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最強の失敗作

 それは、最強の兵器として設計された。

 敵の攻撃を学習し、戦術を解析し、あらゆる脅威に適応する。同じ攻撃は二度と通用せず、戦えば戦うほど強くなる。

 理論上、敗北することのない人工生命体。

 開発記録には、こう記されていた。

 ――第零号適応型人工供物。

 しかし、研究者たちは最後に、もう一つの評価を書き加えていた。

 《実用化不可。失敗作》

     ◇

 天城市中央区。午後四時十二分。

 最初の異変は、地下から聞こえた。

 ごん。

 地面の奥で何かがぶつかる音。二度、三度と続き、やがて轟音が響いた。

 中央大通りの路面が内側から弾け飛ぶ。舗装が砕け、車両が跳ね上がり、地下から巨大な腕が突き出した。

 黒い。あまりにも黒い腕だった。

 表面には骨とも装甲ともつかない突起が並び、指は七本。肘に相当する関節が二つあり、それぞれ異なる方向へ曲がっている。

 腕が道路を掴み、地面を引き裂いた。

 そして、そいつは姿を現した。

 全高約四メートル。人間の上半身に似た胴体から、六本の補助肢が伸びている。顔には目も鼻も口もなく、無数の小さな黒い穴が並んでいた。

 その穴が、一斉に開いた。

 まるで、こちらを見たように。

『緊急警報。中央区に高密度の黒魔術反応を検出。未確認大型個体を確認。周辺住民は直ちに退避してください』

 都市防衛網に警告が走る。

 しかし、怪物は動かなかった。

 逃げ惑う人々を追うこともなく、破壊した道路の中央で周囲を見渡している。

 獲物を探す獣というより、何かを待っているようだった。

     ◇

「……嘘だろ」

 学院防衛隊の臨時指揮所で、伊佐波朔夜は大型モニターを見つめていた。

 画面には黒い巨体と、それを包囲する都市防衛部隊。そして怪物の危険度が表示されている。

 ――測定不能。

「朔夜。これ、地下施設にいた人工供物と……」

「ああ、似てる。けど、同じじゃない」

 久遠玲司の問いに、朔夜は険しい表情で答えた。

 直後、防衛部隊が攻撃を開始する。

 緑魔術の炎が巨体を包んだ瞬間、怪物の背中が開いた。

 六本の補助肢が地面へ突き刺さり、胴体を跳ね上げる。炎を抜けた巨体はビルの壁面へ着地し、別の建物へ跳躍した。

「……速い!」

 青魔術による追尾弾が放たれる。しかし怪物は着地と同時に補助肢の配置を変え、まったく異なる軌道で跳んだ。

 追尾弾が空を切る。

『対象の運動構造が変化しています』

「運動構造?」

『最初の跳躍時と、現在の骨格配置が一致しません』

 確かに、六本あった補助肢は四本に減り、代わりに脚部が太くなっていた。

「……戦い方を変えてる?」

「違う」

 朔夜が低く答える。

「戦い方に合わせて、身体を変えてるんだ」

 その瞬間、モニターが真っ白になった。

 爆発。

 防衛部隊の陣地が、黒い衝撃波に呑まれた。

     ◇

 中央区へ到着した玲司は、言葉を失った。

 道路だった場所は巨大な窪地となり、建物の外壁は剥がれ、魔術障壁の残骸が青白い粒子となって漂っていた。

 負傷した防衛隊員が次々と搬送されていく。

「敵は?」

 朔夜が現場指揮官に尋ねた。

「中央広場に留まっている。こちらから攻撃しなければ動かない」

「避難状況は?」

「周辺三区画は完了した。ただ、再侵攻されれば防衛線は保たない。奴は攻撃するたびに強くなる」

