選ばなかった自分
最初の銃声は、玲司が引き金に指をかけるより早く響いた。
『玲司様、回避してください!』
「――っ!」
反射的に身体を投げ出す。
直後、背後の隔壁が爆ぜた。
青白い魔術弾が鋼鉄を貫通し、分厚い装甲を内側から引き裂く。破片が降り注ぐ中、玲司は床を転がって体勢を立て直した。
「……今の、僕が撃つつもりだった場所だ」
狙っていたのは敵の右肩。
相手の銃を封じるための一撃。
しかし、引き金を引く前に、その射線を撃ち抜かれていた。
中枢保管区の広間。
無数の記憶媒体が並ぶ巨大な空間の中央に、少年が立っていた。
黒い制服。
右手の拳銃型魔術デバイス。
そして、久遠玲司とまったく同じ顔。
『対象の識別名称を確認。記憶模倣体・第九号』
ノアが告げる。
『玲司様の過去の《技術読込》(スキルロード)記録を基礎として、複数世界の戦闘経験を統合した人工供物です』
「……僕の、記憶を?」
『正確には、玲司様が読み込んだ別世界の経験です』
模倣体が銃口を上げた。
その動作を見た瞬間、玲司の背筋が凍る。
知っている。
あの構えを。
肩の角度。重心の置き方。引き金を引く直前の呼吸。
すべて、かつて《愚者の選択》(ロードアルカナ)で読み込んだ技術だった。
「玲司、下がれ!」
朔夜が踏み込む。
赤魔術、生命錬成術式。
赤い光が脚部を包み、床が砕けた。
朔夜は左手のデバイスを構え、模倣体の側面へ回り込む。
しかし。
模倣体は振り向かなかった。
銃口だけを僅かに動かす。
銃声。
「――なっ!」
朔夜の足元が爆発した。
踏み込む予定だった位置を正確に撃ち抜かれ、身体が宙へ浮く。
「朔夜!」
「構うな!」
朔夜は空中で身体を捻り、左手から青い魔術弾を放った。
模倣体は半歩だけ移動する。
それだけで、弾丸は空を切った。
『敵対象、回避行動を完了。次弾装填まで〇・四秒』
ノアの警告。
玲司は咄嗟に銃を向けた。
だが、模倣体の銃口は既にこちらを捉えていた。
「……っ!」
二つの銃声が重なる。
玲司の魔術弾は模倣体の頬を掠めた。
対して、敵の弾丸は玲司の右腕を貫いた。
「ぐっ……!」
激痛。
デバイスを落としかける。
「オタクくん!」
澪の白魔術、神話顕現術式が展開した。
白い障壁が玲司を包み、追撃の魔術弾を弾き返す。
しかし、模倣体は既に次の位置へ移動していた。
玲司たちが防御を固める場所を、最初から知っていたかのように。
◇
「……どうして、全部分かるんだ」
玲司は荒い呼吸を整えながら呟いた。
『対象は玲司様の射撃判断を高精度で予測しています。さらに、過去の連携記録を参照している可能性があります』
「……つまり、僕たちの戦い方も」
『はい』
模倣体が歩き出す。
その足取りには、一切の迷いがなかった。
玲司が左へ動けば、先に左の射線を塞ぐ。
右へ回れば、移動先に弾丸が飛んでくる。
射撃を中断して防御へ移ろうとすれば、その瞬間を狙って踏み込んでくる。
まるで、自分の頭の中を覗かれているようだった。
「……違う」
玲司は歯を食いしばった。
覗かれているのではない。
相手は、既に知っているのだ。
自分がどんな状況で、どんな選択をしてきたのか。
どの距離なら撃つのか。
どの角度なら避けるのか。
誰かが危険に晒された時、何を優先するのか。
そのすべてが、敵の中に保存されている。
『玲司様。対象の戦闘経験量は、現在の玲司様を大幅に上回ります』
「……分かってる」
玲司は銃を握り直した。
右腕が震える。
だが、引くわけにはいかなかった。
背後には透花がいる。
澪が支えているものの、少女の呼吸は浅く、顔色も悪い。
これ以上、戦闘を長引かせることはできない。
玲司は目を閉じた。
そして、意識を自分の内側へ向ける。
根源魔術《愚者の選択》(ロードアルカナ)。
別世界の自分が積み重ねた経験を読み込む能力。
もっと優れた射撃技術を。
もっと高度な戦闘判断を。
目の前の敵を上回るための経験を。
『警告』
ノアの声が響いた。
『現在の記憶接続には、御影征司による干渉が残存しています』
「……うん」
『追加の《技術読込》(スキルロード)は、敵対象への戦闘情報供給となる可能性があります』
