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【ハズレスキル】鑑定しかない俺がダンジョン配信したら、隠し部屋も罠もボスの弱点も丸見えで世界最速クリアしてしまった件  作者: ぽんぽこライフ


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板挟みの調査官

 朝霧千歳の机の上で、内線電話のランプが三つ同時に点滅している。隣のデスクでも同僚が受話器を耳に押し当てながら、もう片方の手でパソコンを叩いている。普段は静かな調査課のフロアに——今日は嵐が来ていた。


 電話のコール音。走り回る足音。エレベーターのチャイム。プリンターの排出音。全てが同時に鳴り響いて、フロア全体が一つの巨大な騒音になっていた。


 桐生恭子の記事が公開されてから——八時間。管理局は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。


「朝霧主任。局長室から呼び出しです」


 後輩の声が、騒音の中から辛うじて聞こえた。


「了解」


 席を立つ。デスクの上に置いた内線電話が、また鳴り始めた。無視した。今は——局長室のほうが重要だ。


 廊下を歩きながら、スマホで柊一颯の配信アーカイブをちらりと確認した。視聴者数四十三万人。#探索者免許を返せ がSNSトレンド一位。世論は——完全に管理局批判に傾いている。


 局長室の前で深呼吸した。扉を開ける。



  ◇



 影山局長は——笑っていた。


 それが一番怖かった。記事が出て八時間。世論は炎上し、記者会見は失敗し、SNSは管理局批判で埋め尽くされている。にもかかわらず——影山は、穏やかに笑っていた。


「朝霧主任。内部調査チームに君を入れることにした」


「内部調査チーム、ですか」


「桐生の記事の事実確認だ。記事に使われた公文書が本物かどうか、出所はどこか——それを調べるチームだ。君は調査課のエースだからね。適任だ」


 影山の笑顔の裏にある意図は明白だった。事実確認ではない。記事の信憑性を否定する材料集め。公文書の出所を特定して——リーク元を潰すこと。それが内部調査チームの本当の目的だ。


「承知しました」


 感情を出さずに答えた。研究者として、官僚として、組織の指示に従う。それが朝霧千歳という人間の行動原理だった——今までは。


 局長室を出た。廊下に戻ると——足が重かった。


 柊一颯の鑑定データを、内部調査チームの資料として見ることになる。それは——学術的に見て、驚異的な価値があるデータだ。鑑定スキルが装備品の素材グレードを数値化する。その精度は既存のどんな分析機器よりも高い。朝霧は研究者として、そのデータの意味を正確に理解できる立場にあった。


 問題は——理解してしまったら、どうするか、だ。



  ◇



 昼休み。朝霧は管理局の地下資料室に降りた。


 階段を降りるたびに、空気が変わっていく。上のフロアの騒がしさが嘘のように静まり返った地下。古い紙とインクの匂いが鼻腔を満たす。湿った空気。天井の蛍光灯が一本切れかけていて、通路の奥が薄暗い。埃が蛍光灯の光の中をゆっくり舞っている。


 朝霧は調査チームの権限を使って、過去三年分のダンジョン関連予算の原本にアクセスした。デジタルデータではなく、紙の原本。公文書のデジタルコピーは改ざんが可能だが、原本には修正液の跡や、追記のインクの色の違いが残る。


 棚の奥から引き出したファイルを開く。紙の端が黄ばんでいる。三年前の調達決議書。影山局長の承認印。クロノスの子会社名義の見積書。金額欄——桐生の記事と一致する数字が並んでいた。


 原本は本物だ。


 朝霧はさらに奥のファイルに手を伸ばした。内部調査チームの調査範囲は過去三年だが——朝霧の目的は別にあった。


 五年前のファイル。七年前。そして——十年前。


 十年前のダンジョン探索関連予算のファイルを開いた。探索者管理台帳のコピーが挟まっている。台帳のページをめくる。登録探索者のリスト。名前、ランク、所属、活動記録——


 朝霧の指が止まった。


 リストの一部が——空白だった。名前が消されている。修正液ではない。最初から印字されていない。データベースから削除された上で、紙の台帳も空白のまま再出力されている。意図的な消去の痕跡。


 十年前に消された探索者。三島鋼一郎——だけではない。空白は複数あった。少なくとも三人分。プロジェクト・アポスル。影山が隠している計画。その参加者の名前が——ここにあったはずだ。


 朝霧はファイルを戻し、資料室を出た。階段を上がりながら——決断を固めていった。



  ◇



 午後一時。都心の公園のベンチに、朝霧は座っていた。


 昼休みの公園は、サラリーマンたちでそこそこ賑わっている。誰も、地味なスーツを着た女が重大な秘密を抱えていることに気づかない。


 秋の風が吹いた。朝霧のストレートの黒髪が揺れる。ベンチの木は冷たかった。十一月の東京。手袋をしていない指先が、かじかみ始めている。


 隣に——柊一颯が座った。


 事前にメッセージで打ち合わせていた。別々のルートで公園に来て、偶然隣のベンチに座ったように見せる。朝霧は弁当を広げ、柊はコンビニのおにぎりを食べ始めた。傍目には——昼食を取る赤の他人に見えるだろう。


「朝霧さん。記事、見ました」


 柊の声は小さかった。おにぎりを食べながら、前を向いたまま話している。


「内部調査チームに入りました。方向性は——記事の信憑性否定です」


「予想通りです」


「柊さん。三つ伝えることがあります」


 朝霧はポケットから手書きのメモを取り出した。薄い便箋に、万年筆で書かれた細かい文字。デジタルでは記録を残せない。紙の質感が指先に伝わる。滑らかな便箋の表面。


「一つ目。十年前の探索者管理台帳に、意図的に消された空白エリアがあります。三島鋼一郎以外にも、少なくとも二名の記録が抹消されています。プロジェクト・アポスルの参加者は——三名以上です」