 朔夜は一瞬考えた。

「俺たちが時間を稼ぎます。防衛隊は外周の封鎖を」

「学生を前に出すわけには――」

「市民の避難は終わっています。今は奴をこの場所に釘付けにするべきです」

 指揮官は苦い顔をしたが、学院防衛隊からの正式な支援要請と朔夜の戦闘実績は共有されていた。

「……危険なら即座に撤退しろ」

「了解」

 朔夜が玲司を振り返る。

「行くぞ」

「うん」

 玲司は黒い自動拳銃型魔術デバイスを握り直した。

『戦闘支援を開始します。なお、現在の敵戦力は未知数です』

「分かってる」

『未知数とは、勝算が計算できないという意味です』

「……それも分かってる」

『では、無謀な突撃は控えてください』

「努力するよ」

『努力目標では困ります』

 朔夜がわずかに笑った。

「相変わらず、お前のAIは厳しいな」

「僕もそう思う」

 だが、笑っていられたのはそこまでだった。

     ◇

 中央広場。

 怪物は噴水の残骸の上に立っていた。

 四メートルの巨体。黒い外殻。無数の穴が並ぶ顔。そして胸部には、赤黒く輝く巨大な術式核があった。

『対象は人工供物由来の生体組織で構成されています。ただし、通常個体とは構造が著しく異なります』

「つまり、人工供物なのか?」

『その可能性が高いと判断します』

 怪物が顔を向けた。

 目はない。それなのに、確かに見られている。

「玲司。まずは俺が仕掛ける。お前は観察してろ」

「分かった」

 朔夜の身体を赤い光が包む。

 赤魔術、生命錬成術式(アルス・カルニス)。

 身体強化。

 地面を蹴った瞬間、朔夜の姿が消えた。

 二十メートル。十メートル。五メートル。

 一瞬で距離を詰めた拳が、怪物の腹部へ突き刺さる。

 轟音とともに巨体が吹き飛び、噴水の残骸が砕け散った。

「……やった?」

「いや」

 朔夜は構えを解かなかった。

 怪物が立ち上がる。

 陥没した腹部から黒い繊維が伸び、絡み合い、硬化する。数秒後、そこは厚い装甲に覆われていた。

『構造変化を確認。衝撃を受けた部位に防御組織が形成されています』

 朔夜は再び踏み込み、右脇腹へ回し蹴りを放った。

 しかし、硬い音とともに蹴りが止まる。

 脇腹から装甲板がせり出していた。

「……っ!」

 朔夜は後退し、足元を薙ぐ黒い腕を避けた。

「近接攻撃への適応か。だったら、これはどうだ」

 左手に緑色の光が集まる。

 緑魔術、原生循環術式(アニマ)。

 炎が広場を走り、怪物の足元で爆発した。

 だが、怪物は炎の中で身体を折り畳んだ。

 補助肢が八本に増え、脚部が細く伸びる。地面へ突き刺した補助肢を一気に伸長させ、巨体を射出した。

「朔夜!」

「見えてる!」

 青魔術、論理構築術式(ロゴス)。

 朔夜は軌道を解析し、半歩だけ移動した。

 巨体がすぐ横を通過し、衝撃波で道路が砕ける。

「……なるほどな」

 朔夜の声に緊張が混じった。

「こいつ、こっちの攻撃を覚えてやがる」

     ◇

 玲司は戦闘を観察していた。

 朔夜は赤魔術の近接攻撃、緑魔術の炎、青魔術の解析を使い分けている。しかし攻撃するたび、怪物の身体は変化していく。

『対象の適応速度、上昇中』

 朔夜だけに戦わせるわけにはいかない。

 玲司は目を閉じ、別世界で兵士として生きた自分の経験を掴んだ。

 《技術読込(スキルロード)》。

 視界が変わる。

 建物の配置、敵との距離、射線、退路。すべてが戦場として再構成された。

