265.
洞穴の中には焚火がぱちりと爆ぜる音だけが響く。
燐は胸の前で寝藁を握ったまま目を閉じていた。
実感ないもんなぁ
地響きの正体が戦だと分かっている。だが、どこか現実味がなかった。
「お燐さんも寝れねえのかい?」
藁の擦れる音と一緒に聞こえた声に、燐も向きを変える。
同じように寝藁に包まっていたお浜と目が合う。
「あん人が隣に居ねぇと寂しい。お燐さんもだろ?」
そういえばこの人新婚さんだったわと、燐はお浜の言葉を理解すると熱の集まる顔を顰めた。
「……朝になったら、様子を見に行ってみようよ」
お浜の提案に燐は小さく頷いた。
ここに籠もっていても、不安が消えるわけではなかったし、滝たちと合流できていないことが、胸の奥に引っかかっていた。
「眩し……」
翌日。外へ出ると、日が高く昇っていた。
夜が明けたというより、時間だけが勝手に進んでしまったような感覚だった。
モグラってこんな感じなのかな
眩しさに目を細め、冷たい山の空気に身を縮める。
大分明るさに慣れたと周囲を見回したが、どちらが長屋の方角なのか分からない。
「ほら、あっちが長屋だよ。煙が出てんだろ?」
お浜が指差す先には、黒い煙が幾筋も立ち上っていた。滝も、およねも無事だろうか?
「アタシが逃げて来た時にゃ長屋の入り口の門から火が回っててさ」
「……全部、燃えたんでしょうか?」
お浜は、燐が暫く身を乗り出して見ていたのを確認すると、そろそろ帰ろうと促した。
「暇だねぇ」
「確かに。すること無いですもんね」
隠れ家に戻っても特にすることもない。だれるお浜に苦笑しながら同意と頷く。
「作ってすぐの時は旨かったと思ったんだけど」
「お湯に少し浸けておくと柔らかくなるみたいですよ」
食事時。燐は昨日滝と話したことを思い出しながら、硬いと顔を顰めているお浜に提案してみた。
「ええーなんてぇのか、婆の飯みたいでさぁ。あ、滝さんたちにゃ言わないどくれよ」
慌てた様に付け加えたお浜は、硬い団子を口に入れ後からお湯を含む。
「温かい飯が食えるだけ、……今頃何食ってんのかねぇ」
ほぅと小さく息を吐くお浜の言葉に、きっと夫を思ってるんだろうなと燐はお椀のお湯を啜る。
その後もお浜は夫の話をぽつぽつと続け、2人は寝藁に包まった。
夜更け。
ドン、と鈍い音がし地面が揺れた。うとうとしていた燐は、音に驚き身を起こす。
「動かねぇ方が良い」
短く言ったお浜の声は落ち着いていた。燐はギュッと風呂敷包みを胸元に握る。
「なんだろ……」
ドドドと穴の横を音が通り過ぎ、その後遠くで響く金属が擦れたような音も響く。
燐の口から不安が零れた。
「分かんないけど、こういう時は動かねぇ方が良いってお滝さんが言ってたからさ」
お浜と燐は息を潜めてパラパラと落ちる土を見ていた。どれほどそうしていたか分からない。
「止まったみてぇだし、見てくるよ」
燐の呟きに頷いたお浜は躊躇なく入口の岩を退かして闇の中へ消えた。
燐はお浜が居なくなると、そっと胸元に入れた匂い袋の着いた扇子を確かめた。
「何してんだい?」
「ヒッ、あ、帯が緩んでて」
背後から気配も無く掛けられた静かな声に、燐はビクリと小さく跳ねた。
振り向くとお浜が立っている。
「出るよ」
「え?」
お浜の声に不安気に答える燐の腕をお浜が強引に掴む。燐は抵抗せず引かれるまま外に出た。
「戦場が近かった。あんなとこ、すぐ見つかっちまう」
暗い山道をお浜は迷わず進んでいく。
踏み外せば転げ落ちると分かっていても、闇の中では距離感が掴めず、黙って腕を引かれていた燐をお浜が振り向く。
「突然出るって言って、悪かったね」
燐の心中を察したのか、お浜は申し訳なさそうな顔で付け加えた。
燐は無言で首を横に振る。
何処に向かうのか。
煙の臭いに混じって、焦げたような臭いに燐は袖で鼻と口を覆った。
「……私攫っても富とか無理ですよ?」
燐の言葉に、お浜はぴたりと足を止めた。振り向き、大きく息を吐く。
「聡いとは聞いてたけどさ」
その声は、もう隠す気もないほど冷たかった。
「富なんざ後でいい。今欲しいのは武田の武運で、浮世人を渡すのがアタシの仕事だ」
お浜は逃がさないとでも言わんばかりに燐の腕を強く掴み、以前のように足元を確かめる様子もなく獣道を進んでいった。
燐は声を上げる余力もなく、抵抗することも無かった。
呼吸は荒く、口元を覆う事も出来ず咳き込みながらも転ばぬよう必死に足を動かした。
「なぁ。いつから知ってたんだい?」
暗闇がうっすら白む頃。
もうすぐ引き渡し場所だと分かると、お浜は歩みを緩め燐を振り返る。
「っ……は、ぁ」
額から流れた汗が顎を伝い、膝は小さく震え、逃げるどころか踏み出す力さえ残っていない燐の姿に、お浜の緊張が一瞬緩んだ。
「ぁ」
額の汗を拭おうと腕を上げた瞬間、燐の身体は後ろへ傾き、藪の中へ吸い込まれるように姿を消した。
まさか落ちるとは思わなかったお浜は舌打ちし慌てて自らも道から藪の中へと身を落とす。
が、そこに燐の姿はなかった。
「くそっ」
お浜は短く悪態をつくと忍笛を咥え鋭い音を響かせた。