 柊の手が一瞬止まった。おにぎりを噛む動作を再開する。


「二つ目。あなたの免許停止処分には、手続き上の瑕疵があります。探索者免許の停止は行政処分であり、本来は事前の聴聞手続きが必要です。影山局長は緊急措置として即時停止しましたが——緊急措置の要件を満たしていません。異議申立てを行えば、法的には処分の効力を停止できる可能性があります」


「つまり——免許を取り戻せるかもしれない」


「法的な争いになれば、ですが。弁護士が必要です」


「桐生さんの記事のおかげで、協力してくれる弁護士は見つかるかもしれない」


 朝霧は三つ目の情報をメモに書き足した。柊にメモを渡す。ベンチの上で、弁当箱の隣に何気なく置く。柊がおにぎりの包装紙を丸めるついでに、メモを拾い上げた。


「三つ目。ダンジョン三十一層以降のエリアに関する管理局のデータが——意図的に秘匿されています。第二階梯と呼ばれるエリアの情報は、局長決裁の機密扱いになっていて、一般職員はアクセスできません。ですが——十年前のプロジェクト・アポスルは、この第二階梯への到達を目的としていた可能性があります」


 風が強くなった。公園の木の葉が舞い上がる。朝霧は髪を押さえた。


「朝霧さん。これを俺に伝えるリスクは——分かってますよね」


「分かっています」


「なぜ」


 朝霧は少し黙った。弁当の卵焼きを箸でつまみ、口に運んだ。噛んで、飲み込んで——答えた。


「私は研究者です。真実を無視する研究者は——研究者ではありません」


 柊が横目で朝霧を見た。朝霧はその視線を受け止めなかった。前を向いたまま、弁当を食べ続けた。


「それに——柊さん。あなたの鑑定データは学術的に極めて価値が高い。鑑定スキルの出力を定量分析に応用する手法は、既存の研究では確立されていません。あのデータが政治的な理由で握りつぶされるのは——科学に対する冒涜です」


 研究者としての信念。官僚としての立場。人間としての良心。三つの自分が——今、同じ方向を向いた。


 柊がおにぎりの最後の一口を食べ終えた。


「朝霧さん。ありがとうございます」


「お礼は——全てが終わってからにしてください。まだ何も終わっていませんから」


 二人はベンチから立ち上がった。別々の方向に歩き出す。秋の風が、二人の間を吹き抜けた。



  ◇



 夜。朝霧は自宅マンションに帰った。


 廊下を歩き、自分の部屋の前に立った。鍵を取り出す——そこで、手が止まった。


 鍵穴を見た。


 朝、家を出る時の習慣がある。鍵を閉めた後、ドアノブを二回引いて施錠を確認する。その時、鍵穴の向きは必ず真下を向く。だが今——鍵穴の向きが、わずかに右にずれていた。二度ほど。普通の人間なら気づかない程度の、微かなずれ。


 朝霧は研究者だ。観察と記録が習慣になっている。毎朝同じ角度で鍵を閉める。その角度を——体が覚えている。


 心臓が跳ねた。だが表情は変えなかった。マンションの廊下に監視カメラがあることを知っている。もし誰かが見ているなら——動揺を見せてはいけない。


 鍵を開けて、部屋に入った。靴を脱ぐ。いつも通りの動作。手を洗い、スーツを脱いで部屋着に着替えた。そしてようやく——書斎のパソコンの前に座った。


 マウスを動かしてスリープを解除した。ログイン画面が表示される。パスワードを入力し、デスクトップが表示された。


 何気ない動作で——システムログを開いた。


 タイムスタンプが並んでいる。アクセス履歴。ファイルの最終更新日時。プログラムの起動記録。朝霧は毎日、帰宅後にログを確認する習慣がある。研究者の性分だ。


 そして——見つけた。


 午後二時十四分。朝霧が管理局の地下資料室にいた時間帯。パソコンがスリープから復帰した記録があった。パスワードの入力試行が三回。三回目で成功。ファイルエクスプローラーの起動。ドキュメントフォルダへのアクセス。閲覧されたファイルは——朝霧が個人的に作成していたダンジョン研究のメモ。第二階梯に関する考察ノート。柊一颯の鑑定データの分析草稿。


 全て閲覧されている。コピーされた形跡はないが——見られた。


 朝霧は画面を見つめた。タイムスタンプの数字が、蛍光灯の光の中で冷たく光っていた。見覚えのない時間。見覚えのないアクセス。


 影山が——動き始めている。


 リーク元を探すための内部調査チームに朝霧を入れたのは——朝霧を監視するためだったのかもしれない。泳がせて、行動を観察し、確証を得てから処分する。管理職がよく使う手法だ。


 朝霧はパソコンの画面を閉じた。部屋の明かりを消した。暗闇の中で——ベッドに腰かけた。


 手が震えていた。恐怖だった。研究者として、官僚として、十五年積み上げてきたキャリアが——今、崩れようとしている。


 だが——後悔はなかった。


 スマホを取り出した。柊一颯への連絡手段は限られている。直接会うか、使い捨ての番号で短いメッセージを送るか。明日の昼休みに——もう一度、公園に行こう。


 伝えなければならないことが、まだある。影山が朝霧の動きを把握しているなら——残された時間は、長くない。


 暗い部屋の中で、玄関のドアを見つめた。鍵穴のわずかなずれ。二度の角度の違い。それは——組織の中で一人で戦うことの代償だった。


 朝霧千歳は目を閉じた。明日も——研究者として、正しいことをする。たとえその代償が——全てを失うことだとしても。

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