「ノア、照準補助!」

『了解』

 魔術弾が怪物の右脚へ命中し、体勢を崩す。

「朔夜!」

「分かってる!」

 朔夜が踏み込み、胸部へ拳を叩き込む。

 しかし怪物は倒れなかった。

 玲司が二発目を撃った瞬間、怪物の右脚が四本に分裂する。

 魔術弾が空を切った。

「……え?」

 怪物が玲司へ顔を向ける。

 次の瞬間、黒い腕が伸びた。

「玲司、避けろ!」

 玲司は反射的に身を捻った。腕が頬を掠め、背後の街灯が真っ二つに折れる。

『対象が射撃回避行動を学習しています』

 追撃を避けるため、玲司は格闘家の経験を読み込んだ。

 腕を受け流し、懐へ入る。

 だが、怪物の肘が逆方向へ曲がった。

「――っ!」

 想定外の角度から拳が迫る。

 防御が間に合わない。

 赤い光が割り込んだ。

「玲司!」

 朔夜が怪物の腕を蹴り上げ、玲司を抱えて後方へ跳ぶ。

 二人は道路を転がった。

「……大丈夫か!」

「う、うん……!」

「無理に接近するな!」

「ごめん……!」

 怪物はゆっくりと姿勢を変えた。

 胴体が細くなり、腕が短くなり、脚部が太くなる。

 二人の戦い方に合わせて、最適な身体を選び直しているようだった。

     ◇

『……解析不能』

 ノアの声が響く。

『対象の術式構造が、観測ごとに変化しています』

「朔夜の青魔術でも?」

「無理だ。解析した瞬間に構造が変わる。しかも、何を調べようとしているのかまで読んでやがる」

 内部構造を探れば黒いノイズが発生し、術式核を調べれば周囲が変形する。移動経路を予測すれば、補助肢の配置が変わった。

 怪物は攻撃だけでなく、解析そのものにも適応していた。

『現状の戦術を継続した場合、勝率は低下すると推定されます』

 玲司は歯を食いしばった。

 格闘家の技術も、兵士の戦術も、狙撃手の射撃も、一度見せれば次は通用しない。

 ならば、もっと強い自分を選ぶしかないのか。

 無数の人生へ意識を向ける。

 もっと速く、もっと正確で、もっと多くの敵を倒した自分がいるはずだ。

 しかし、その瞬間。

 師匠の声が脳裏に響いた。

 ――強い自分を選べば勝てると思うな。

 ――必要なのは、目の前の敵に勝てる自分だ。

「……そうか」

 今、必要なのは戦闘技術ではない。

 敵を理解するための知識だ。

 玲司は再び目を閉じた。

 記憶の奥に現れたのは、白い研究室。無数のモニター。机に積まれた論文と魔術回路の設計図。

 そこには、顕微鏡を覗く一人の男がいた。

 別世界の久遠玲司。

 魔術研究者として生きた自分。

 玲司は、その記憶を選んだ。

     ◇

 視界が変わった。

 いや、見えるものは同じだった。

 黒い怪物。崩壊した広場。戦う朔夜。

 しかし、その意味が変わっていた。

 脚部の変形、補助肢の増殖、装甲の形成。それらが一つの機構として理解できる。

「……適応型」

『玲司様?』

「ノア、敵の変形記録を全部出して」

『了解』

 視界に戦闘データが展開された。

 拳撃を受けて腹部装甲を形成。蹴撃を受けて側面装甲を増殖。炎への対応として移動機構を変更。射撃を受けて脚部を分裂させた。

「……やっぱり」

 玲司は息を呑んだ。

 敵は攻撃を受ける前に変化しているわけではない。

 必ず最初の一撃を受け、その後に対応する構造を形成している。

「……学習してるんだ。でも、ただ学習するだけじゃない」

