地下研究都市
地下三百メートル。
そこには、地図に存在しない街があった。
◇
「……嘘だろ」
伊佐波朔夜が呟いた。
眼下には、巨大な地下空間が広がっていた。
天井を支える無数の柱。複雑に交差する高架通路。建物の間を走る輸送軌道。
そして、街の中心にそびえ立つ、白い塔。
そのすべてが、青白い非常灯に照らされている。
「これが……地下研究都市」
久遠玲司は、思わず息を呑んだ。
地上の天城市より、はるかに古い。
壁面のコンクリートは黒ずみ、輸送軌道の多くは錆びついている。だが、街の中心部だけは、今も稼働しているらしかった。
『施設の推定建造年代は、現行の天城研究都市計画より以前です』
玲司の腰元から、ノアの声が響く。
『ただし、施設全体の構造を示す公的記録は確認できません』
「つまり、最初から隠されてたってこと?」
白瀬澪が、玲司の隣で顔をしかめた。
『その可能性が高いと判断します』
「うわ。趣味悪すぎ」
澪はそう言って肩をすくめた。
いつもの軽い口調だった。
けれど、その顔色はまだ悪い。
先日の都市防衛戦で、澪は崩れ落ちる建物を白い光で支えた。
本人にも説明できない奇跡。
その代償が何だったのか、誰にも分かっていない。
「……澪、本当に大丈夫?」
玲司が尋ねると、澪は片眉を上げた。
「それ、今日何回目?」
「……四回目」
「六回目だよ」
「……ごめん」
「謝んなくていいって。あーしも自分の体調くらい分かるし」
澪は玲司の額を指先で小突いた。
「それよりオタクくん、自分の心配しなよ。昨日だって倒れたばっかじゃん」
「……うん」
「返事だけはいいんだから」
そのやり取りを横で聞いていた朔夜が、小さく笑った。
「お前ら、観光に来たんじゃないんだぞ」
「分かってるって。朔夜も顔怖いよ?」
「元からだ」
「それ、自分で言う?」
短い笑いが生まれた。
だが、それも長くは続かなかった。
『各員、通信確認』
耳元の通信機から、榊原宗一郎の声が響いた。
『都市防衛隊の第一班が西側搬入口を制圧した。第二班は地上への連絡経路を確保中。お前たちは予定どおり中央研究区画の調査に入れ』
「了解です」
朔夜が応答する。
『ただし、敵の目的は依然不明だ。異常を確認した場合は即時撤退。交戦は最小限に留めろ』
「……分かりました」
玲司は答えながら、眼下の白い塔を見つめた。
あの黒い魔術師が残した情報。
そこに示されていたのが、この場所だった。
罠である可能性は高い。
それでも、来るしかなかった。
人工供物の暴走。
都市封鎖。
澪の奇跡。
そして、自分の中に流れ込む、存在しない人生。
そのすべてが、この地下に繋がっている。
「行こう」
朔夜が言った。
玲司は頷いた。
三人は、地下都市へ足を踏み入れた。
◇
最初に異常を発見したのは、ノアだった。
『前方、生命反応多数』
「敵か?」
朔夜が即座にデバイスを構える。
『判断できません。反応は移動していません』
通路の先には、巨大な扉があった。
表面には、見慣れない古い形式の術式。
朔夜が青魔術、論理構築術式を展開する。
青い光が指先から広がり、扉の表面を走った。
「……施錠は生きてるな。けど、認証系統が古い」
「開けられる?」
「やってみる」
朔夜は術式の一部を切り離した。
青い光が細い糸となり、扉の内部へ潜り込む。
三秒。
五秒。
鈍い音とともに、扉が開いた。
そして。
「……っ」
玲司は、言葉を失った。
広い実験室。
その左右に、透明な円筒形の容器が並んでいた。
数十。
いや、百を超えている。
内部には、淡い液体が満たされていた。
そして、その中には。
人間のようなものが、浮かんでいた。
「……これ、全部……」
澪の声が震えた。
『人工供物の保管設備と推定されます』
ノアが告げる。
だが、玲司は首を振った。
「……違う」
容器の中にいるものは、普通の人工供物ではなかった。
腕が三本ある個体。
背骨が外側へ露出した個体。
頭部の輪郭が崩れ、黒い糸のようなものに置き換わった個体。
