266.
R-15描写を含みます
何かに叩きつけられた感覚があった。息が喉で詰まり、枝や枯葉が全身を打った。
「ぅ゙、っ」
どれほど転げ落ちたのか分からない。
衝撃が止まった後も、燐はすぐには動かなかった。
「相手が忍なら耳すましてたって無駄か」
遠くで何かが動く気配はない。
無意識に確認した後で、気配無く近寄っていたお浜の正体はやはり忍だったのだろうと燐はゆっくりと指先を動かした。
次に、確かめるように手首、肘、肩、脚を同じように順に動かす。
「よし、動く」
痛みはあったが、折れてはいない。
心音も安定してきた。
燐は仰向けのまま首を巡らせ、周囲を見渡す。
「起きれる、かな」
夜明け前の何となく輪郭が分かる程度の明るさで、移動は可能だ。
燐はゆっくりと身体を起こそうと地面につけた両手に力を籠めた。
「痛っ……だよね、無傷な訳ないよね」
痛みに顔を顰め見れば、袖が裂けて血が滲んでいて、転げ落ちた実感が沸いたような気がした。
燐は何となく視線を地面へと落とし、衝撃に必死に両手で口を押えた。
叫べば見つかる。見つかれば捕まる。
分かっていてもせり上がる恐怖に体はガクガクと震えた。
頬が引き攣り、指先が白くなるほど力が入る。
落ちた衝撃が少なかった理由が、理解できてしまった。
柔らかい。湿っていて、冷たくて、けれど地面とは違う。
燐は頬に食い込むほど両手に力を籠め、必死に声を押し殺し、荒い呼吸を沈めようと視線を前に向けた。
小刻みに揺れていた視界が滲む。
自分の呼吸音が大きく響いている。
止めなければ見つかる。なのに全く自制が利かない。
今自分は、伏せで雪と血にまみれた獣人の上に居る。
その事実に燐は暫く動けなかった。
大分呼吸が落ち着くと、燐は未だ震える身体を抑えながら、そっと視線を周囲に移した。
木々の幹には、抉られたような深い傷がいくつもあり、所々に液体が打ち付けられ飛び散った様な染みがあった。
折れた棒が、雪の中に半ば埋もれている。
ぐちゃぐちゃに踏み荒らされている地面には、争ったであろう痕がそのまま凍りついていた。
少し先に、鎧を着たまま倒れている影が見える。
「ふ…ぅ゙ッ」
うつ伏せで、逃げる途中に斬られたのだと一目で分かると、鼻の奥がじわりと痛み口から小さく声が漏れた。
ぼやけた視界に映った風呂敷。
燐はその側まで歩くと、落ちていた風呂敷を掴み、その場に屈む。
「ぅ゙ぅー、……ふ、ぅ」
汚れた雪を払って膝の上に広げ中身を確認した。
ポケットティッシュ、手拭い、メモ帳、ペン。
自分の揺るぎない日常を包み直し、胸に強く抱きしめる。
「|所詮モブには《素敵ヒロインじゃないから》助けなんて来ないんだから。しっかりしろ、自分っ」
燐は、恐怖も一緒に吐き捨てるように声を出すと立ち上がり、もう一度ゆっくりと周囲を見回す。
少し先には間隔を開けて、同じ方向に俯せで倒れている人影。
逃げて、追われて、斬られたのだろう。
もし同じ時間帯に転げ落ちていたら自分もこうなっていた。
「ある意味ラッキーだったんだ、大丈夫」
燐は呟きながら涙を袖で拭うと、ティッシュで思い切り鼻をかみ、口から大きく息を吸う。
「あ……。重かったと思うけど、ありがとうございました。貴方のおかげで歩いて帰れます」
燐は自分が落ちた方を振り向くと、手を合わせ静かに頭を下げた。
そしてなるべく新しい足跡をつけないように気をつけながら泥道を歩く。
「……」
森の異質な気配を感じ取った影は、その不可思議な女の様子を訝し気に木の枝から見ていた。
徐々に明るくなる空、今まで見えなかった景色が遠くまで見える。
「知ってる、この道」
帰れるかもしれない!と燐の足の動きも自然と早まる。
その瞬間だった。
「手間ぁ取らせやがって」
耳元に、声が落ちた。燐の背筋が凍りつく。
反射的に振り向こうとして、足がもつれた。
雪と泥を踏み、体勢を崩した腕がグイと引かれる。
「さ、行くよ」
力任せに燐の腕を掴んだお浜は捻り上げるように引っ張る。
痛みに顔を顰めた燐は抵抗するよう、腕に力を込めた。
「チッこのまま折ってやろうか?さっさと歩き」
舌打ちし、忌々し気に歪んだ顔で振り向いたお浜は、途中で言葉を切った。
「……え?」
小さく開けたままの口で燐を見ていたお浜の膝が崩れ、ずるりと力なく燐の腕からお浜の腕が離れ地面に落ちた。
「……お浜、さん?」
膝立ちのまま、鈍い音を立てて地面に倒れたお浜の名を呼ぶが、返事はない。
俯せたお浜の目は開いたまま、焦点が合っていなかった。
「ヒ、 はっ、……ぁ」
燐の胸元がヒクヒクと動く度、短い声が漏れる。
燐は上手く呼吸が出来ず、ペタリとその場に座り込んだ。
ついさっきまで自分を殺そうとしていた相手が、目の前で殺された。
お浜の背に刺さる棒。
燐は簡単に命が奪われた状況に動けずにいた。
「お燐っ!」
バタバタと自分の名を何度も叫びながら、足音が近付いてくる。
「お燐っアンタ、……平気かい?」
雪と血が混じった泥に足を取られたかのように座り込んでいた燐。
目を見開いたまま返事のない姿に、滝は冷たくなった燐の肩を抱き起こすと帰路に着いた。
城での出来事は、短編→最期のとばり




