努力の天才
天才とは、何だろう。
生まれ持った才能か。
誰にも真似できない技術か。
それとも、凡人には届かない領域へ、たった一人で到達した者のことだろうか。
久遠玲司は、ずっと親友を天才だと思っていた。
赤、緑、青。
三つの魔術系統を自在に操り、学院の誰よりも強く、どんな戦場でも迷わず前へ進む少年。
伊佐波朔夜。
玲司が知る限り、彼ほど才能に恵まれた魔術師はいない。
けれど、玲司は知らなかった。
その才能を、朔夜自身がどれほど信用していなかったのかを。
◇
最初の砲撃で、通路が消し飛んだ。
「伏せろ!」
朔夜が叫ぶ。
直後、緑色の閃光が地下研究都市の隔壁を貫いた。
轟音。
床が跳ね上がり、天井から無数の破片が降り注ぐ。
「きゃっ!」
「澪!」
玲司が白瀬澪の腕を掴み、横へ飛んだ。
爆風が背中を叩く。
肺から空気が押し出された。
『警告。高密度魔術反応。推定出力、通常の軍用制圧術式を上回ります』
ノアの声が響く。
玲司が顔を上げると、煙の向こうに巨大な影が立っていた。
全高、およそ五メートル。
人間の上半身を模した装甲と、四本の脚部。
両肩には砲身。
胸部には、三つの円環状術式が埋め込まれている。
赤。緑。青。
それぞれが独立して回転していた。
『対象を多重術式防衛兵器と仮称。赤魔術による構造強化、緑魔術による広域攻撃、青魔術による自動解析を確認』
「……全部載せかよ」
朔夜が舌打ちした。
兵器の頭部が動く。
青い光が玲司たちをなぞった。
『敵性解析術式、起動』
「散れ!」
朔夜の指示と同時に、三人は別々の方向へ走った。
次の瞬間。
玲司がいた場所へ、緑色の炎弾が着弾した。
避けたはずだった。
だが、二発目が逃走先へ落ちてくる。
「……っ!」
『回避経路を予測されています!』
玲司は咄嗟に壁を蹴った。
炎が頬を掠める。
熱い。
そのまま床へ転がり、柱の陰へ滑り込んだ。
「オタクくん!」
「大丈夫!」
答えた直後、兵器の右腕が持ち上がる。
腕部装甲が開き、赤い術式が走った。
巨体が、消えた。
「……え?」
違う。
消えたのではない。
速すぎたのだ。
五メートルの鋼鉄の塊が、一瞬で十メートル以上を移動していた。
拳が玲司へ迫る。
間に合わない。
そう思った瞬間。
「遅い!」
横合いから赤い閃光が割り込んだ。
朔夜だった。
赤魔術、生命錬成術式によって強化された脚が床を砕く。
玲司の襟を掴み、その身体を後方へ放り投げる。
直後、兵器の拳が朔夜へ振り下ろされた。
朔夜は受け止めない。
半歩だけ軸をずらし、拳の側面へ手を添えた。
衝撃の方向を変える。
鋼鉄の拳が床へ突き刺さった。
「玲司! 澪を連れて下がれ!」
「でも、朔夜は!」
「俺はこいつを調べる!」
朔夜の左手に、青い術式が浮かんだ。
青魔術、論理構築術式
兵器の全身を、幾何学模様の光が走る。
だが。
「……なるほどな」
朔夜の表情が険しくなった。
青い解析陣が、途中から崩れ始めたのだ。
兵器の胸部で、別の青い術式が回転する。
解析に対する解析。
朔夜の術式構造を読み取り、逆に干渉している。
「こいつ、俺の解析そのものを解析してやがる」
兵器の左肩が開いた。
緑色の光が収束する。
「朔夜!」
「分かってる!」
朔夜が床へ掌を向けた。
緑魔術、原生循環術式。
炎の壁が立ち上がる。
兵器の砲撃と衝突し、巨大な火柱が生まれた。
だが、その炎の向こうから、赤く輝く拳が突き出された。
「……っ!」
朔夜は身を捻った。
それでも拳の端が右肩を掠める。
鈍い音。
朔夜の身体が数メートル吹き飛ばされた。
「朔夜!」
玲司が駆け寄ろうとする。
「来るな!」
朔夜は片膝をついたまま叫んだ。
右肩を押さえている。
先日の戦闘で負傷した場所だった。
兵器は追撃しない。
ただ、三つの術式を回転させている。
観測しているのだ。
自分たちの動きを。
「……厄介だな」
朔夜が笑った。
その笑みには、いつもの余裕がなかった。
◇
「ノア。あの兵器の制御構造を調べて」
『了解。ただし、敵性青魔術による妨害が継続しています』
「……分かってる」
玲司は銃を構えた。