中には、身体の半分だけが人間の形を保っているものもいた。
すべての容器に、黒い術式が刻まれている。
「……こんなものを」
朔夜が歯を食いしばった。
「誰が作ったんだ」
玲司は、一つの容器に近づいた。
内部の個体は、目を閉じている。
胸の部分には、識別番号。
その下に、小さな文字が表示されていた。
《人格形成反応:陽性》
「……人格?」
玲司の声が掠れた。
『記録を確認します』
ノアが施設端末へ接続を試みる。
数秒後、玲司の視界に文字列が浮かび上がった。
《人工供物・黒魔術接触実験》
《目的:存在状態の変動に対する適応性の確認》
《副次反応:記憶情報の混入》
《副次反応:人格構造の形成》
《副次反応:自己認識の発生》
玲司は、息を止めた。
自己認識。
つまり。
自分が自分であると、認識すること。
「……そんな」
玲司の脳裏に、先日の適応型兵器の最期が蘇った。
崩れ落ちる身体。
途切れ途切れの声。
――ぼくは、なにに。
あれは、単なる機械的な反応ではなかったのかもしれない。
「……玲司」
朔夜が声をかけた。
玲司は、ゆっくりと顔を上げた。
「……あいつらは」
言葉が、うまく出てこない。
「……何のために、生まれたんだろう」
誰も答えなかった。
◇
研究室の奥には、さらに大きな区画があった。
中央には、円環状の巨大装置。
床から天井まで伸びる支柱。
その内側に、幾重にも重なった金属の輪。
輪の表面には、黒い術式が刻まれていた。
ゆっくりと回転している。
機械音は、ほとんどしない。
ただ、空間そのものが軋むような、不快な感覚だけがあった。
「……何だ、これ」
朔夜が青魔術を展開する。
解析陣が、装置の周囲へ広がった。
しかし。
「……おかしい」
「どうしたの?」
玲司が尋ねる。
「構造が、一定じゃない」
朔夜は眉をひそめた。
「同じ場所を解析してるのに、毎回違う結果が返ってくる」
青い解析陣が、何度も形を変える。
「……観測するたびに、内部の接続が変わってる?」
『同様の異常を確認しています』
ノアが応答した。
『装置の一部が、現在の空間座標と一致していません』
玲司は、装置を見つめた。
その瞬間。
視界が、揺れた。
白い研究室。
黒い壁。
崩れた天井。
見知らぬ研究者たち。
そして。
自分と同じ顔をした男が、装置の前に立っている。
「……っ!」
玲司は、頭を押さえた。
『警告。記憶情報の混線を検出』
「玲司!」
朔夜が駆け寄る。
「……大丈夫」
玲司は、必死に息を整えた。
「……今のは、たぶん」
別世界の記憶。
そう言おうとして、口を閉ざした。
見覚えがある。
この装置を。
自分は、ここへ来たことがない。
なのに。
この装置が何をするものなのか、知っている気がした。
「……ノア」
『はい』
「……端末の記録、もっと調べられる?」
『アクセス権限が不足しています。ただし、朔夜様の青魔術による補助があれば、限定的な閲覧は可能です』
「俺がやる」
朔夜が即答した。
端末へ手を伸ばす。
青い光が、黒い術式へ絡みついた。
認証画面が次々と切り替わる。
そして。
ひとつの記録が開いた。
《世界線干渉装置》
その文字を見た瞬間、玲司の心臓が跳ねた。
「……世界線」
朔夜が、低く呟いた。
続けて、研究概要が表示される。
《黒魔術による存在状態への干渉》
《異なる世界線の情報構造を観測》
《対象個体への人格・記憶情報の重畳》
《適合個体における存在状態の同期》
朔夜の指が止まった。
「……待て」
彼は、ゆっくりと画面を見つめた。
「……人格の、重畳?」
玲司は、朔夜の横顔を見た。
その表情が、明らかに変わっていた。
「……朔夜?」
返事はなかった。
朔夜は、別の記録を開いた。
そこには、ひとつの実験番号があった。
《被験対象:伊佐波朔夜》
玲司の息が止まった。
「……え?」
朔夜は、画面を凝視していた。
続けて、記録が表示される。
《対象の人格構造に対し、異なる世界線の同一個体情報を重畳》
