地下施設の秘密
最初に異変へ気づいたのは、伊佐波朔夜だった。
午前五時四十二分。天城魔術学院、高等部第二演習棟。
まだ夜の冷気が残る訓練場で、朔夜は魔術デバイスの画面を見つめていた。表示されているのは、三日前に発生した人工供物輸送車両襲撃事件の調査資料と、独自に収集した輸送経路の記録だった。
「……おかしいな」
公式記録によれば、輸送車両は午後二時十三分に第七物流管理所を出発。二時二十七分に北部幹線道路へ入り、二時三十四分に通信が途絶。二時四十一分、襲撃された状態で発見されている。
だが、道路監視記録には別の情報が残っていた。
「……二時二十九分に、別の場所を通ってる」
朔夜の指先から青い光が広がる。
青魔術、論理構築術式。複数の情報を解析し、矛盾を検出する術式だ。
北部幹線道路を走行していたはずの車両と同じ識別信号が、旧地下搬入路の入口付近で検出されていた。しかも、過去一か月に七回。同じ信号が深夜から早朝にかけて現れている。
そこは十年以上前に閉鎖された旧地下物流網だった。現在稼働する研究施設はなく、公式地図でも封鎖済みとなっている。
「……何を運んでるんだ?」
朔夜は輸送許可番号、車両識別情報、積載物の管理コードを調べた。
形式は正しく、署名も有効。しかし、更新時刻だけが一致していない。
「……誰かが、後から書き換えたのか」
通常の改竄なら痕跡が残る。だが、今回の記録は最初から正規の情報だったかのように管理システムへ組み込まれていた。
正規の権限を持つ何者かが関与している可能性がある。
朔夜は画面を閉じた。
「……玲司にも、見せるか」
◇
午前八時十二分。天城魔術学院、高等部二年三組。
久遠玲司は、自分の席で机へ突っ伏していた。
「……眠い」
『昨夜の睡眠時間は四時間十二分です。改善を推奨します』
「……分かってる」
腰のホルスターから響くノアの声に、玲司は力なく答えた。
身体のあちこちが痛い。昨日まで続いていた、正体不明の師匠との訓練によるものだった。
百回戦い、百回負けた。
最後の一回だけは、相手の動きを止められた。それでも、一度も勝てなかった。
だが、以前ほど落ち込んではいない。自分に何が足りないのか、少しだけ分かったからだ。
「おっはよー、オタクくん!」
背後から明るい声が響いた。
白瀬澪だった。
「……おはよう、澪」
「うわ、顔死んでるじゃん。徹夜でゲームした?」
「……ゲームは、してないよ」
「じゃあ何してたの?」
「……ちょっと、訓練を」
「また?」
澪は眉をひそめた。
「オタクくん、最近ずっと訓練してない? 帰るの遅いし、朝も眠そうだし」
玲司の顔を覗き込む。
「……ねえ。無理してない?」
「……大丈夫」
「ほんとに?」
「……うん」
澪はしばらく見つめてから、小さく呟いた。
「……嘘つくの、下手だよね」
玲司は何も言えなかった。
「ま、いいけどさ。でも、倒れたら怒るからね?」
「……分かった」
「約束ね、オタクくん」
玲司が頷いたとき、教室の入口から声がした。
「玲司」
伊佐波朔夜だった。いつもと変わらない落ち着いた表情。しかし、その目には緊張があった。
「ちょっと、話がある」
「……何?」
「人工供物の事件だ。妙なものを見つけた」
◇
昼休み。学院の資料閲覧室。
玲司と朔夜は、端末を挟んで向かい合っていた。
「これを見てくれ」
朔夜が輸送記録を表示する。
「公式記録では北部幹線道路を走ってる。でも、同じ車両の識別信号が地下搬入路付近で検出されてるんだ」
「……記録が、間違ってる?」
「ただの間違いじゃない。更新履歴を見ろ」
玲司は表示された時刻と管理者署名を追った。
「……これ。更新時刻が、後になってる」
「ああ。襲撃された後に、走行記録の一部が更新されてる」
「……誰かが、書き換えた?」
「その可能性が高い。しかも、正規の管理権限でな」
玲司は画面を見つめた。
人工供物。黒魔術。暴走した異形。そして、自分を襲撃した黒い魔術師。
それらが、頭の中で繋がり始める。
「……地下に、何かあるのかな」
「俺もそう思ってる」
朔夜は閉鎖された地下搬入路を地図に表示した。
そのとき、ノアが声を上げた。
『玲司。該当区域に関する過去の観測記録を照合しますか?』
「……お願い」
