総力戦
オペレーション・ダイアローグ。
ゲート付近に設営された仮設テントの中で、俺は長テーブルの端に座っていた。テーブルを囲むのは——三日前なら絶対にありえない面子だった。
蒼真が右端に座っている。クロノスのAランクチーム「フロストバイト」のリーダー。鍛え上げられた体躯。冷静な目。その隣に——鷹取誠一郎がパイプ椅子に腰掛けている。クロノスの代表。スーツに皺一つない。元Sランクの威圧感を纏ったまま、テントの貧相なパイプ椅子に座っている違和感。
蒼真と鷹取が同じテーブルにいる。蒼真は鷹取の顎を砕いた男だ。鷹取は蒼真を使い捨ての駒として扱おうとした男だ。それが今、同じ地図を見つめている。
反対側には千歳が管理局の代表として座り、その後ろに影山が立っていた。局長の椅子を譲り、壁際に立つ影山の姿には——権力者が権力を手放した後の静けさがあった。
「作戦概要を説明します」
千歳が立ち上がった。ホワイトボードの前に立ち、赤いマーカーを手に取る。
「第一段階。蒼真率いるフロストバイトが先遣隊として40層まで降下。道中のモンスターを排除しながら、循環系統のアクセスポイントまで柊さんを護衛します」
蒼真が小さく頷いた。感情を見せない男だが、その目に——決意の光があった。
「第二段階。40層の循環系統アクセスポイントから、柊さん単独で循環系統に侵入。凛さんのナビゲーションシステムでコアの位置を追跡しながら最深部を目指します」
「単独?」
三島が声を上げた。左腕の包帯が痛々しい。
「循環系統の内部は通常の探索者では耐えられない。鑑定スキルの防護がなければ——意識を持っていかれる。読み手だけが通れる道だ」
影山が壁際から答えた。十年前のデータに基づく、経験者だけが知る事実。
「第三段階。柊さんがコアとの対話に成功した場合、大崩壊の安全な終了処理を実行。ゲートの収束とモンスターの制御を回復させます」
千歳がマーカーのキャップを閉じた。
「第三段階が失敗した場合は——」
「考えない」
俺は言った。全員の視線が集まる。
「営業の鉄則だ。最悪のシナリオを想定するのは大事だが、プレゼン中にそれを口にしたら負ける。今は——成功する前提で動く」
鷹取が鼻で笑った。だがその笑みには——嘲りではなく、不思議な好意があった。
「相変わらず面白い男だ。元営業マンの世界救済か」
「ゲート周辺の防衛線はクロノスが引き受ける」
鷹取が立ち上がった。パイプ椅子が軋む。
「自衛隊との連携は私が直接調整した。防衛大臣とは旧知でね。ゲート半径二キロの警戒線を自衛隊が担当し、ゲート直近の戦闘はクロノスのBランク以上が当たる。作戦中、地上からのモンスター流出は我々が食い止める」
蒼真が無言で鷹取を見た。かつての駒が、今は対等なパートナーとして同じ作戦を担う。その視線を鷹取は受け止め——微かに頷いた。それだけで十分だった。言葉は要らない。
「通信中継は俺が」
三島が手を挙げた。左腕が痛むのか、顔をしかめながら。
「循環系統内部は通常の電波が届かない。中継装置を各階層に設置して、柊さんと地上の通信を確保します。40層までは先遣隊と一緒に降りて——」
「三島くん。その左腕で?」
千歳が眉を顰めた。
「利き手じゃないんで大丈夫です」
三島の声には迷いがなかった。父親が最深層にいる。その事実が、三島を動かしている。
◇
凛のラボ。作戦会議の後、俺はここに来ていた。
凛が作業台に向かっている。その手元に——星霜鉱の欠片があった。深層で採取された特殊鉱石。ダンジョンのエネルギーを吸収し、増幅する性質を持つ。凛はそれを小さなレンズ状に加工し、アイリスのセンサーモジュールに組み込もうとしていた。
「これを循環系統用の防護装置に使う」
凛の指が星霜鉱の欠片をピンセットで摘み、レンズの枠に嵌め込んだ。カチリ、という微かな音。そして——指先に共鳴振動が伝わった。凛の手が一瞬止まる。振動は腕を伝い、肩まで達した。星霜鉱がダンジョンのエネルギーと共鳴している証拠だ。
「大丈夫か」
「平気。こういう反応があるってことは、ちゃんと機能してる証拠」
凛が額の汗を拭った。作業台の上にはアイリスのパーツが分解されて並んでいる。メインボード、センサーアレイ、通信モジュール、そして新たに追加する循環系統ナビゲーションユニット。
「循環系統の内部構造は通常のマッピングが効かない。壁も床も天井もなくて、エネルギーの流れだけがある空間だって影山さんの資料に書いてあった」
凛の指が次のパーツを取り上げた。ナビゲーションモジュール。管理局の深層データとペンダントの位置信号を組み合わせた、コア追跡専用のシステム。
