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忘却する追跡者

 最初に異変に気づいたのは、ノアだった。

『玲司様。警告します』

 学院の旧資料保管室。

 書架の間を歩いていた久遠玲司は、足を止めた。

「……どうしたの?」

『室内の魔力濃度が急上昇しています。発生源は三箇所』

「三箇所?」

『はい。いずれも黒魔術、深淵接触術式(アビス)に類似する波長を検出』

 玲司の表情が強張った。

 黒魔術。

 二週間前の地下研究都市事件が脳裏をよぎる。

「朔夜!」

 呼びかけるより早く、伊佐波朔が動いていた。

「澪! 透花を連れて下がれ!」

「えっ、何!?」

 白瀬澪が振り返る。

 その瞬間。

 天井の照明が、一斉に消えた。

 ガシャンッ!

 金属音が響いた。

 書架の向こうから、黒い人影が現れる。

 一体。

 二体。

 三体。

 いずれも人間に似た輪郭を持っていた。

 だが、その顔には目も鼻もない。

 滑らかな黒い装甲の中央に、赤い光点が一つだけ灯っている。

『記録外存在を検出』

 三体の声が重なった。

『対象識別開始』

「……あれ」

 玲司は息を呑んだ。

 見覚えがある。

 昨日、教室で襲ってきた戦闘端末と同じ形状だった。

「玲司、知ってるのか?」

「うん。昨日のやつと同じだ!」

 朔夜が舌打ちする。

「だったら、話は早い」

 彼は右手を掲げた。

 赤い魔術光が腕を包む。

 赤魔術《アルス・カルニス》。

 身体強化の術式が起動する。

「澪、出口を確保しろ!」

「りょーかい!」

 澪は透花の手を取った。

「透花ちゃん、こっち!」

「……う、うん!」

 二人が扉へ走る。

 だが。

『逃走行動を確認』

 三体のうち一体が、ゆっくりと腕を上げた。

『認識座標を修正』

 黒い光が、床を走った。

「……え?」

 澪が足を止めた。

 目の前に、玲司が立っていた。

「オタクくん!?」

 思わず叫ぶ。

 しかし、返事はない。

 玲司は動かず、ただこちらを見つめている。

「ちょっと、どいて!」

 澪が手を伸ばした。

 指先が、何もない空間をすり抜ける。

「……は?」

 玲司の姿が消えた。

 同時に、背後から声が響く。

「澪! そっちじゃない!」

 振り返ると、本物の玲司は書架の反対側にいた。

「……え?」

 澪は混乱した。

「今、そこにいたじゃん!」

『認識干渉を確認』

 ノアが告げる。

『敵性端末の一体が、対象者の位置情報を改変しています』

「位置情報って……」

『視覚そのものではありません。対象の脳内に形成される空間認識へ干渉しています』

 朔夜が目を細めた。

「つまり、見えてる場所が信用できないってことか」

『その認識で正確です』

「厄介だな」

 朔夜は一歩踏み込んだ。

 赤い光が足元で弾ける。

「だったら、先に潰す!」

 床を蹴る。

 加速。

 朔夜の身体が、黒い端末へ一直線に迫った。

 だが。

 敵の姿が、突然消えた。

「……っ!?」

 朔夜は咄嗟に足を止める。

 直後、左側から金属の腕が振り下ろされた。

 ガキンッ!

 朔夜は腕で受け止めた。

 衝撃が骨に響く。

「ぐっ……!」

 治りきっていない肩に、鋭い痛みが走った。

「朔夜!」

「来るな!」

 朔夜は叫んだ。

「こいつら、普通の幻覚じゃない!」

 端末が再び腕を振り上げる。

 朔夜は身を捻った。

 拳が頬をかすめる。

 そして、反撃しようとした瞬間。

 目の前の敵が、二体に増えた。

「……なっ!」

 右。

 左。

 どちらも同じ姿。

 どちらも、こちらへ拳を突き出している。

 朔夜は一瞬だけ迷った。

 その隙を、敵は逃さなかった。

 ドンッ!