 玲司は記録を拡大した。

「攻撃の種類を判定して、対応する身体構造を毎回再計算してる」

 研究者の記憶が流れ込む。

 人工生命体。自己最適化術式。生体組織の再構成。

 そして、適応機構の限界。

「ノア、胸部の術式核を拡大して」

 赤黒く輝く巨大な核。その表面には無数の術式が走っている。

「……あれ?」

『どうしましたか?』

「変形する瞬間だけ、核の光が強くなってる」

『確認しました。身体構造を変化させる直前、術式核の処理負荷が急激に上昇しています』

「やっぱり」

 攻撃を観測し、解析し、対応する構造を決定し、身体を変える。

 そのすべてを、一つの術式核が担っている。

「……だったら」

 玲司はデバイスを構え直した。

「適応する前に、壊せばいい」

     ◇

「朔夜! 分かった! あいつの弱点!」

「本当か!?」

「うん! でも、僕一人じゃ無理!」

 朔夜はわずかに笑った。

「最初から、お前一人でやる必要なんかねえよ!」

「敵は攻撃に合わせて身体を変える! でも、その瞬間だけ術式核に処理が集中する!」

「……適応の切り替えを狙うのか」

「うん! 一種類の攻撃じゃ、すぐ対応される!」

「だったら、違う攻撃を連続で見せればいい」

 朔夜がデバイスを構えた。

 赤、緑、青。

 三色の魔術が周囲に浮かび上がる。

『警告。複数系統の連続使用による負荷が増大しています』

「心配すんな。これくらい、いつもやってる」

 玲司は、その言葉が強がりではないと知っていた。

 朔夜は何年も、何千回も、何万回も練習してきた。三系統を自在に切り替える技術を、自分の身体へ刻み込んできたのだ。

「玲司! お前は撃つことだけ考えろ!」

「……うん!」

「俺が、道を作る!」

 次の瞬間、朔夜が消えた。

     ◇

 赤魔術、生命錬成術式(アルス・カルニス)。

 身体強化した朔夜が怪物の懐へ踏み込む。

 拳撃に反応し、腹部装甲が硬化する。

 だが、朔夜は直前で拳の軌道を変えた。

 緑魔術、原生循環術式(アニマ)。

 足元から火柱が上がる。

 怪物は補助肢を伸ばして跳躍した。

 しかし、そこにはすでに朔夜がいた。

 青魔術、論理構築術式(ロゴス)で着地点を予測し、先回りしていたのだ。

「――遅い!」

 赤魔術による蹴撃。

 怪物の胸部に装甲が形成される。

 朔夜は止まらない。

 緑魔術で炎の壁を作り、青魔術で補助肢の動きを鈍らせる。再び赤魔術で加速し、怪物の背後へ回った。

 怪物の身体が激しく変形する。

 装甲が増え、補助肢が伸び、脚部が分裂する。

 しかし、変化が追いつかない。

『術式核の処理負荷、上昇』

 玲司は胸部の赤黒い核へ照準を合わせた。

 だが、装甲が厚い。

 今撃っても届かない。

「……もう少し」

 朔夜が拳撃を見せると、怪物は装甲を形成した。

 その瞬間、朔夜は攻撃を止め、緑魔術の炎を胸部へ放つ。

 怪物が熱への適応を開始する。

 さらに青魔術による術式干渉。

 防御構造へ偽の情報を流し込んだ。

 近接攻撃。熱攻撃。術式干渉。

 三種類の異なる脅威に対応しようと、怪物の装甲が膨張と収縮を繰り返す。

『処理負荷、限界域に接近』

 玲司は引き金に指をかけた。

 だが、まだ撃たない。

 射撃はすでに見せている。今撃てば回避される。

 ――相手が何をしようとしているのか考えろ。

 師匠の言葉が蘇る。

 怪物は今、何を選ぼうとしている?