そして、目を閉じる。
《愚者の選択》。
意識の奥に、無数の記憶が浮かび上がる。
戦場。
射撃場。
格闘訓練。
研究室。
その中から、玲司は一つの人生を選んだ。
魔術研究者として生きた自分。
《技術読込》。
視界が変わる。
兵器の装甲が、単なる金属の塊ではなくなる。
術式の配線。
代償供給経路。
独立した三つの制御系統。
そして、それらを統合する中枢演算機構。
「……見えた」
『玲司様?』
「生命錬成術式が装甲を守ってる。原生循環術式が攻撃して、論理構築術式が僕たちの動きを予測する」
『そのとおりです』
「でも、それぞれ独立してる。だから一つの系統を止めても、ほかが補う」
『解析結果と一致します』
玲司は歯を食いしばった。
普通の魔術師なら、三つの系統を同時に扱うだけでも大きな負担になる。
だが、この兵器は違う。
三つの制御機構が、それぞれ最適な処理を続けている。
疲労しない。
集中力も切れない。
同じ失敗を繰り返すこともない。
「……これじゃ、隙がない」
『敵性予測精度、上昇中』
玲司は銃を撃った。
青い光弾が兵器の頭部へ向かう。
だが、着弾寸前に赤い防御術式が展開した。
弾丸は弾かれる。
玲司が射角を変える。
次の弾丸も防がれた。
三発目を撃つ前に、兵器の砲身がこちらへ向く。
『射撃行動を予測されています!』
玲司は飛び退いた。
炎弾が柱を砕く。
「……くそっ」
研究者の知識があっても、突破できない。
相手も同じように考え、しかも自分より速く答えを出してくる。
玲司は思わず、朔夜を見た。
朔夜は、兵器を睨んでいた。
やがて。
「玲司」
「……何?」
「中枢の位置、まだ分からないか?」
「大まかには。でも、装甲の奥に隠れてて……」
「なら、引きずり出す」
朔夜が立ち上がった。
右肩から血が滲んでいる。
「俺が三系統を同時に使う。お前は、その隙に中枢を探せ」
「……え?」
玲司は耳を疑った。
三系統の同時運用。
それがどれほど危険か、玲司も知っていた。
術式の並列処理。
膨大な代償消費。
身体強化と術式干渉による神経への負荷。
しかも朔夜は、すでに負傷している。
「無茶だよ!」
「そうかもな」
「そうかもって……!」
朔夜は、笑った。
「こういう日のために、ずっと練習してきたんだ」
◇
朔夜が最初に魔術を使ったのは、七歳のときだった。
赤魔術、生命錬成術式。
身体能力を高める、最も基本的な強化術式。
適性検査の結果は、極めて優秀だった。
教官は言った。
――君は天才だ。
けれど、その日の模擬戦で、朔夜は負けた。
身体強化はできた。
だが、拳を振るう技術がなかった。
踏み込み方も、距離の取り方も知らなかった。
相手の攻撃を怖がり、目を閉じた。
才能だけでは、何も変わらなかった。
だから、練習した。
翌日も。
その翌日も。
何百回も転び、何千回も拳を振った。
緑魔術を習得したときも、同じだった。
最初は炎を出すことさえできなかった。
ようやく炎を発生させても、狙った場所へ飛ばせなかった。
青魔術を学び始めたときには、解析結果を理解する前に攻撃を受けた。
三系統に適性がある。
それは、三つの魔術を使えるというだけのことだった。
使いこなせることとは、違う。
朔夜は毎朝、誰よりも早く訓練場へ向かった。
授業が終わっても、一人で術式を組み続けた。
赤から緑へ。
緑から青へ。
青から赤へ。
切替時間を、一秒縮める。
さらに、〇・一秒。
その〇・一秒を縮めるために、何週間も費やした。
手の皮が裂けた。
筋肉が痙攣した。
術式処理の負荷で、何度も意識を失いかけた。
それでも、やめなかった。
強くなりたかった。
あの日。
自分をいじめていた少年たちの前に、震えながら立ちはだかった、小さな背中。
勝てるはずもないのに。
殴られると分かっていたのに。
それでも、逃げなかった少年。
久遠玲司。
朔夜は、あの背中に憧れた。
いつか。
あいつが誰かを守ろうとするとき。
今度は、自分が隣に立てるように。
そのために、強くなった。
◇
「……始めるぞ」
朔夜が呟いた。
左手に、青い光。
右腕に、赤い光。