 腹部に衝撃。

 朔夜の身体が吹き飛ばされる。

「朔夜!」

 玲司が拳銃型デバイスを抜いた。

『玲司様。敵性端末三体の機能を暫定分類しました』

「お願い!」

『第一個体。短期行動記憶の欠落』

『第二個体。虚偽の被弾記憶を挿入』

『第三個体。味方および敵の空間認識を改変』

 玲司は息を呑んだ。

 三体。

 それぞれ、違う能力。

 しかも、どれも記憶に干渉してくる。

「……どうすれば」

『提案。外部観測記録を優先し、敵性術式の発生源を特定してください』

「……分かった!」

 玲司は銃を構えた。

 黒い端末が、こちらを向く。

 その赤い光点が、瞬いた。

     ◇

 銃声が響いた。

 魔術弾が、端末の肩を撃ち抜く。

 火花が散った。

 だが、敵は止まらない。

 玲司は二発目を撃とうとした。

 その瞬間。

 ――何をしていた?

 思考が途切れた。

「……え?」

 右手には銃。

 目の前には敵。

 なのに。

 なぜ自分が銃を構えているのか、一瞬分からなくなった。

『玲司様。射撃を継続してください』

「……ノア?」

『直前の行動記憶が消去されました。敵性端末は正面十二メートル』

「……っ!」

 玲司は反射的に引き金を引いた。

 銃声。

 敵の胸部装甲が砕ける。

 しかし、端末は腕を伸ばした。

 黒い光が玲司へ迫る。

『回避。右へ二歩』

 玲司は跳んだ。

 直後。

 自分がいた場所を、黒い刃が切り裂いた。

 だが、着地した瞬間。

 また、記憶が飛んだ。

「……あれ?」

 自分は、なぜ床に膝をついている?

 敵は、どこだ?

『玲司様。現在戦闘中です』

「……そう、だった」

『敵性端末の攻撃を受けるたび、直前約三秒間の行動記憶が欠落しています』

 三秒。

 たった三秒。

 しかし、戦闘中の三秒は致命的だった。

 敵が近づく。

 玲司は銃を構える。

 撃つ。

 避ける。

 そして、忘れる。

 また、敵が近づく。

 同じことを繰り返す。

「……くそっ!」

 玲司は歯を食いしばった。

 何度攻撃しても、戦況が頭の中で繋がらない。

 敵の動きも、自分の行動も。

 断片的な映像にしかならない。

『玲司様』

 ノアの声が響く。

『提案があります』

「……何?」

『私が戦闘行動を逐次記録し、指示を出します』

「……うん」

『ただし、玲司様ご自身の判断が必要な場面もあります』

「分かってる」

 玲司は深呼吸した。

 思い出せないなら。

 覚えている相手に、教えてもらえばいい。

「ノア。お願い」

『了解しました』

 次の瞬間。

『右斜め前方、敵接近』

 玲司は銃口を向ける。

『射撃』

 引き金を引く。

『左へ回避』

 跳ぶ。

『敵性端末、胸部装甲損傷。追撃可能』

 撃つ。

 黒い端末の身体が、大きく揺れた。

 その瞬間。

 玲司の記憶が、また飛んだ。

 だが。

『敵性端末、正面。胸部装甲破損。射撃継続』

「……分かった!」

 玲司は迷わず撃った。

 魔術弾が、破損した装甲の隙間へ吸い込まれる。

 バチンッ!