玲司は目を開けた。
模倣体が、こちらを見ていた。
表情はない。
ただ、次の行動を待っている。
玲司はゆっくりと息を吐いた。
「……使わない」
『確認しました』
「……今は、使わない」
その瞬間。
模倣体が動いた。
◇
銃声が三度響く。
玲司は一発目を避け、二発目を障壁で受けた。
三発目。
弾丸が障壁の薄い部分を貫く。
「――っ!」
腹部に衝撃。
身体が後方へ吹き飛ばされた。
「玲司!」
朔夜が割り込む。
赤魔術で強化した左腕が、玲司の身体を受け止めた。
「……大丈夫か!」
「……うん、何とか」
「嘘つけ。顔色最悪だぞ」
朔夜は玲司を床へ下ろし、模倣体を睨んだ。
「……なるほどな」
「……何が?」
「あいつ、お前の戦い方を知ってるだけじゃねえ」
朔夜はデバイスを構えた。
「お前がどういう奴かまで知ってやがる」
玲司は息を呑んだ。
模倣体は、玲司が仲間を守ろうとする瞬間を狙っていた。
澪を守るために防御へ回る。
朔夜を助けるために射線を変える。
透花が危険になれば、最優先でそちらへ向かう。
それらは、玲司自身の判断だった。
だからこそ、敵には読みやすい。
「……だったら、どうすれば」
「決まってるだろ」
朔夜は笑った。
「お前が考えそうにないことをする」
「……え?」
「俺に任せろ」
朔夜が踏み込んだ。
赤魔術による加速。
模倣体の銃口が、即座に朔夜へ向く。
しかし、朔夜は攻撃しなかった。
左手のデバイスを床へ向ける。
青魔術、論理構築術式。
床面の構造解析。
直後、緑魔術、原生循環術式が発動した。
床の亀裂から、植物の根が一斉に伸びる。
模倣体の足元へ絡みつく。
だが、敵は即座に跳躍した。
空中へ逃れる。
「……そこだ!」
朔夜が叫ぶ。
玲司は反射的に銃を向けた。
しかし。
模倣体は、既に玲司の射線から外れていた。
銃口がこちらへ向く。
『玲司様、射撃中止!』
「……っ!」
玲司は引き金から指を離した。
同時に、朔夜が叫ぶ。
「撃つな! そのまま伏せろ!」
玲司は床へ倒れ込む。
直後、頭上を青い魔術弾が通過した。
だが、弾丸は玲司を狙っていなかった。
背後の壁。
そこに設置されていた魔術灯を撃ち抜く。
広間の照明が、一斉に消えた。
「……え?」
暗闇。
玲司は一瞬、状況を理解できなかった。
しかし、朔夜の声が響く。
「玲司! 敵を見るな!」
「……見るな?」
「ノアの観測を使え! お前は俺の指示だけ聞け!」
玲司は息を呑んだ。
自分で判断しない。
敵を見て、過去の経験から最適解を選ぶのではない。
朔夜に判断を委ねる。
それは、玲司がこれまでほとんど選ばなかった戦い方だった。
『玲司様。敵対象の位置情報を取得しました』
「……朔夜!」
「分かってる!」
暗闇の中、赤い光が走った。
◇
朔夜は、模倣体へ真正面から突っ込んだ。
当然、敵は反応する。
玲司の戦闘記録に基づけば、朔夜はこの距離から右側へ回り込み、青魔術で射線を制御する。
模倣体の銃口が右へ向いた。
だが、朔夜は左へ跳んだ。
さらに、踏み込む途中で急停止する。
模倣体の弾丸が、何もない空間を貫いた。
「……読めねえだろ!」
朔夜は笑った。
次の瞬間、床へ左手を叩きつける。
緑魔術が発動。
伸びた根が、模倣体の右足首を絡め取った。
敵は即座に根を撃ち抜く。
しかし、その間に朔夜は背後へ回り込んでいた。
「玲司! 今だ!」
『敵対象、座標更新。前方十一メートル、右三度』
「……分かった!」
玲司は銃を構えた。
だが、模倣体は即座に回避行動を取る。
玲司の射撃角度を予測している。
それでも。
「……撃たない!」
玲司は引き金を引かなかった。
代わりに、銃口を僅かに下げる。
敵の足元。
そこへ、魔術弾を撃ち込んだ。
爆発。
床が砕け、破片が舞う。
模倣体は反射的に跳躍した。
その先に、朔夜がいた。
「もらった!」
赤魔術、生命錬成術式を纏った左拳が、模倣体の腹部へ叩き込まれる。
鈍い衝撃音。
模倣体の身体が大きく折れ曲がった。
だが、敵は倒れない。
空中で身体を捻り、朔夜の左腕を掴む。
そのまま、至近距離から銃口を向けた。
「――っ!」
『危険!』
銃声。
