暴露——クロノスの闇
桐生恭子の指がマウスの左ボタンを押し込んだ瞬間、俺のスマホが震えた。通知バイブが連続して鳴る。ブブブブブブ——。止まらない。
午前十時。桐生が独立系オンラインメディア『フロントライン』に調査報道を公開した。タイトルは——『ダンジョン管理局とクロノスグループの闇——八億円の装備品水増し調達、その全貌』。
「公開しました」
桐生の声は静かだった。だが画面を見つめる目には——炎があった。自分の仕事場のデスクに座り、三台のモニターでSNSの反応とアクセス数をリアルタイムで追っている。記事公開から三十秒でアクセスカウンターが四桁に達した。一分後には五桁。
「桐生さん。俺も始めます」
通話を切り、配信の準備に入った。
◇
自宅の配信部屋。カメラの前に座り、配信を開始した。
ダンジョンの中からの配信ではない。探索者免許を停止されている俺は、今はダンジョンに入れない。だが——鑑定データのアーカイブは俺の手元にある。過去の配信で取得した全ての鑑定結果。クロノス製装備品の品質分析。素材グレードと市場価格の乖離。
配信タイトルは『【緊急配信】俺の鑑定データ、全部見せます——クロノス製装備の真実』。
開始三秒で視聴者カウンターが跳ねた。一万、五万、十万——。秒単位で数字が加速していく。画面右上のカウンターの桁が増えるたびに、数字が一瞬赤く光る。十五万。二十万。まだ止まらない。
凛がアイリス経由でデータを送ってくる。整理された鑑定データのグラフ。クロノス製装備品の品質スコアと価格の相関図。明らかな異常値が赤くハイライトされている。
【来た来た来た!】
【桐生さんの記事読んだ。ガチじゃん】
【マコト:落ち着いて聞こう。柊さんの鑑定データは配信アーカイブに残っている。改ざんの余地がない証拠だ】
【八億円って……探索者何人分の命の装備だよ】
「皆さん、今日は特別配信です。まず——桐生恭子さんの記事を読んでください。リンクは概要欄に貼ってあります」
俺は過去の配信アーカイブから、クロノス製装備品を鑑定した場面を次々と映した。鑑定ウィンドウに表示された素材グレード、耐久値、推定製造コスト。それを凛が作成した市場価格データベースと並べて見せる。
「この剣——配信第十二回で鑑定したクロノス製のBランク剣です。鑑定結果では素材グレードC。耐久値は同価格帯の職人製の六割。にもかかわらず、管理局の調達価格は市場の二・四倍でした」
コメント欄が爆発した。
【は? Cグレード素材でBランク価格?】
【ドクター:医療装備も同じ構造。クロノス製の回復キットの中身を鑑定したら、ジェネリック品と同等だった回があったよね】
【シロ:データ集計しました。過去の配信で鑑定したクロノス製装備品87点のうち、表示グレードと実際の素材グレードが一致していたのは23点。乖離率73.6%】
【73パーセント!?】
【これ国会案件だろ】
視聴者カウンターが三十万を超えた。まだ上がっている。SNSのトレンドに『クロノス』『ダンジョン管理局』が同時にランクインした。そして——ハッシュタグが生まれた。
#探索者免許を返せ
凛からメッセージが来た。
『トレンド一位です。ニュースサイト五社が桐生さんの記事を転載申請しています』
営業マン時代の上司の言葉を思い出した。『プレゼンは数字で語れ。感情は数字の後についてくる』。鑑定スキルが叩き出した数字は——嘘をつかない。
次に映したのは、配信第二十八回のアーカイブだ。クロノス製の防護アーマーを鑑定した場面。
┌──────────────────────────────────┐
│ <鑑定結果(過去アーカイブ)> │
│ 名称:クロノスGX-7 戦闘防護アーマー │
│ 表示グレード:A │
│ 実素材グレード:B- │
│ 耐久値:1,840 / 3,000(表示値の61.3%) │
│ 推定製造コスト:約18万円 │
│ 管理局調達価格:約72万円 │
│ 市場適正価格:約30万円 │
│ 備考:内層の衝撃吸収材に廉価品を使用 │
└──────────────────────────────────┘
「この防護アーマー。管理局は一着七十二万円で調達しています。だが鑑定結果では——中身は三十万円相当の品です。差額の四十二万円が、毎回どこかに消えている」
コメント欄の流速が限界に達していた。文字が滝のように流れていく。
【ふざけんな。俺このアーマー使ってた。命預けてたのに】
【マコト:冷静に。この鑑定データは配信のアーカイブに記録されている。つまり日時も配信IDも残っている。法的証拠としての価値が極めて高い】
【シロ:管理局の調達データと柊さんの鑑定データの時系列を重ねました。発注タイミングと品質低下に相関があります。三年前から段階的に素材グレードが下がっています】
【三年前……影山が局長になった年だ】
【ドクター:医療系の装備品でも同じパターン。止血パックの成分鑑定で、ジェネリック品と同等だった。命に関わるんだよ、これは】
