大崩壊(グレートコラプス)
地鳴りが来た。
足元から突き上げるような振動。ビルの窓ガラスが甲高い悲鳴を上げて共振し、一枚、二枚と亀裂が走る。凛のラボの17面モニターが一斉にアラートを表示した。赤い警告ウィンドウが画面を埋め尽くしていく。
「カウントダウン——残り12時間を切った」
凛の声が震えた。画面を見つめる横顔が、モニターの赤い光に染まっている。
だが震えたのは一瞬だった。凛の指がキーボードを叩き始める。データを追う目が鋭くなる。アイリスのインターフェースが次々と情報を展開していく。
「違う。予定より早い——12時間前倒しで暴走が始まってる」
外でサイレンが鳴った。消防か、自衛隊か。一つではない。何十もの警報が重なり合い、東京の空気を切り裂いている。窓の向こうに見えるサードダンジョンのゲートが——膨らんでいた。
普段は直径50メートルほどの青白い光の円。それが脈動するように拡張と収縮を繰り返している。一回の脈動ごとに直径が10メートルずつ大きくなる。100メートル。150メートル。200メートル。周囲のビルの壁面にゲートの光が映り込み、街全体が不気味な青白さに包まれていた。
「全世界同時だ」
凛が17面モニターを指差した。ニューヨーク、ロンドン、上海、ムンバイ、サンパウロ——各国の監視カメラ映像が次々と切り替わる。全てのダンジョンゲートが同時に拡張していた。47箇所。一つの例外もなく。
シドニーのゲートから巨大な蟲型モンスターが這い出す映像。パリのゲートが凱旋門の高さを超えて膨張する映像。ヨハネスブルグの映像は途中で途切れた。カメラごと破壊されたのだろう。
「深層モンスターの地上流出を確認。東京サードダンジョン——ゲート半径500メートルに到達」
凛のアイリスが感情を排した声で報告した。500メートル。周辺のオフィスビル群が完全にゲートの範囲内に飲み込まれている。
鑑定を起動した。
┌──────────────────────────────────┐
│ <緊急スキャン:大崩壊> │
│ │
│ 発生事象:全世界47ダンジョン同時暴走 │
│ 原因:コア試験終了処理の制御解除 │
│ 予定タイムライン:12時間前倒しで開始 │
│ │
│ ゲート拡張速度:加速中 │
│ モンスター流出:深層個体を含む │
│ 推定被害規模:甚大 │
│ │
│ ⚠ 制御喪失状態——コアが試験場の管理を放棄中 │
└──────────────────────────────────┘
管理を放棄。その四文字が脳に突き刺さった。ダンジョンのコアが試験の終了処理に入った結果、全階層のモンスター制御が解除された。檻を開けた動物園だ。しかも檻の中にいたのは猛獣どころの話じゃない。深層30階以下のモンスターが地上に溢れ出そうとしている。
「一颯」
凛が俺を見た。モニターの光を背に、その顔は逆光で表情が読めない。
「三島くんとの通信が——まだ回復しない」
◇
三島。
大崩壊が始まる前に通信が途絶えた三島大輝。ダンジョン内部で何が起きているのか。生きているのか。あの熱っぽい目をした若者が、崩壊するダンジョンの中で一人で——。
「俺が行く」
言葉が口をついて出た。体が動いていた。装備を手に取ろうとして——凛の手が俺の腕を掴んだ。
「行かせない」
凛の声は冷静だった。だがその指先が震えていた。
「あなたにしかできないことがある。鑑定で暴走の全体像を解析できるのはあなただけ。三島くんの救出は——」
「凛、離せ。あいつは俺の——」
「わかってる。だからこそ、今は」
沈黙。外でガラスの砕ける音が連鎖した。ゲートの拡張に伴う衝撃波だろう。ビルの窓が次々と割れていく。破片が舞い散る音が、妙に綺麗だった。
凛の右手がモニターを指差した。世界中の映像。崩壊する街。逃げ惑う人々。戦うハンターたち。この全てを止める方法を見つけられるのは——確かに、鑑定を持つ俺だけだ。
だが三島は。
「——俺が行く」
声は背後から聞こえた。
振り返った。ラボの入口に久我山修が立っていた。装備店カーゴの店主。元Bランク探索者。その手には——古びた長剣が握られていた。
使い込まれた革の柄。巻き直された痕が何重にもなり、手に馴染んだ独特の質感を持っている。指が触れた瞬間に伝わるのは、何百回もの戦闘を経た重み。久我山が現役時代に振っていた剣だ。
「久我山さん……」
「10年前の武器だがな。手入れだけはしてある」
久我山が剣を肩に担いだ。薄い笑み。だがその目は——真剣だった。カーゴの店主として見せていた飄々とした雰囲気が消え、Bランク探索者の殺気が滲んでいる。
「三島の居場所はわかるか」