しかし、朔夜は撃たれなかった。
白い光が、二人の間へ割り込んでいた。
「させないって!」
澪の白魔術、神話顕現術式。
薄い障壁が、銃口の向きを僅かに逸らす。
弾丸は朔夜の肩を掠め、背後の壁へ突き刺さった。
「澪!」
「オタクくん! 次!」
玲司は頷いた。
模倣体の銃口が、再びこちらへ向く。
だが、今度は迷わなかった。
「……ノア。敵の射撃予測は?」
『玲司様の胸部を狙う可能性が高いと推定されます』
「……なら」
玲司は、前へ踏み込んだ。
逃げない。
防御しない。
敵の射線へ、自分から入る。
模倣体の動作が、僅かに止まった。
『敵対象、予測再演算を開始』
ノアが告げる。
玲司は、その瞬間を逃さなかった。
「……朔夜!」
「おう!」
朔夜が再び動く。
今度は、玲司の背後へ。
模倣体の銃口が迷う。
玲司を撃つか。
朔夜を迎撃するか。
その判断に、ほんの一瞬の遅れが生じた。
玲司は銃を構えた。
だが、撃たない。
代わりに、左手で床の破片を蹴り上げる。
小さな金属片が、模倣体の視界を横切った。
敵の頭部が僅かに動く。
その瞬間。
朔夜の左拳が、模倣体の右腕を叩き折った。
金属が砕ける音。
拳銃型デバイスが床へ落ちる。
「……っ!」
模倣体が初めて、明確な動揺を見せた。
◇
玲司は息を呑んだ。
勝てる。
そう思った瞬間だった。
模倣体の身体から、黒い魔術反応が噴き上がった。
『警告。対象の戦闘記録が更新されています』
「……更新?」
『新たな戦闘経験を再構成中。過去の玲司様が使用した高負荷戦闘術式を再現しています』
模倣体の左腕が、異様な角度へ変形した。
皮膚の下を黒い魔術回路が走る。
破損した右腕を補うように、複数の術式が展開する。
玲司は、その光景を見たことがあった。
別世界の戦場。
自分ではない自分が、最後の一人になるまで戦い続けた記憶。
敵を倒すために、身体の限界を無視して魔術を使い続ける技術。
「……やめろ」
玲司の口から、思わず声が漏れた。
模倣体は止まらない。
黒い光が、さらに強くなる。
『対象の生体維持機能が急激に低下しています』
「……そんな」
『戦闘能力を維持するため、自身の生命活動を代償として消費しています』
玲司は、拳を握りしめた。
知っている。
あの戦い方を。
かつて、別世界の自分が選んだ道だった。
仲間を失い。
守るものを失い。
それでも勝つことだけを考え、最後には自分自身さえ使い潰した。
その記憶が、今、目の前で再現されている。
「……僕も、ああなってたのかな」
玲司が呟く。
朔夜が振り返った。
「何?」
「……もし、違う選択をしてたら」
玲司は、模倣体を見つめた。
「……僕も、ああいう戦い方をしてたのかもしれない」
朔夜は一瞬だけ黙った。
それから、短く答えた。
「かもな」
玲司は顔を上げる。
「でも」
朔夜は続けた。
「今のお前は、そうしてねえだろ」
その言葉に、玲司は息を呑んだ。
「……うん」
「だったら、それでいい」
朔夜はデバイスを構え直した。
「過去の誰かが何を選んだかなんて、今のお前には関係ねえ」
玲司は、静かに頷いた。
そうだ。
自分は、別世界の経験を読み込める。
けれど、それは未来を決めるものではない。
過去に誰かが選んだ答えを、今の自分が選ぶ必要はない。
「……ノア」
『はい、玲司様』
「……敵の術式、解析できる?」
『可能です。ただし、対象の戦闘能力は急激に上昇しています』
「……大丈夫」
玲司は銃を握り直した。
「……僕たちで、止める」
◇
模倣体が突進した。
床が砕ける。
黒い魔術回路が全身を走り、常識外れの速度で距離を詰めてくる。
「――速い!」
朔夜が迎撃する。
赤魔術で強化した左腕が、模倣体の拳と衝突した。
衝撃波。
床が大きく陥没する。
「ぐっ……!」
朔夜の身体が押し戻された。
しかし、踏みとどまる。
「玲司! 今!」
玲司は銃を構えた。
模倣体の胸部。
そこに、黒い魔術回路の集中点がある。
『術式核を確認。胸部中央、装甲下二・三センチ』
「……分かった!」
玲司は引き金を引いた。
魔術弾が一直線に飛ぶ。
しかし、模倣体は身体を捻り、弾丸を回避した。
予測されていた。
