、な」
ジルドの声に、初めて、苦い色が差した。
「だからこそ、私が取り戻す。国家が兵器にする前に。お前たちが、殺す前に。……盗まれた我が子を、親が取り戻して、何が悪い」
カイは、答えなかった。
ジルドの理屈は、間違っていない。間違っていないから、質が悪かった。
沈黙を、ジルドは、別の意味に取ったらしい。彼は、一歩、間合いを詰めた。
「エルシャを、覚えているか」
その名に、カイの動きが、止まった。
ノエルが、隣で、先輩の横顔を見た。いつも凍りついたその表情の、奥の奥が、たった今、わずかに、軋んだのを見た。
「あの日、お前は、仲間を、自分の手で封じた」ジルドは言った。「私は、止めれば救えたと、今も思っている。お前は、殺すしかなかったと、思い込んでいる。……あの日から、私たちの道は、分かれた」
「あれは、暴走だった。街を、焼こうとしていた」
「本当に、そうだったか?」
ジルドの目が、まっすぐに、カイを射抜いた。
その問いに、カイは、答える言葉を、持たなかった。十年、封じてきた問いだった。
*
「なあ、カイ」
ジルドは、背後の元勇者たちを促し、坑口の闇へ、退きながら、言った。魔杖の紋様が、静かに、消えていく。
「お前は、本当に、力を罪だと思っているのか?」
答えは、返せなかった。
問いだけを残して、大賢者の姿は、旧鉱山の闇の中へ、溶けるように、消えた。連れ去られた六人の英雄も、彼と共に、闇へ。
後には、救い出した六人と、奪われた六人分の、空白だけが、残った。
「……先輩」ノエルが、そっと言った。「あの人は、悪い人、なんでしょうか」
カイは、答えなかった。
悪人なら、鎖で搦め捕ればいい。デュランのように、ロゼのように。だが、ジルドは――かつて、同じ理想を、共に語った男だった。力に苦しむ者を、救いたいと。ただ、その"救い方"だけが、致命的に、違っていた。
封印鎖は、暴走を止められる。
だが、思想は、鎖では、封じられない。
カイは、男の消えた暗い坑口を、長いこと、見上げていた。
カイが、まだ誰にも言っていない事実がある。第一話、ハロルドの遺品にあった「第二期被験者リスト」――その筆頭に記されていた、カイの知る名。それは、今夜、六人の英雄を連れ去った、あの大賢者の名だった。