足元に、緑の術式。
三色の魔術陣が、同時に展開した。
『警告。対象、伊佐波朔夜の術式負荷が急上昇』
ノアが告げる。
「朔夜、待って!」
玲司が叫ぶ。
だが、朔夜は振り返らなかった。
「玲司」
ただ、短く言った。
「俺を信じろ」
次の瞬間。
朔夜の姿が消えた。
赤魔術、生命錬成術式。
身体強化による高速接近。
兵器の青い解析陣が反応する。
予測された移動先へ、緑の砲身が向く。
しかし。
朔夜は、そこにいなかった。
床から炎が噴き上がる。
緑魔術、原生循環術式。
兵器の脚部を包み込み、移動経路を塞ぐ。
同時に、青い術式が走った。
青魔術、論理構築術式
砲身の制御術式へ干渉する。
発射角度が、わずかに逸れた。
炎弾が天井を貫く。
「……すごい」
玲司は呟いた。
三系統を同時に使っている。
それだけではない。
すべてが、必要な瞬間にだけ発動していた。
赤魔術、生命錬成術式は、踏み込む瞬間。
緑魔術、原生循環術式は、敵の退路を塞ぐ瞬間。
青魔術、論理構築術式は、敵の攻撃が確定する瞬間。
無駄がない。
兵器の青い解析陣が高速回転する。
朔夜の動きを予測する。
だが、予測が確定する直前に、朔夜は術式を切り替える。
赤。緑。青。赤。青。緑。
魔術の切替速度が、兵器の予測更新速度を上回り始めた。
『敵性兵器の解析処理に遅延を確認』
ノアが告げる。
「……今だ!」
朔夜が叫んだ。
兵器の右脚が炎に包まれる。
青い術式が防御系統へ干渉する。
その隙に、朔夜が赤魔術で接近した。
拳が装甲へ突き刺さる。
轟音。
巨大な兵器が、初めて後退した。
だが。
「……っ!」
朔夜の右腕が震えた。
筋肉が限界に達している。
肩の傷が開き、血が飛び散った。
兵器の赤い装甲が、さらに輝きを増す。
反撃。鋼鉄の拳が朔夜へ迫る。
「朔夜!」
玲司が叫んだ。
しかし、朔夜は避けなかった。
左手を突き出す。
青い術式が、兵器の腕へ絡みついた。
攻撃軌道を、ほんの数度だけずらす。
拳が頬を掠めた。
朔夜は、そのまま踏み込む。
「……まだだ!」
赤い光が、全身を駆け抜けた。
拳が兵器の胸部を打つ。
装甲が軋む。
赤い防御術式が、衝撃を受け止める。
だが、その瞬間。
朔夜の足元から、緑の炎が噴き上がった。
兵器の脚部が熱膨張する。
姿勢制御が乱れる。
青い解析陣が、修正を開始した。
その一瞬。
三つの制御系統が、互いに異なる処理を要求した。
赤は、防御。緑は、迎撃。青は、姿勢修正。
兵器の胸部で、三色の光が激しく明滅した。
「玲司!」
朔夜が叫ぶ。
「今しかない!」
◇
玲司は、すでに動いていた。
別世界の研究者の知識。
ノアの解析。
そして、目の前で朔夜が作り出した隙。
そのすべてを、一つに繋げる。
「ノア! 三系統の接続部分を表示して!」
『了解。統合中枢への接続経路を抽出します』
視界に、無数の線が浮かび上がる。
赤い線。緑の線。青い線。
それぞれが、胸部の奥へ伸びている。
だが、装甲が厚すぎる。
直接撃ち抜くことはできない。
「……違う」
玲司は呟いた。
狙うべきは、中枢そのものではない。
中枢を守っている、防衛機構。
その制御を一瞬だけ止めればいい。
「ノア! 青魔術の干渉信号を、僕の弾丸に重ねられる?」
『可能です。ただし、敵性防御術式の解析が必要です』
「解析は、もうできてる!」
研究者の記憶が、答えを示していた。
玲司は銃口を上げる。
兵器の胸部。
赤い装甲の継ぎ目。
そこにある、小さな術式接続点。
「……ここだ!」
引き金を引いた。
青い光弾が、一直線に飛ぶ。
兵器の解析陣が反応する。
防御術式が展開する。
だが、玲司の弾丸は装甲を貫こうとしなかった。
接触した瞬間、術式へ干渉する。
防御制御が、一瞬だけ停止した。
『敵性防御機構、機能低下!』
「朔夜! 右側の装甲、その奥!」
玲司が叫ぶ。
朔夜は、笑った。
「上出来だ!」
兵器が動く。
赤い防御術式を再構築しようとする。
だが、間に合わない。
朔夜は、最後のカートリッジを装填した。
赤い光が、全身を包む。
骨格。
筋肉。
神経。
すべての強化術式が、右腕へ集中する。
