第三十九話:千切れぬ約束は想いを縛る
曇天から僅かに月光が差す、広野の傍ら。
見慣れた焚き火。
それが、小さく爆ぜた。
「5000年…か。想像、つかないな」
サラの手は、僅かに震えている。
それを隠すように、サラは焚き火に手を翳す。
ファルは自嘲するような笑みだけで何も言わない。
「ねぇ…『あれ』は教皇なの?それとも、神様なの?」
ファルと同じ姿だった男。
でも、明確に違う冷たさ。
ファルは、迷いもせずに口を開く。
「あれは、教皇の肉体を借りた『神の残骸』。死してすら、永劫をさ迷う執着の塊だよ」
「執着…」
サラは、焚き火で暗褐色に染められた胸元の藍方石を、指で転がした。
温められても、冷たい石。
その感覚を確かめる。
「『遺骸』が肉体の名残なら、『あれ』は魂の名残だ」
ファルが手の傷を撫でながら、焚き火に視線を写した。
「消えたくない。共に在りたい。そんな執着が『あれ』をあの姿にして、留めている」
自分に投げ掛けているような声。
否定したいと嘆くような声。
でも、聞かずにはいられない。
「…消えないの?」
「俺には、もう無理…だろうな」
歯切れの悪いファルの答えに、鉛のような重さがある。
暫しの沈黙。
いつもより、少しだけ離れた肩が寒い。
「…堕ちたって、どういう意味?」
ファルが傷を撫でる手を止め、視線が傷を捉えている。
長い沈黙。
答えを待っても、返ってこないのではと思える程に。
サラは、離れた肩を寄せ、確かな温もりを感じる。
「…サラは、俺を哀れだと思うか?」
不意に返された質問。
「ううん。…ファルは、凄いよ」
サラは、不思議そうに顔を覗かれた。
それに笑顔返す。
「ずーっと、一人で長い間約束守って…凄いよ。でも…前にも言ったでしょ?ファルは馬鹿だよ」
サラは楽しげに笑って見せた。
釣られて、ファルも笑顔を溢す。
「そうだな。俺は、とてつもない馬鹿だな」
「うん」
少しだけ笑い合い、直ぐに沈黙が支配した。
心地よい筈の沈黙が、今は重苦しく感じる。
サラが手を伸ばし、指がファルの手の傷を撫でる。
「この傷…止まってるみたい…」
二人の視線が互いの手に乗り、同じ時間を共有しているのが分かる。
「そっか…堕ちたって……」
撫でていた指が、傷を包む。
「…俺は、生きていたいと、そう思える」
「うん…生きていて欲しい」
サラが手を握ると、ファルも握り返す。
互いに力を込める。
離さないように。
離れないように。
……忘れないように。
「サラは、いつか、俺を……殺せるか?」
それは、サラがした約束。
それは、酷く残骸な約束。
ファルの手の傷が、否応なしに突き付けてきた。
「ファル…私さ、やっぱり……うそつきだ」
サラの声が激しく揺れ、体温より少しだけ冷たい雫が、ファルの手の甲に落ちる。
「やだ、よ…っ……できないよ…」
ファルの手を握る手が激しく震え、空いている手は必死に涙を拭う。
サラの嗚咽だけが木霊する。
「私は…ただ……一人になんて…っ」
同じ景色を。
同じ時間を。
――生きて…死にたい。
言いたい。
なのに、言葉が、出ない。
気付いたら、ファルの胸に顔を埋めていた。
優しく、強く、背中に回される腕。
「…その時が来るまで……一緒にいよう」
酷く冷静なファルの声は、サラの涙に飲まれて消える。
サラの腕は、解けない鎖を繋ぐように、ファルの背に回される。
ファルが見上げた曇天の隙間からは、月の明かりすら見えなかった。