 内部回路が弾けた。

 一体目の端末が、膝をつく。

『第一個体、機能停止』

 ノアが告げた。

 玲司は荒い息を吐いた。

 倒せた。

 けれど。

 その過程の半分以上を、覚えていなかった。

     ◇

「玲司!」

 朔夜の声が響いた。

「こっちは、まだ二体いる!」

 振り返る。

 朔夜は書架の間で、二体の端末と交戦していた。

 だが、動きがおかしい。

 敵の攻撃を避けた直後、突然身体を強張らせる。

 何も当たっていないのに。

 まるで、殴られたように。

「……っ!」

 朔夜が片膝をついた。

「朔夜!?」

「来るな!」

 朔夜は叫んだ。

「こいつ、当たってない攻撃を当たったことにしてくる!」

 玲司は息を呑んだ。

 第二個体。

 虚偽の被弾記憶。

 敵の拳が空を切る。

 しかし、その瞬間。

 朔夜の身体には、確かに痛みが走った。

 骨が軋む感覚。

 肺から空気が押し出される感覚。

 実際には何も起きていない。

 なのに、脳だけが攻撃を受けたと信じ込んでいる。

「……なるほどな」

 朔夜はゆっくり立ち上がった。

「厄介だが、仕組みは分かった」

 彼の右手に、青い光が灯る。

 青魔術、論理構築術式(ロゴス)。

 解析術式が起動した。

「痛みが本物でも、損傷が本物とは限らない」

 朔夜は自分の左腕を見た。

 痛みはある。

 だが、傷はない。

 骨折もしていない。

 血も流れていない。

「なら、信じるべきは感覚じゃない」

 青い術式が、彼の周囲に展開する。

「観測結果だ」

 端末が腕を振り上げた。

 朔夜は避けない。

「……っ!」

 激痛が走る。

 だが、彼は動かなかった。

 拳は、身体に触れていない。

 青い術式が、その事実を示している。

「……やっぱりな」

 朔夜は笑った。

「お前の攻撃は、記憶を騙してるだけだ」

 赤い光が、右腕を包む。

 身体強化。

 朔夜は一歩踏み込んだ。

 拳を叩き込む。

 ドゴンッ!

 端末の胸部が大きくへこんだ。

 しかし、敵は倒れない。

 背後へ跳ぶ。

 そして、もう一度腕を上げた。

 黒い光が広がる。

「……またか!」

 朔夜は歯を食いしばった。

 今度は、全身に激痛が走った。

 視界が白く染まる。

 膝が折れそうになる。

 だが。

「……玲司!」

 朔夜は叫んだ。

「こいつの術式、右肩の装甲に集中してる!」

 玲司が顔を上げる。

「……右肩?」

「青魔術で見えた! そこを撃て!」

『玲司様。解析結果と一致しています』

 ノアが告げた。

『第二個体、右肩部に記憶干渉術式核を確認』

「……分かった!」

 玲司は銃を構えた。

 端末がこちらを向く。

 黒い光が瞬く。

 次の瞬間。

 玲司の胸に、激痛が走った。

「……ぐっ!」

 撃たれた。

 そう思った。

 胸を貫かれた。

 血が流れている。

 息ができない。

 しかし。

『玲司様。被弾していません』

 ノアの声が響く。

『損傷なし。生命反応正常』

「……っ!」

 玲司は歯を食いしばった。

 痛い。

 確かに痛い。

 それでも。

 ノアが、無傷だと言っている。

「……だったら!」

 玲司は引き金を引いた。

 魔術弾が、端末の右肩を撃ち抜く。

 バチンッ!