「だからアイリスにリアルタイムで流れの方向を解析させる。コアの位置が動いても、循環系統のエネルギーの流れを辿れば——必ず追いつける。GPSじゃなくて、血管の中を流れる血流の方向で位置を測るイメージ」
凛がモジュールを基板にはんだ付けした。煙が細く立ち上る。はんだの匂い。金属が融ける甘い匂いと、星霜鉱の加工時に放つ独特の鉱物臭が混ざり合っていた。
「凛」
「なに」
「ありがとう」
凛の手が止まった。はんだごてを持ったまま、俺を見た。
「何よ急に」
「いや——お前がいなかったら、ここまで来れなかった。アイリスのシステムも、データ解析も、今回の防護装置も。全部お前の技術だ」
凛が目を逸らした。はんだ付けに戻る。だが耳が少し赤くなっているのが見えた。
「帰ってきたら言って。今は——集中させて」
その声は小さかったが、震えてはいなかった。凛なりの覚悟だった。送り出す側の覚悟。表舞台に立たない裏方の、静かな矜持。
◇
装備店カーゴ。久我山が最後の調整をしていた。
焼入れしたばかりの金属の匂いが店内に充満している。鼻の奥がツンとする、熱い匂い。久我山が俺専用の装備を仕上げていた。星霜鉱を組み込んだ護身用のナイフ。加工時の独特の金属臭——通常の鉄とは違う、どこか甘い鉱物の匂いがする。
「これで最後だ」
久我山がナイフを差し出した。刃渡り20センチ。軽い。だが手に持った瞬間にわかる、尋常ではない切れ味。鑑定を起動すると、ナイフの性能が表示された。
┌──────────────────────────────────┐
│ <装備鑑定:星霜鉱ナイフ> │
│ │
│ 製作者:久我山修 │
│ 素材:深層鋼+星霜鉱(刃先コーティング) │
│ 特性:ダンジョンエネルギー干渉 │
│ 耐久度:極めて高い │
│ │
│ ※循環系統内部でも機能を維持 │
│ ※星霜鉱の共鳴により鑑定精度を補助 │
└──────────────────────────────────┘
「久我山さん。十年前——藤堂さんにも、こうやって装備を渡したんですか」
久我山の手が止まった。一瞬だけ。そしてまた動き出した。
「ああ。あいつにもナイフを渡した。帰ってこいよ、って言って。あいつは笑って——『もちろん』って言った」
久我山が俺を見た。右目の端に皺が寄る。笑おうとして、笑えなかった顔。
「柊。帰ってこい」
「もちろん」
同じ言葉を返した。藤堂真理と同じ言葉。だが俺は——必ずその約束を守る。
◇
自宅に戻ったのは深夜だった。
明日の出発に備えて、最後の確認をしていた。装備は久我山が整えてくれた。アイリスの新システムは凛が仕上げた。作戦の細部は千歳が詰めた。あとは——俺が行くだけだ。
テーブルの上に藤堂真理のペンダントを置いた。銀色の楕円形。十年の歳月で表面が少しくすんでいるが、内部の仕組みは生きている。凛がそう確認してくれた。
ペンダントに手を伸ばした——その瞬間。
振動した。
これまでの微かな振動ではなかった。激しく、断続的に。手に取ると、振動が指から手の平へ、手首へ、腕全体へと伝わった。骨に響くような共鳴。歯の奥がかすかに痛む。
鑑定が勝手に起動した。俺の意思ではない。ペンダントの振動に引きずられるように、鑑定ウィンドウが開いた。
文字が金色だった。
┌──────────────────────────────────┐
│ <緊急通信:ガーディアンコア> │
│ │
│ 発信者:藤堂真理(意識残存体) │
│ 信号強度:極めて微弱 │
│ │
│ 「読み手よ。急いで。 │
│ 私の——わたしの意識が、 │
│ もう長くは——」 │
│ │
│ ⚠ 通信途絶 │
│ ⚠ 意識残存率:推定12%以下 │
│ ⚠ 完全融合まで推定残り時間:48時間未満 │
└──────────────────────────────────┘
文字が途切れた。金色の光が明滅し、消えかかり、また微かに灯る。消えそうなロウソクの炎のように。
藤堂真理。ガーディアンと融合して十年。その意識がまだ——完全には消えていなかった。だが限界が近い。四十八時間。それを過ぎれば、藤堂の意識はガーディアンに完全に飲み込まれる。
ペンダントの振動が弱まった。最後の力を振り絞ってメッセージを送ったのだろう。十年間、意識の片隅で助けを待ち続けた女性の、最後の叫び。
俺はペンダントを握りしめた。金属の冷たさが掌に食い込む。
四十八時間。
循環系統を通ってコアに辿り着くまでに、どれだけの時間がかかるかわからない。だが——間に合わせる。間に合わせなければならない。
窓の外は夜明け前の暗さだった。明日——いや、もう今日だ。オペレーション・ダイアローグが始まる。
藤堂真理を。三島鋼一郎を。そしてこの世界を——ハズレスキルの元営業マンが、取り戻しに行く。