凛が即座にアイリスを操作した。最後の通信ログから推定位置を算出する。
「15層付近。通信途絶直前のGPS信号がそこで止まってる。ただ、ダンジョン内部が暴走状態だから——正確じゃない」
「15層なら行ける。Bランクの俺でも」
久我山が革の柄を握り直した。ぎゅ、と音が鳴る。古い革が悲鳴を上げる、戦いの前の音。
「柊。お前にはお前の仕事がある。世界を救うだか何だか知らんが——三島の回収は俺に任せろ。あのガキは、お前にとっても俺にとっても、大事な後輩だからな」
久我山がラボを出て行った。背中が廊下の暗がりに消える。その足取りに迷いはなかった。
◇
久我山を見送った後、俺はラボに戻った。
17面モニターが地獄を映し出していた。東京サードダンジョン周辺では自衛隊の装甲車が展開し、探索者ギルドの精鋭が迎撃態勢を敷いている。だが深層モンスターの戦闘力は地上のハンターを凌駕していた。Aランクの探索者が4人がかりで一体の深層モンスターをようやく押し返す。それが何十体も流出している。
「凛、鑑定で暴走の原因を追う。アイリスのデータと同期してくれ」
「了解。全センサーデータを共有する」
鑑定をフル稼働させた。こめかみに鈍痛が走る。だが今は痛みに構っている暇はない。
コアの試験終了処理——そのプロセスを鑑定で逆算する。なぜ12時間も前倒しになったのか。なぜ制御が一気に解除されたのか。
┌──────────────────────────────────┐
│ <深層分析:暴走原因> │
│ │
│ 試験終了処理プロセス: │
│ Phase 1: 制御系統切断(完了) │
│ Phase 2: モンスター管理解除(実行中) │
│ Phase 3: ゲート収束(未着手) │
│ Phase 4: コア停止(未着手) │
│ │
│ 異常要因:Phase 1とPhase 2の間にバッファなし │
│ → 制御切断と同時にモンスターが野生化 │
│ → ゲートは収束前に拡張(安全弁解放) │
│ │
│ 予測:Phase 3到達まで残り約18時間 │
│ ゲート収束後、全モンスターは消滅 │
│ ただしそれまでの被害は不可避 │
└──────────────────────────────────┘
「18時間耐えれば終わる——だがその18時間で、どれだけの犠牲が出る」
営業時代に学んだことがある。最悪のシナリオを想定し、それを防ぐための最善策を探す。赤字プロジェクトの損切り判断と同じだ。感情を排して数字を見る。だが——目の前の数字は、人命だった。
凛がアイリスのデータを重ねた。全世界47箇所のモンスター流出データ。被害予測。避難状況。
「最悪ケースで推定死者数——」
「言うな」
俺は凛を止めた。数字にしたら、動けなくなる。
代わりに鑑定をさらに深く潜らせた。暴走を止める方法はないのか。18時間を短縮する手段は。コアに直接干渉する方法は——。
鑑定ウィンドウが揺れた。文字が金色に変わる。これまでに見たことのない色だった。通常の青白い光でも、警告の赤でもない。金色。ダンジョンのコアからの——直接メッセージ。
┌──────────────────────────────────┐
│ <コア直接通信> │
│ │
│ 核の暴走停止条件: │
│ 最深層での直接対話 │
│ │
│ 残存対話資格者:1名 │
│ │
│ 読み手レベル4・柊一颯 │
│ │
│ ※最深層到達後、コアとの直接対話により │
│ 試験終了処理の安全な完了が可能 │
│ ※対話資格者が不在の場合、 │
│ 暴走は自然収束を待つのみ(推定18時間) │
│ ※自然収束時の推定被害:██████ │
│ │
│ 柊一颯——お前だけが、止められる。 │
└──────────────────────────────────┘
金色の文字が俺の名前を浮かび上がらせた。鑑定ウィンドウの中で、文字が脈動している。コアの鼓動と同じリズムで。
凛が画面を見て、息を呑んだ。
「最深層への……直接対話……」
世界を救う鍵。それは軍隊でもなく、Sランクの探索者でもなく、政治的な交渉でもない。
ハズレスキルと呼ばれた鑑定を持つ、元営業マンの——俺だけ。
俺は金色に輝く鑑定ウィンドウを見つめた。こめかみの痛みが遠くなった。代わりに胸の奥が熱くなる。恐怖と使命感が混ざり合い、言葉にならない感情が渦を巻いている。
「行くしかないな」
声は、思ったよりも静かだった。
外ではサイレンが鳴り続けている。世界が崩壊しつつある音。その中で——俺の鑑定ウィンドウだけが、金色の光を放っていた。




