二人の魔術犯罪者
最初に異変を知らせたのは、ノアだった。
『警告。周辺環境に不自然な魔力反応を検出しました』
午後五時四十二分。天城市北部、旧第七研究区画。
夕暮れの光が、廃止された研究施設の窓を赤く染めていた。
「……魔力反応?」
『緑魔術、原生循環術式に類似する術式反応です。ただし、稼働記録はありません』
「朔夜」
「ああ。俺も気づいた」
伊佐波朔夜が腰の魔術デバイスへ手を伸ばした。
二人がここへ来たのは、人工供物の輸送経路を確認するためだった。
先日の襲撃事件。奪われた人工供物と黒魔術による異形化。そして、黒い外套の魔術師。
学院に共有された輸送資料には、不自然な空白があった。車両は襲撃地点へ到達する前、一度だけ予定経路を外れていたのだ。
朔夜が青魔術《論理構築術式》で交通記録を照合し、その場所が旧研究区画だと突き止めた。
もっとも、二人に捜査権限はない。外周から確認し、教官へ報告するだけの予定だった。
「……ここ、立入禁止区域じゃないよね?」
「ああ。外周道路は一般開放されてる。ただし、フェンスの向こうは違う」
使用されなくなった研究棟が並び、壁には蔦が絡みついていた。
『熱源反応を二つ確認。距離、約百四十メートル。こちらへ接近しています』
「……二人?」
「玲司。下がれ」
朔夜が一歩前へ出た。
その瞬間、フェンスの向こうで緑色の光が弾けた。
爆発。
轟音とともに炎が道路を横切る。
「――っ!」
玲司は身を屈めた。熱風が頬を焼き、フェンスが赤熱する。
「玲司、左へ!」
朔夜の声に従い跳ぶ。直後、火柱がアスファルトを砕いた。
炎の向こうから二人の男が現れた。
一人は灰色のコートを着た痩せた男。長銃型デバイスを構えている。もう一人は黒い作業服の大柄な男だった。
「……学生か。思ったより若いな」
「関係ねえ。見られたなら、始末するだけだ」
玲司の喉が動いた。
冗談ではない。明確な殺意だった。
「お前ら、何者だ」
「答える義務があるか?」
「ないな」
朔夜が銃口を上げる。
「なら、こっちも遠慮しない」
痩せた男の足元に緑色の術式が広がった。
「壊しがいがある」
次の瞬間、炎が爆ぜた。
◇
最初の三秒で、玲司は理解した。
この二人は、今までの敵とは違う。
炎が正面、左、頭上から迫る。
『緑魔術、原生循環術式による広域制圧術式。推奨回避方向、右後方!』
玲司は後退した。
「そっちは駄目だ!」
朔夜が叫ぶ。
大柄な男が炎の死角から回り込んでいた。拳が赤く輝く。
赤魔術、生命錬成術式による身体強化。
玲司が銃を構えるより早く、拳が迫った。
「――遅い!」
朔夜が割り込み、赤魔術で強化した腕で拳を受け止めた。
衝撃でアスファルトに亀裂が走る。
「……へえ。ガキにしちゃ、やるじゃねえか」
「そりゃどうも。でも、お前の方は大したことないな」
「……あ?」
「踏み込みが大きい。重心も前に寄りすぎだ」
朔夜の瞳に青い光が走った。
相手の腕を外へ流し、身体を沈める。
「力任せに殴ってるだけなら、俺には当たらない」
赤く輝く拳が男の腹部へ突き刺さった。
「ぐっ……!」
巨体が後方へ滑る。だが、男は踏みとどまった。
「――朔夜!」
玲司が叫ぶ。
痩せた男が長銃を構え、三重の緑色術式を展開していた。
炎が螺旋を描く。
朔夜は青魔術で術式構造を解析し、左へ踏み込んだ。
直後、炎の槍が右側を通過した。
「……なるほど」
敵の連携が見えた。
一人が炎で戦場を制圧し、もう一人が死角から接近する。炎の配置は大柄な男の進路を塞がず、突進のタイミングまで調整されていた。
「玲司。俺が近接を抑える。お前は炎の術者を牽制しろ」
「……分かった!」
『実戦用カートリッジへの切替を確認してください』
「切り替えた!」
『残存カートリッジ、四。射撃補助を開始します』
玲司は痩せた男へ照準を合わせ、引き金を引いた。
乾いた銃声。
しかし、男はわずかに身体を傾けて避けた。
「素直な射撃だな、学生さん」
次の瞬間、玲司の足元から炎が噴き上がる。
「――っ!」
横へ跳び、地面を転がった。
『警告。敵術式の発動位置が変化しています』
玲司は歯を食いしばった。
敵は回避方向を読んでいる。
いや、逃げ道そのものを作っているのだ。
◇
朔夜は青魔術、論理構築術式を起動した。
炎の発生位置、展開速度、大柄な男の移動経路。それらを重ね合わせる。
「……見えた」