《一時的な行動制御の変化を確認》
《対象記憶の欠落を確認》
《実験終了後、重畳状態は自然崩壊》
そして。
《干渉対象:久遠玲司》
長い沈黙が落ちた。
玲司は、画面を見つめた。
あの夜。
朔夜が、自分を殺そうとした夜。
炎。
赤い光。
青い解析陣。
そして。
自分を見つめる、知らない目。
「……そういうこと、だったのか」
朔夜が呟いた。
声が、震えていた。
「……俺は」
拳を握りしめる。
「……俺じゃなかったのか」
玲司は、何も言えなかった。
朔夜は、画面から目を離さない。
「……別の世界の俺が、重ねられてた」
その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
「……だから、記憶がなかった」
玲司は、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
朔夜は、顔を上げた。
その目には、苦しそうな光があった。
「……玲司」
「……何?」
「……俺が、お前を殺そうとした」
玲司は、首を振ろうとした。
しかし、朔夜は続けた。
「……それは、事実だ」
玲司は、息を呑んだ。
「……俺の身体で、俺の魔術で、お前を傷つけた」
朔夜は、拳を握りしめた。
「……理由が何であれ、消えない」
「……でも」
玲司は、一歩近づいた。
「……あれは、今の朔夜じゃなかった」
朔夜は、目を見開いた。
「……僕が知ってる朔夜は」
玲司は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「……誰よりも努力して、誰かを守るために強くなった人だから」
朔夜は、何も言わなかった。
玲司は続ける。
「……だから、あの夜のことを、全部自分のせいにしないで」
長い沈黙。
やがて。
朔夜は、静かに息を吐いた。
「……お前は、本当に」
苦笑する。
「……昔から変わらないな」
玲司は、少しだけ笑った。
朔夜は、右手を差し出した。
「……それでも」
その声には、迷いがなかった。
「次は絶対に、お前を傷つけない」
玲司は、その手を見つめた。
そして。
しっかりと握り返した。
「……うん」
澪が、二人を見ていた。
やがて、少しだけ笑う。
「……やっと、言えたね」
朔夜が、眉を上げた。
「何が?」
「ずっと気にしてたじゃん。二人とも」
澪は、腰に手を当てた。
「あーし、そういうの見てると落ち着かないんだよね」
「……悪かったな」
「ほんとだよ」
澪は、少しだけ笑った。
そして、玲司の肩を軽く叩く。
「ま、これで一件落着ってことで」
玲司も、頷いた。
だが。
その瞬間。
『警告』
ノアの声が、鋭く響いた。
『施設深部にて、高密度魔術反応を検出』
三人の表情が変わる。
円環状の装置が、ゆっくりと回転を速めていた。
黒い術式が、床へ広がっていく。
『複数の魔術系統を確認』
ノアが続ける。
『赤魔術。緑魔術。青魔術』
朔夜が、目を細めた。
「……三系統?」
『はい。ただし、各術式は独立した制御系統によって管理されています』
装置の向こう。
最深部へ続く巨大な隔壁が、ゆっくりと開き始めた。
その奥に。
何かがいた。
金属が擦れる音。
重い足音。
そして、赤、緑、青。
三色の光。
朔夜は、デバイスを構えた。
「……なるほど」
口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「今度は、そういう相手か」
玲司も、銃を抜いた。
『玲司様。敵性反応、急速接近』
「……分かってる」
澪が、一歩下がる。
「……二人とも、気をつけて」
朔夜は、玲司を見た。
「行けるか?」
玲司は、頷いた。
「……うん」
黒い研究都市の最深部。
そこで待っていたのは。
三系統の魔術を、完全に使い分けるために作られた兵器だった。
そして、その兵器は。
まるで、朔夜を待っていたかのように。
ゆっくりと、起動した。