 玲司は脚部を見た。

 補助肢が地面へ突き刺さる。

 跳躍の準備。

「……朔夜! 次、上に跳ぶ!」

「了解!」

 朔夜は即座に反応した。

 緑魔術、原生循環術式(アニマ)の炎が怪物の頭上に壁を作る。

 補助肢が止まった。

 跳躍経路を失った怪物は、地上移動へ切り替えようと脚部を再構成する。

 その瞬間、胸部装甲の一部が内側へ引き込まれた。

 術式核へ処理が集中する。

『――今です!』

 ノアが叫んだ。

 玲司は引き金を引いた。

 魔術弾が一直線に飛ぶ。

 怪物は反応し、胸部装甲を閉じ始める。

 しかし、遅い。

 弾丸が装甲の隙間を抜け、赤黒い術式核へ命中した。

     ◇

 音が消えた。

 怪物の身体が静止する。

 胸部から赤黒い光が漏れ、術式核にひびが走った。

 一つ、二つ、三つ。

 そして、砕けた。

 補助肢が折れ、装甲が剥がれ、脚部が崩れる。

 形を保つ方法を忘れたかのように、黒い身体が崩壊していく。

 最後に、怪物はゆっくりと膝をついた。

 顔のない顔が、玲司へ向く。

 無数の穴から、微かな音が漏れた。

「……ぁ……」

 玲司は息を呑んだ。

 声だった。

「……ぼく……は……」

 朔夜も動きを止める。

 怪物の胸部から黒い粒子が零れ落ちた。

「……なに……に……」

 言葉はそこで途切れた。

 巨体が崩れ、黒い粒子が風に散る。

 中央広場に静寂が戻った。

     ◇

「……終わった、のか?」

 朔夜が息を吐く。

 赤い光が消え、膝がわずかに揺れた。

「朔夜!」

「大丈夫だ。ちょっと使いすぎただけだ」

 玲司は彼の肩を支えた。

『対象の術式核、完全に機能停止』

「……よかった」

 しかし、玲司の胸には違和感が残っていた。

 最後の声。

 あの怪物は、自分が何なのかを尋ねていたように聞こえた。

「……朔夜。あいつ、最後に……」

「ああ。……聞こえた」

 しばらく沈黙が続いた。

『対象の残留データから、識別情報を一部復元しました』

 玲司の視界に文字が表示される。

 ――第零号適応型人工供物。

 ――戦闘適応機構、搭載。

 ――自己進化術式、搭載。

 ――人格形成実験、実施。

 そして最後の一行。

 《総合評価:失敗》

「……失敗?」

『研究記録上、実用化不可と判定されています』

「……どうして?」

 あれほど強かった。都市防衛部隊を圧倒し、朔夜の三系統魔術にまで対応した。

 それなのに、失敗作。

「……何が、失敗だったんだろう」

『……不明です』

 玲司は拳を握った。

 ――ぼくは、なにに。

 あれは命令を待つ兵器の声ではなかった。

 自分が何なのか。なぜここにいるのか。何のために生まれたのか。

 その答えを求める声だった。

     ◇

 戦闘終了から十分後。

 都市防衛隊が中央広場へ到着し、玲司と朔夜は回収したデータを引き渡した。

 負傷者の搬送、残留魔術反応の封鎖、周辺建物の安全確認。

 現場が慌ただしさを取り戻す中、玲司は瓦礫の上に座っていた。

 隣に朔夜が腰を下ろす。

「……玲司。さっきの判断、よかったな」

「……え?」

「敵の適応機構を見抜いたことだよ。俺一人だったら、あそこまで早く気づけなかった」

「……でも、実際に戦ってたのは朔夜だし」

「それはそうだ。でも、お前が弱点を見つけなかったら、俺はいつまでも殴り続けてた」

 朔夜は空を見上げた。

「……お前、変わったな」

「……そうかな」

「ああ。前のお前なら、もっと強い技術を探してただろ」

 玲司は目を伏せた。

 確かに、そうだった。

 勝てない相手が現れれば、もっと強い自分を探す。

 けれど、今日選んだのは戦うための人生ではない。

 研究するための人生だった。

「……師匠に、言われたんだ」

 玲司は小さく呟いた。

「強い自分を選ぶんじゃなくて、目の前の敵に勝てる自分を選べって」

「……なるほどな」

 朔夜は笑った。

「いい師匠じゃねえか」

「……うん」

 玲司は曖昧に笑った。

 そのとき、ノアが静かに告げた。

『玲司様。先ほど読み込んだ研究者の記憶について、確認事項があります』

「……何?」

『当該記憶には、現在の世界で確認されていない研究施設の情報が含まれています』

「……別世界の記憶なんだから、そういうこともあるんじゃない?」

『その可能性はあります。しかし、問題は別にあります』

 視界に一枚の画像が表示された。

 白い研究室。無数のモニター。机に積まれた論文。

 そして、研究室の奥に立つ少女。

 長い髪。見慣れた制服。見慣れた横顔。

 玲司は息を止めた。

「……澪?」

 画像の中で、白瀬澪が笑っていた。

 しかし、その胸元には奇妙な装置が取り付けられている。

 背後のモニターには、こう表示されていた。

 ――《始原の奇跡》。

 玲司は動けなかった。

『この記憶の出所は、現在のところ特定できません』

 別世界の研究室。別世界の自分。

 そして、そこにいる澪。

 なぜ、自分の知らない世界で、澪が実験室にいるのか。

 そのとき、研究室の映像がわずかに動いた。

 モニターの奥。

 白い光。

 倒れ込む少女。

 そして、誰かの叫び声。

 ――澪!

「……っ!」

 玲司は頭を押さえた。

 激しい頭痛。歪む視界。

 現実の広場が、白い研究室へ変わっていく。

「玲司!?」

 朔夜の声が遠ざかる。

 脳裏に知らない記憶が流れ込んだ。

 研究室。戦場。崩壊した都市。死んだ仲間。

 そして、動かなくなった澪。

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 玲司は震える唇を開いた。

「……僕は」

 声が掠れる。

「……どこで、これを……」

 次の瞬間、視界が暗転した。

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