当然だ。
玲司が術式核を狙うことなど、敵は最初から知っている。
だが。
「……それでいい!」
玲司は叫んだ。
模倣体が回避した先。
そこには、朔夜がいた。
青魔術、論理構築術式。
空間制御。
模倣体の足元に、青い魔術陣が展開する。
同時に、緑魔術、原生循環術式が発動。
床から伸びた根が、敵の両脚を拘束した。
模倣体は即座に破壊しようとする。
しかし、朔夜は止まらない。
「まだだ!」
赤魔術、生命錬成術式
強化した左拳が、模倣体の胸部へ叩き込まれる。
装甲が砕けた。
黒い魔術回路が露出する。
『玲司様、今です!』
玲司は銃を向けた。
今度は、迷わない。
だが、模倣体の目が玲司を捉えた。
その瞬間。
玲司の頭の中に、知らない記憶が流れ込んだ。
焼け落ちた街。
倒れた仲間。
誰もいない戦場。
そして、最後まで銃を握り続ける自分。
――勝たなければならない。
――何を犠牲にしても。
――それ以外に、選択肢はない。
「……違う」
玲司は、歯を食いしばった。
これは、自分の記憶ではない。
自分が選ばなかった道だ。
「……僕は」
玲司は、模倣体を見つめた。
「……一人で勝とうとは、思わない!」
引き金を引く。
銃声。
魔術弾が、露出した術式核を貫いた。
黒い光が爆ぜる。
模倣体の身体が、大きく仰け反った。
胸部から亀裂が広がる。
魔術回路が次々と断裂し、全身を覆っていた黒い光が消えていく。
そして。
模倣体は、ゆっくりと膝をついた。
◇
静寂が戻った。
玲司は、荒い呼吸を繰り返しながら銃を下ろした。
目の前には、自分と同じ顔をした少年が倒れている。
その身体は、少しずつ崩れ始めていた。
『対象の戦闘機能停止を確認』
ノアが告げる。
『記憶模倣体・第九号、活動停止』
玲司は、倒れた少年へ近づいた。
模倣体の瞳が、僅かに動く。
玲司を見た。
その目には、もう敵意がなかった。
ただ、何かを確かめるように、こちらを見つめている。
「……君は」
玲司は、言葉を探した。
別世界の自分。
自分が選ばなかった道を歩んだ存在。
その記憶を利用して作られた、人工の戦闘兵器。
彼に、自我があったのかは分からない。
けれど。
最後まで戦い続けるしかなかった、その姿が。
どうしても、他人には思えなかった。
「……もう、戦わなくていいよ」
玲司が呟く。
模倣体の瞳が、僅かに揺れた。
そして、静かに閉じられた。
身体が黒い粒子となって崩れ、床へ消えていく。
残されたのは、壊れた拳銃型デバイスだけだった。
「……玲司」
朔夜が近づいてくる。
「大丈夫か?」
「……うん」
玲司は頷いた。
「……少し、怖かった」
「そりゃそうだろ」
「……でも」
玲司は、朔夜を見た。
「……一人じゃなかったから」
朔夜は笑った。
「当たり前だ」
その時。
『警告』
ノアの声が響いた。
『中枢保管装置の魔術反応が急激に上昇しています』
玲司が振り返る。
広間の奥。
巨大な記憶保管装置が、黒い光を放ち始めていた。
無数の記憶媒体が一斉に起動し、空間へ膨大な魔術情報が流れ込む。
そして。
その中心に、御影征司が立っていた。
「……見事だ」
御影は、静かに拍手した。
「自分自身の戦闘記録を超えるとは、実に興味深い」
玲司は銃を構えた。
「……御影!」
御影は笑う。
「だが、まだ終わりではない」
背後の記憶保管装置が、さらに強く発光する。
無数の黒い魔術回路が、御影の身体へ接続されていく。
「君たちは、記憶に依存しない戦い方を見つけたつもりなのだろう」
御影は両腕を広げた。
「しかし、それは一つの記憶に依存しないというだけの話だ」
空間が震える。
床に刻まれた黒い魔術陣が、次々と点灯した。
「では、問おう」
御影の声が、広間全体に響く。
「無数の記憶を持つ相手に、君たちは何を選べる?」
玲司は、銃を握りしめた。
その背後で、朔夜と澪が並ぶ。
透花は、澪の手を握りながら、必死に顔を上げていた。
玲司は、ゆっくりと息を吸った。
過去の自分を超えた。
けれど、戦いはまだ終わらない。
次に立ちはだかるのは、無数の記憶を操る男。
そして、その先にあるのは。
透花の、まだ存在しない未来だった。




