第三十八話:交わらぬ色と絶たれた色
同じ声。
同じ瞳。
同じ顔。
なのに、酷く冷たい。
「なに、『あれ』…」
「教皇…いや、執着し過ぎた神の残骸だ」
ファルはどこか詰まらなそうに男を見据えている。
不意に、男の視線がサラに向けられた。
「ソフィア、良く来たね。…いや、今の君はサラ、だったかな?」
男の抑揚のない声。
聞き覚えのある無機質な声に、サラの瞳が濁る。
「貴方なんて知らない。その顔…声で、その名前を…私の名前を呼ばないで」
サラの拒絶が届いていないかのように、男はゆっくりと、一歩ずつ近づく。
「この姿、君は昔から好きだっただろう?」
抉られるような声に悪寒が走る。
ファルの袖を握る手が僅かに引かれ、黒い肩がサラの視界に入った。
ファルは、男がサラに届かないように立ち塞がる。
「哀れだな…残骸になってまで執着するか」
「哀れとは、君のための言葉だよ。ファルネーゼ」
男は立ち止まり、まるで鏡写しのようにファルを見つめ返した。
「僕の『物』のくせに、僕の『物』を奪おうとした。挙げ句、神でも人でもなくなった君は、本当に哀れだよ」
白い衣の男は、淡々と、事実を告げるように言い放った。
その視線はファルを通り越し、背後のサラを再度捉えた。
「……誰が『物』だって?」
ファルの背中越しに、冷え切った声が漏れた。
サラの指先が、首飾りの石を強く、撫でた。
「全てだよ、ソフィア。魂も、欠片ほどの記憶も、僕の『物』なんだよ」
「私は、ソフィアじゃない」
その瞬間、サラの手から、袖が解けた。
「黙れ、神の名を模した『残骸』が」
ファルが地を蹴り、一瞬で白い男の間合いを潰す。
振り抜かれた黒い腕。
だが、男は避けることさえせず、同じように白い腕を振り抜く。
甲高い音が庭園の草花を揺らした。
男の視線は、ファルの手の傷を捉えた。
「やはりか。君も、堕ちたんだね」
「それがどうした」
二人は音を立てたまま、同じ瞳で互いを写す。
「なら、返してくれないかな」
「断る!」
初めて聞くファルの強い声。
更に高い音が弾け、二人の距離が離れる。
「君は、相変わらず怖いね。堕ちても手が出せないんだから」
それでも淡々とした声。
そして、直ぐにサラに向けられる視線。
「ソフィア、それと居たら、君もソフィア達のように壊れてしまうよ」
ゆっくりと伸ばされた白い手。
サラは手を伸ばし、ファルの手を握る。
「私の居場所は、私が決める」
「面白いことを言うね。お人形の君が抗うなんて」
男は一歩だけ歩みより、更に手を伸ばす。
しかし、サラの視線はファルを見ている。
ファルの手を握る手に力が入る。
「私は、ここに居る。ここに居たいの…だから…」
サラの瞳に一筋だけ光が差す。
その光に、男が初めて表情を変えた。
「…邪魔、しないで」
無機質なサラの声。
その声に、男は距離を取り、ファルを鋭く見つめた。
「…ファルネーゼ。君、やってくれたね。これが、5000年越しの君の願いかい?」
男が口にした歳月に、サラの手が震えた。
その震えた手を、ファルが握り返す。
「いや、これは、他の誰でもない…サラの願いだ」
「…ファル?」
振り向いたファルは、酷く優しい目。
「サラはサラだ。…ソフィアなんかじゃない」
ファルの言葉に、男が目を伏せた。
サラには、ファルの言葉が、別れのように聞こえる。
そんなサラの耳に、男の声が混じる。
「世界はこんなにも美しいのに、どうして人の心はこんなにも残酷なんだい?」
男の問いかけに、ファルは空を見上げた。
「逆だよ…人の心はこんなにも美しいのに、どうして世界はこんなにも残酷なのか…」
男は少しだけ瞳を揺らした後、笑みを作りファルを見据えた。
その笑みが、サラには人間らしく見える。
「ファルネーゼ。僕も君も、いつも『玩具』に壊されてしまうね」
男はゆっくりと静かに空を見上げた。
その背が、長い歳月を重ねていく。
「どのみち…終わる。残骸は残骸らしくしていろ」
ファルがその背に言葉を投げる。
男は、振り返ることなく大聖堂の奥へ進んでいく。
「ファルネーゼ。君は本当に哀れだよ」
発せられた男の声は掠れ、
「哀れな神に言われたくないな」
ファルはサラの手を引き、男に背を向けた。
握ったサラの手が解けないように握り直す。
一人の男と、二人の足音は交わることなく遠ざかる。
「ファル…ちゃんと話してくれる?」
「そうだな。話を、しよう」
サラの瞳に写る黒い瞳の金の円環が、僅かに途切れて見えていた。