炎には一定の周期がある。次の術式へ移行するまでの隙を突けばいい。
朔夜は赤魔術で筋力と反射速度を強化し、踏み込んだ。
大柄な男の拳の内側へ入り込み、肋骨を狙う。
だが、その瞬間。
「……かかったな」
男が笑った。
青魔術の解析結果が、一瞬で変化する。
「――なっ」
予測とは違う位置、違うタイミングで緑色の光が爆ぜた。
背後から炎が迫る。
回避は間に合わない。
朔夜は咄嗟に背部を強化した。
衝撃。
熱。
「ぐっ……!」
地面へ転がり、右肩から背中に激痛が走る。制服の一部が焦げていた。
「朔夜!」
「……来るな!」
朔夜はすぐに立ち上がった。
敵は青魔術、論理構築術式による解析を見抜き、わざと一定の発動間隔を見せていた。
解析結果そのものを罠にしたのだ。
「いやあ、惜しかったな」
痩せた男が笑う。
朔夜は奥歯を噛みしめた。
「……いい連携だ」
「褒めても何も出ねえぞ」
「いや、褒めてるんじゃない」
朔夜が銃口を上げる。
「覚えたんだ」
大柄な男の笑みが消えた。
◇
玲司は焦っていた。
あの朔夜が負傷した。
自分がもっと強ければ。もっと正確に撃てれば。
『玲司。焦燥による判断精度の低下を確認。深呼吸を推奨します』
「……そんなこと、言ってる場合じゃ……!」
玲司が銃口を向けた瞬間、頭の奥で何かが揺れた。
灰色の建物。崩れた壁。硝煙の匂い。
――違う。
知らない記憶の中で、誰かが言った。
――撃つな。
玲司は、はっとした。
今撃っても当たらない。むしろ敵が位置を変え、それに合わせて大柄な男が朔夜を攻撃する。
自分の射撃が、敵の連携を完成させてしまう。
「……僕が、見なきゃいけないのは」
玲司は銃口を下げ、目を閉じた。
怖かった。
記憶が流れ込むたび、自分の中に知らない何かが増えていく。
けれど、朔夜を助けたい。
その気持ちだけは確かだった。
意識を沈める。
複数の戦場が浮かび上がった。
銃撃戦。崩壊した市街地。仲間を救出するために敵陣へ突入する兵士。
玲司は、その中から今の状況に最も近い記憶を探した。
二人の敵。
遠距離からの制圧と近接攻撃。
守らなければならない仲間。
――あった。
その瞬間、世界が変わった。
◇
雨が降っていた。
崩れた市街地を、二人の敵が移動している。
一人は遠距離から銃撃し、もう一人は死角から接近する。
仲間は負傷して動けない。
撃てば接近され、動けば撃たれる。
逃げ道はない。
そのとき、記憶の中の玲司は銃を構えた。
敵を撃つためではない。
二人が互いに支援できなくなる場所へ弾丸を撃ち込んだ。
一人が反射的に身を引き、もう一人が援護を失う。
連携が崩れ、仲間を救出する道が開いた。
――そうか。
敵を倒す必要はない。
まず、連携を崩せばいい。
狙うべきは敵の身体ではなく、次に動かなければならない場所。
玲司は目を開いた。
◇
『警告。異常な情報処理を検出』
ノアの声が遠くに聞こえた。
炎の発生位置。大柄な男の踏み込み。痩せた男の銃口。
そして、二人の連携を繋ぐわずかな空間。
「……朔夜! 右へ、二歩!」
朔夜が一瞬だけ玲司を見る。
「……分かった!」
朔夜が右へ踏み込み、大柄な男が追う。
痩せた男が炎の術式を展開した。
その瞬間、玲司は引き金を引いた。
狙いは男ではない。
次に移動するはずだった足元。
弾丸が地面へ着弾する。
「……っ!」
痩せた男が反射的に身を引いた。
術式の展開位置がずれ、炎が本来より外側へ広がる。
大柄な男の進路を塞いだ。
「なっ……!」
男が足を止める。
ほんの一瞬。
だが、朔夜には十分だった。
「――よくやった、玲司!」
青魔術で敵の動きを解析。
緑魔術で退路を塞ぐ。
そして、赤魔術。
朔夜の身体が赤く輝いた。
踏み込み、加速、拳。
男は防御したが、遅い。
拳が防御の内側へ滑り込み、腹部を打ち抜く。
「がっ……!」
朔夜は男の腕を掴み、重心を崩して地面へ叩きつけた。
轟音とともにアスファルトが砕ける。
『対象一名、戦闘不能』
だが、戦闘は終わらなかった。
◇
「……てめえら」
痩せた男の表情が歪む。
長銃型デバイスに幾重もの緑色術式が重なった。
「ガキが……!」
炎が膨れ上がる。
『警告。高出力術式の発動を確認!』
逃げるには距離が足りない。
朔夜も戻れない。
「玲司! 左へ!」
玲司が反射的に動いた。
朔夜のデバイスが青く輝く。
青魔術による術式構造への干渉。
炎の発動位置がわずかに歪んだ。
続いて緑魔術。