『警告。伊佐波朔夜の身体負荷、危険域』
ノアが告げる。
玲司は、思わず叫んだ。
「朔夜! それ以上は!」
「大丈夫だ!」
朔夜は、拳を握りしめた。
「俺が、何年やってきたと思ってる!」
その声には、恐怖も迷いもなかった。
ただ、積み重ねてきた時間への確信があった。
朔夜は、玲司を見た。
「お前が道を作れ。俺が決める」
玲司は、頷いた。
「……うん!」
最後の一発。
玲司が引き金を引く。
青い光弾が、兵器の防御術式へ突き刺さる。
赤い装甲が、わずかに開いた。
その瞬間。
朔夜が踏み込んだ。
床が砕ける。
赤い光が、一直線に走る。
拳が、装甲の隙間へ突き刺さった。
轟音。
鋼鉄がひしゃげる。
衝撃が内部へ伝わる。
兵器の胸部で、三色の術式が激しく明滅した。
赤。
緑。
青。
そして。
すべての光が、消えた。
巨大な兵器が、ゆっくりと傾く。
四本の脚が折れた。
五メートルの巨体が、床へ崩れ落ちる。
轟音が、地下研究都市を揺らした。
静寂。
やがて。
『敵性反応、消失』
ノアが告げた。
『多重術式防衛兵器の機能停止を確認』
玲司は、ゆっくりと息を吐いた。
「……勝った」
朔夜は、その場に立っていた。
右腕が震えている。
肩から血が滴っている。
それでも、倒れなかった。
「……当然だろ」
朔夜は、笑った。
「俺たち二人なんだからな」
◇
「当然じゃないでしょ!」
澪の怒声が響いた。
朔夜の肩へ応急処置を施しながら、彼女は眉を吊り上げていた。
「右肩、また血出てるじゃん! 何回同じとこ怪我すんの!」
「……悪い」
「悪いと思ってない顔!」
「……思ってるって」
「絶対嘘!」
玲司は、その光景を見て小さく笑った。
朔夜が、こちらを見た。
「……何笑ってんだ」
「……いや」
玲司は、少しだけ考えた。
「……やっぱり、朔夜はすごいなって」
朔夜は、呆れたように息を吐いた。
「またそれか」
「……だって、本当にすごかったから」
玲司は、崩れ落ちた兵器を見つめた。
三系統の魔術。
そのすべてを、ほとんど遅延なく運用する技術。
自分が別世界の記憶を借りても、簡単には真似できない。
何年も。
何千回も。
失敗を繰り返して、ようやく到達できる領域。
「……僕には、まだできないことばかりだ」
玲司が呟く。
朔夜は、少しだけ眉をひそめた。
「玲司」
「……何?」
「お前は、お前のやり方で戦っただろ」
玲司は、顔を上げた。
「俺には、あの兵器の中枢を見つけられなかった」
「……でも」
「でもじゃない」
朔夜は、静かに言った。
「俺は、自分の人生で覚えた技術を使った。お前は、別の世界の経験を使って、今ここで答えを出した」
玲司は、黙って聞いていた。
「どっちが上とか、そういう話じゃない」
朔夜は、笑った。
「俺たちは、違うんだよ」
その言葉が、玲司の胸に落ちた。
違う。
だからこそ、並んで戦える。
自分が持っていないものを、朔夜は持っている。
朔夜が持っていないものを、自分は持っている。
どちらかが、どちらかになる必要はない。
「……うん」
玲司は、頷いた。
「……そうだね」
澪が、二人の顔を交互に見た。
「はいはい。男同士の友情は分かったから、そろそろ先に進まない?」
朔夜が苦笑する。
「お前、さっきまで休めって言ってただろ」
「休めとは言ったけど、ここでずっと立ち話しろとは言ってないし」
「……理不尽だな」
「何か言った?」
「何でもない」
玲司は、また笑った。
そのとき。
『玲司様』
ノアの声が響いた。
『防衛兵器の停止に伴い、最深部隔壁の封鎖が解除されました』
三人が顔を上げる。
崩れ落ちた兵器の向こう。
巨大な扉が、ゆっくりと開いていた。
その奥から、冷たい空気が流れ込む。
そして。
暗闇の向こうに、一つの光が見えた。
黒い光。
それは、まるで生き物の鼓動のように、ゆっくりと明滅していた。
「……行こう」
朔夜が言った。
玲司は、頷いた。
澪も、二人の隣へ並ぶ。
三人は、最深部へ足を踏み入れた。
その先で待っているものが、何であろうとも。
もう、誰か一人だけに背負わせるつもりはなかった。