 黒い術式が弾けた。

 同時に、胸の痛みが消える。

「……っ、はぁ!」

 玲司は大きく息を吐いた。

『第二個体、機能停止』

 ノアが告げる。

 残り、一体。

     ◇

「……二体、倒した」

 玲司は銃を構え直した。

 最後の端末は、書架の奥に立っていた。

 赤い光点が、ゆっくりと明滅している。

『対象位置情報、再構築』

 黒い光が床を走る。

 その瞬間。

「……え?」

 玲司の視界から、朔夜が消えた。

 代わりに、澪が目の前に立っていた。

「オタクくん!」

「……澪?」

 彼女が手を伸ばす。

 しかし。

『玲司様。警告』

 ノアの声が響いた。

『正面の人物は白瀬澪様ではありません』

「……え?」

『敵性端末です』

 玲司は息を呑んだ。

 目の前の澪が、微笑んだ。

 その顔が、ゆっくりと歪む。

 黒い装甲が露出する。

 赤い光点が、こちらを見つめていた。

「……っ!」

 玲司は咄嗟に後退した。

 敵の腕が、頬をかすめる。

 しかし、避けた先に。

 今度は朔夜が立っていた。

「玲司!」

「……朔夜?」

 朔夜が叫ぶ。

「そっちじゃない!」

 玲司は混乱した。

 どこに誰がいるのか分からない。

 見えているものが、信用できない。

『玲司様。視覚情報を遮断することを推奨します』

「……え?」

『現在の視覚認識は敵性術式によって改変されています。私の外部観測記録を優先してください』

「……目を閉じろってこと?」

『はい』

 玲司は一瞬だけ躊躇した。

 戦闘中に目を閉じる。

 普通なら、自殺行為だ。

 だが。

 今の自分の目は、敵に騙されている。

「……分かった」

 玲司は目を閉じた。

 闇。

 何も見えない。

 ただ、ノアの声だけが響く。

『敵性端末、右前方八メートル』

 玲司は銃口を向ける。

『左へ二歩』

 動く。

『敵性端末、接近』

 玲司は息を整えた。

『射撃』

 引き金を引く。

 銃声。

 金属音。

『命中。右腕損傷』

 玲司は、目を開けなかった。

 見えない。

 だからこそ。

 余計な情報に惑わされない。

『敵性端末、正面六メートル』

 銃口を修正する。

『射撃』

 引き金。

 銃声。

 金属音。

『胸部装甲損傷』

 玲司は息を吐いた。

 もう一発。

 そう思った瞬間。

「玲司!」

 朔夜の声が響いた。

「俺が動きを止める!」

 青い光が、暗闇の中で弾けた。

 玲司には見えない。

 だが、ノアの声が続く。

『伊佐波朔夜様、敵性術式を解析中』

 朔夜は青魔術を展開していた。

 敵の認識干渉術式を、外側から解析する。

 黒い術式。

 空間認識の改変。

 対象者の脳内に、偽の位置情報を流し込む。

「……なら」

 朔夜は歯を食いしばった。

「流れを止めればいい!」

 青い魔術陣が、床に広がった。

 敵の黒い術式と衝突する。

 火花が散る。

 朔夜の額に汗が滲んだ。

 肩が痛む。

 魔力の消費も激しい。

 それでも。

「……今だ、玲司!」

 朔夜が叫んだ。

「三秒だけ止める!」

『玲司様。敵性端末、正面四メートル』

 ノアが告げる。

『術式干渉停止。射撃可能』

 玲司は目を開いた。

 目の前に、黒い端末がいた。

 今度は、消えない。

 増えない。

 別の誰かにも見えない。

 ただ、一体。

 黒い装甲の敵が、そこに立っていた。

「……これで!」

 玲司は引き金を引いた。

 魔術弾が、胸部装甲を貫く。

 端末が大きく揺れた。

 さらに一発。

 装甲が砕ける。

 内部の術式核が露出した。

『敵性端末、機能停止まで残り一撃』

 ノアが告げた。

 玲司は銃口を固定した。

 引き金に指をかける。

 その瞬間だった。

『対象識別情報、更新』

 端末の赤い光点が、突然点滅した。

『記録外存在を再検出』

 玲司は眉を寄せた。

「……え?」

 端末の視線が、彼の背後へ向く。

 そこには。

「……透花?」

 篠宮透花が立っていた。

 顔色が悪い。

 壁に手をつき、苦しそうに息をしている。

「……玲司」

 彼女が小さく呼んだ。

 その瞬間。

 端末が動いた。

『回収対象を確認』

 黒い腕が伸びる。

 透花へ向かって。

「……危ない!」

 玲司は叫んだ。

 だが、間に合わない。

 端末の腕が、透花の肩に触れた。

 黒い術式が、彼女の身体へ流れ込む。

「……っ!」

 透花の身体が強張った。

 しかし。

 次の瞬間。