朔夜の前方に炎の壁が形成され、敵の炎と衝突する。
轟音。
熱風。
視界が白く染まった。
「――っ!」
玲司は地面へ伏せた。
衝撃が身体を押し流し、耳鳴りが響く。
そして、静寂。
顔を上げると、炎は消えていた。
朔夜が立っている。
右肩の制服は焦げ、背中には血が滲んでいた。
だが、その銃口は敵を捉えていた。
「……終わりだ」
痩せた男は動けなかった。
足元には青い術式。周囲には緑色の炎。
退路は完全に塞がれている。
「デバイスを捨てろ」
男はしばらく睨んでいたが、やがて長銃を落とした。
『敵対行動の停止を確認』
玲司は、ようやく息を吐いた。
◇
都市防衛局が到着したのは七分後だった。
朔夜が戦闘中に送信した緊急通報を受け、警備部隊が駆けつけたのだ。
二人の魔術犯罪者は拘束され、研究区画は封鎖された。
玲司と朔夜も事情聴取を受けた。
朔夜は輸送経路を調べていたこと、立入禁止区域には入っていないこと、先に攻撃されたことを説明した。
「……君たちは学院の生徒だな」
「はい」
「今回の行動は非常に危険だった」
朔夜は素直に頭を下げた。
「……すみません」
「謝罪は学院にもしてもらう。まずは医療班の診察を受けなさい」
職員が朔夜の右肩を見た。
「その傷は放置できない」
「……分かりました」
玲司は朔夜の背中を見つめた。
自分を守るために負った傷だった。
◇
診察が終わる頃には、夜になっていた。
朔夜の火傷は比較的軽度で、後遺症の可能性は低いという。玲司も軽い打撲と疲労だけだった。
だが、頭痛だけは治まらなかった。
「……っ」
『玲司。頭痛の程度を確認してください』
「……六、くらいかな」
『十段階評価で六。加えて、記憶情報の混線を検出しています』
「……記憶?」
『戦闘後から記憶検索に不自然な遅延が発生しています。確認を行います』
ノアの声が低くなった。
『今朝、何を食べましたか?』
「……えっと」
玲司は自宅の食卓を思い浮かべた。
いつもの朝。いつもの時間。
だが、何を食べたのか思い出せない。
「……パン、だったかな」
『記録では、米飯と味噌汁を摂取しています』
「……そう、だっけ」
記憶の一部が、白く塗り潰されたようだった。
『次の質問です。戦闘中に読み込んだ記憶について説明してください』
玲司は目を閉じた。
雨の市街地。崩れた建物。銃声。負傷した仲間。
そして、その名前。
「……エリオット」
無意識に呟いていた。
ノアが沈黙する。
「……え?」
エリオット。
聞いたこともないはずの名前。
なのに、知っていた。
その男の顔も、笑い声も、冗談も。
そして、どんなふうに死んだのかも。
「……っ!」
激しい頭痛が走った。
雨。血。瓦礫。
エリオットが倒れている。
胸から赤い血が広がっていた。
――エリオット!
誰かが叫んでいる。
それは、自分の声だった。
玲司はそんな場所へ行ったことがない。そんな人間と出会ったこともない。
なのに、涙がこぼれた。
「……なんで。なんで、僕……」
『玲司。記憶情報の混線を確認。継続使用は推奨できません』
玲司は答えられなかった。
自分のものではない記憶。
生きていないはずの人生。
失っていないはずの大切な人。
玲司は震える手で顔を覆った。
怖かった。
力を使うことが。
知らない記憶が流れ込むことが。
そして、いつか。
今の自分が消えてしまうことが。
◇
待合室の入口で、朔夜が立ち止まっていた。
椅子に座り、顔を覆う玲司。
その肩が、わずかに震えている。
朔夜は静かに拳を握った。
今日の戦闘で、玲司は明らかに変わっていた。
突然身体が動いただけではない。
自分の意思で戦術を切り替え、敵の連携を見抜き、必要な射線を選び、朔夜へ指示を出した。
見事な判断だった。
だが、その代償がこれなのか。
朔夜は親友を見つめた。
幼い頃、自分を助けてくれた少年。
勝てるはずのない相手へ、震えながら立ち向かった少年。
あのときの玲司は強くなかった。
それでも、朔夜にとっては誰よりも強かった。
だから、今度は自分が守る番だと思っていた。
なのに。
目の前の親友は、自分の知らない何かに少しずつ変わろうとしている。
「……玲司」
その声は届かなかった。
朔夜はしばらく立ち尽くし、やがて待合室へ足を踏み入れた。
親友がどんな力を手に入れても。
どれだけ変わってしまっても。
自分だけは、その隣に立ち続ける。
そう、決めていた。