視聴者カウンターが四十万を突破した。桐生の記事と俺の配信が互いにリンクされ、SNS上で同時に拡散している。情報の相乗効果。営業で言うなら——クロスセルが完璧に機能している状態だ。
◇
同じ頃——管理局の記者会見場は、戦場になっていた。
テレビの中継画面を見ながら配信を続けた。管理局の広報官が壇上に立っている。フラッシュの光が機関銃のように点滅する。パシャパシャパシャパシャ——。記者たちの怒号が飛ぶ。
「八億円の水増し調達についてコメントを!」
「柊一颯氏の免許停止と記事の関連性は!」
「影山局長は記者会見に出席しないんですか!」
広報官の顔は蒼白だった。用意されたペーパーを読み上げるが、声が震えている。
「現在、記事の内容について事実確認を進めている段階であり、確認が完了次第——」
「確認って何を確認するんですか! 公文書は本物なんですか!」
時間稼ぎ。典型的な危機管理の初動ミスだ。否定も肯定もしない曖昧な回答は——事実を認めたも同然だと受け取られる。営業マン時代に何度も見たパターンだ。クレーム対応で最初に曖昧な態度を取った会社は、必ず炎上する。そしてこの広報官は——明らかに、影山に押しつけられた貧乏くじだ。局長本人が会見に出てこない時点で、管理局の内部統制は崩壊している。
管理局の会見と同時刻。
クロノス本部ビルの一室で——神代蒼真がタブレットを叩きつけた。
鈍い音が個室に響いた。画面にひびが入ったタブレットの上に、桐生の記事が表示されている。蒼真は記事を三度読んだ。二度目で眉間の皺が深くなり、三度目で——拳を握り締めた。
蒼真はAランク探索者だ。クロノスのエースとして、ダンジョン攻略の最前線に立ってきた。その蒼真が使っている装備——クロノス製の最高級品。それが市場価格の三倍で管理局に納入されている。差額は——どこに消えている?
鷹取から直接支給された装備だ。最高の素材を使っていると説明された。だが柊一颯の鑑定データが示す数字は——
「鷹取さん……」
蒼真の声は低かった。信頼していた。クロノスの理念を信じていた。探索者の安全のために最高の装備を提供する——その理念に共感して、エースの座を引き受けた。
だが記事が事実なら——俺は、何のために戦ってきた?
蒼真は自分の右手を見下ろした。この手で何体のモンスターを倒してきた。何人の探索者を守ってきた。クロノスの名を背負って、誇りを持って。その誇りの土台が——砂だったと言うのか。
壁に掛けられた剣を見た。クロノス特注品。鷹取が直接手渡してくれた。あの時——鷹取は言った。『君にしか使いこなせない最高の一振りだ』と。あの言葉も——嘘だったのか。
柊一颯の鑑定を受けてみたい。そう、ふと思った。この剣の本当の素材グレードを——知りたい。知るのが怖い。だが——知らなければならない。
タブレットの画面が暗くなった。蒼真の顔が黒い画面に映った。Aランク探索者の顔ではなかった。裏切られた人間の顔だった。
◇
クロノス本部ビル最上階。鷹取誠一郎の私室。
暖炉の火が揺れていた。オレンジ色の光が鷹取の横顔を照らしている。炎の温もりとは裏腹に——鷹取の表情は氷のように冷たかった。
壁掛けの大型モニターには、柊一颯の配信画面が映っている。視聴者カウンターは四十万を超えていた。SNSのトレンドには #探索者免許を返せ がランクインしている。
「鷹取代表。桐生の情報源は管理局内部の人間と見て間違いないかと。内部調査を——」
側近の報告を、鷹取は片手を上げて遮った。暖炉の火に視線を向けたまま、静かに言った。
「内部調査は後でいい。それよりも——柊の周辺を洗え」
「周辺、ですか」
「柊一颯は配信者だ。視聴者がいる限り、直接手を出せば世論が爆発する。だが——周辺は別だ。柊を支えている人間を一人ずつ孤立させていく」
鷹取が暖炉の前の椅子に深く腰を下ろした。炎の光が目に反射して——琥珀色に光った。
「三島大輝」
側近が身を固くした。
「三島鋼一郎の息子ですね。Cランク探索者。柊のパーティーメンバー」
「あの子は確か、単独でダンジョンに入ることがあるね?」
鷹取の声は穏やかだった。穏やかすぎた。営業マン時代に出会った本当に危険な経営者は——怒鳴らない。声を荒げない。静かに、穏やかに、致命的な指示を出す。
「Cランクの若い探索者が、単独でダンジョンに潜る。危険な行為だ。管理局として——安全管理の観点から、注意を促すべきではないかな」
側近が鷹取の意図を理解した。顔から血の気が引いていく。
「鷹取代表。まさか——」
「柊一颯は免許を停止されている。ダンジョンに入れない。だが三島大輝は入れる。もし三島が単独でダンジョンに入って——何か不測の事態が起きたら。それは管理局の安全管理の問題であって、我々の関与とは無関係だ」
暖炉の火が一瞬大きく揺れた。鷹取の横顔が赤く照らされた。その目が——冷たく光った。獲物を見定めた捕食者の目。
「最終段階だ。桐生の記事ごときで、クロノスは揺るがない。ただし——見せしめは必要だ」
鷹取が暖炉に薪をくべた。火が勢いを増す。パチパチと弾ける音が、広い私室に静かに響いた。
その炎の向こうに——三島大輝の若い顔が、揺らめいていた。