 端末の動きが、ぴたりと止まった。

『……照合中』

 赤い光点が、不規則に点滅する。

『対象の記憶照合に失敗』

 玲司は息を呑んだ。

「……何?」

『登録記録との不一致を検出』

 端末の声が、わずかに乱れる。

『回収権限を確認できません』

 黒い腕が、透花から離れた。

 端末は、まるで混乱しているかのように首を傾げた。

『対象識別不能』

『記憶記録、不整合』

『回収命令、実行不可』

 朔夜が目を見開いた。

「……どういうことだ?」

 ノアが即座に解析を開始する。

『敵性端末内部で、識別処理の異常を確認』

「……異常?」

『はい。対象を回収すべき存在として認識している一方、対象の登録情報を参照できていません』

 玲司は透花を見た。

 少女は、怯えたように端末を見つめている。

「……やっぱり」

 透花が呟いた。

「……私を、探してたんだ」

 その声は、震えていた。

 端末の赤い光点が、激しく点滅する。

『照合失敗』

『命令競合』

『記録破棄処理へ移行』

 ノアの声が鋭く響いた。

『玲司様! 敵性端末の内部魔力が急上昇しています!』

「……え?」

『自壊します!』

 玲司は反射的に動いた。

「透花!」

 少女の腕を掴む。

 引き寄せる。

 そのまま、床へ倒れ込んだ。

 直後。

 轟音。

 黒い端末が、内側から爆ぜた。

 衝撃波が書架を揺らす。

 紙が舞う。

 金属片が床を跳ねた。

「……っ!」

 玲司は透花を庇うように身体を丸めた。

 背中に、細かな破片が当たる。

 痛み。

 熱。

 そして、静寂。

 数秒後。

 玲司は、ゆっくり顔を上げた。

「……大丈夫?」

 腕の中で、透花が小さく頷いた。

「……うん」

 彼女は震えていた。

 けれど、怪我はなさそうだった。

 玲司は安堵の息を吐いた。

「……よかった」

 そのとき。

 透花が、玲司の袖を掴んだ。

「……玲司」

「……何?」

 彼女は、消えた端末の残骸を見つめていた。

「……あれ」

 小さな声。

「……私のこと、覚えてなかった」

 玲司は息を呑んだ。

「……え?」

 透花は、ゆっくり顔を上げた。

 その瞳には、恐怖が浮かんでいた。

「……あの人たち、私を探してたはずなのに」

 彼女は、震える声で続けた。

「……私が誰なのか、分からなくなってた」

 玲司は何も言えなかった。

 追跡者。

 回収対象。

 記憶照合。

 そして、失敗。

 何かが、おかしい。

 少女を追っていたはずの存在が。

 少女を見つけた瞬間に、彼女を認識できなくなる。

 それは、まるで。

 追跡者自身が、追いかけていた相手を忘れてしまったかのようだった。

     ◇

 戦闘が終わっても、三人はすぐには動けなかった。

 書架は倒れ、床には黒い装甲の破片が散乱している。

 幸い、保管室の外へ被害は広がっていない。

 だが、これだけの騒ぎだ。

 学院の警備が来るのは時間の問題だった。

「……玲司」

 朔夜が近づいてきた。

「怪我は?」

「……大丈夫」

 玲司は立ち上がった。

 背中が少し痛む。

 しかし、動けないほどではない。

「朔夜こそ、肩は?」

「問題ない」

 そう言いながら、朔夜は左肩を軽く押さえた。

 玲司は眉を寄せた。

「……無理しないでよ」

「お前に言われたくないな」

 朔夜は苦笑した。

 澪も駆け寄ってくる。

「オタクくん!」

 玲司の顔を覗き込む。

「ほんとに大丈夫!?」

「……うん」

「もー、心臓止まるかと思った!」

 澪は大きく息を吐いた。

「いきなり爆発するんだもん!」

「……ごめん」

「謝ることじゃないでしょ」

 澪は少しだけ笑った。

「透花ちゃん、守ってくれたんだし」

 玲司は透花を見た。

 少女は、壁にもたれかかっていた。

 顔色が、さらに悪くなっている。

「……篠宮さん?」

 玲司が近づく。

「大丈夫?」

「……うん」

 透花は笑った。

 けれど。

 その笑顔は、ひどく弱々しかった。

「……ちょっと、疲れちゃっただけ」

 玲司は彼女の手を取ろうとした。

 その瞬間。

 透花の身体が、ぐらりと傾いた。

「……え?」

 膝が折れる。

 玲司は咄嗟に腕を伸ばした。

「透花!」

 少女の身体を抱き止める。

 軽い。

 驚くほど、軽かった。

 そして。

 その手は。

 氷のように、冷たかった。

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