ノアは異形化した人工供物の術式反応、黒魔術、深淵接触術式の干渉パターン、襲撃現場の魔力残滓を、地下搬入路周辺の公開観測記録と照合した。
『一致する特徴量を検出しました』
「……え?」
『人工供物異形化個体の黒魔術反応と、旧地下物流網周辺の異常観測値に相関が認められます』
画面に二つの波形が並ぶ。
異なる場所で観測されたはずの反応。その一部が、奇妙なほど似ていた。
「……同じ術式?」
『断定するには情報不足です。ただし、共通する黒魔術構造を使用している可能性があります』
朔夜は息を吐いた。
「……やっぱり、何かあるな」
閉鎖された地下搬入路へ人工供物が運び込まれ、その周辺から異形化個体に似た黒魔術反応が検出されている。
偶然とは考えにくかった。
「……朔夜。先生に、報告しよう」
「ああ。俺もそのつもりだ」
◇
午後四時三十分。天城魔術学院、教職員棟。
魔術実技担当教員、榊原宗一郎は、二人の報告を聞き終えると、しばらく黙っていた。
机には輸送記録の解析資料と、ノアによる黒魔術反応の照合結果が並んでいる。
「……なるほどな。確かに妙だ」
「輸送記録の改竄は、ほぼ間違いないと思います」
朔夜の言葉に、榊原は頷いた。
「だが、誰が書き換えたのかは分からない。地下搬入路の件も気になるな」
「……先生。あそこに、研究施設がある可能性は」
玲司が尋ねる。
「否定はできん。だが、現時点では推測だ。正式な調査が必要になる」
「都市防衛局へ?」
「ああ。俺から学院長へ報告し、防衛局にも情報を共有する」
玲司は少しだけ安心した。専門の調査員が動けば、何か分かるかもしれない。
「それと、お前たちはこれ以上深入りするな」
榊原は二人を見た。
「違法な黒魔術を扱っている可能性がある。学生が独断で動いていい事件じゃない」
「……分かりました」
「いいか。これは命令だ。何か分かっても、まず俺へ連絡しろ。絶対に勝手な行動をするな」
その声には、普段の授業とは違う重みがあった。
◇
午後六時十七分。天城市北部研究区画、地下三十二メートル。
旧地下物流網の奥には、公式地図に存在しない研究施設があった。
白い壁。無機質な照明。長い廊下。
そして、無数の培養槽。
透明な液体の中に、人間に似たものが浮かんでいる。
人工供物。本来、自我を持たない生体資源として製造される存在だ。
その身体には、黒い術式が刻まれていた。
「……第七実験体、反応上昇」
研究員が端末を操作する。
脳活動、神経伝達、魔力反応。そして、記憶情報。
本来、人工供物には存在しないはずの項目だった。
「……また、出てる」
画面には名前、年齢、職業、家族構成、死亡記録が表示されていた。どれも製造記録には存在しない情報だ。
「……どこから、こんな記憶が」
「別の世界からだ」
背後から声がした。
振り返ると、白衣の男が立っていた。痩せた顔に、感情の読めない目。
「……主任」
「自我を持たない器に、別世界の人格情報を重ねる。興味深い現象だ」
男が培養槽へ近づく。
画面に黒い術式が展開された。
黒魔術、深淵接触術式。認識と存在状態へ干渉する禁忌の魔術。
「世界線の境界を一時的に緩めれば、別の可能性を観測できる」
「……つまり?」
「別世界で生きた人間の記憶が、この器へ流れ込んでいる。正確には、記憶だけではない」
新たな数値が表示される。
人格反応。自己認識。存在干渉率。
「……人格まで?」
「ああ。場合によっては、存在そのものを重ねられる」
「……そんなことが」
「可能かどうかを、我々は確かめている」
その瞬間、人工供物が目を開いた。
「……っ!」
液体の中で口が動く。声は聞こえないが、端末に文字が表示された。
――ここは、どこだ。
研究員の指が止まる。
――俺は。
――俺は、誰だ。
白衣の男は、その様子を見つめていた。
「……成功だ」
だが、次の瞬間。
培養槽の内部で、黒い光が弾けた。
◇
午後六時二十一分。
北部研究区画の地上監視システムが異常を検出した。
地下深部から急激な魔力反応。高密度の黒魔術と、複数の術式暴走。
都市防衛局の端末に警告が表示される。
――未登録魔術反応を検出。
――発生地点:北部研究区画地下。
――危険度:判定不能。
直後、地面が揺れた。
地下で何かが崩れるような、鈍い音が響いた。
◇
午後六時二十四分。天城魔術学院。
玲司は帰宅の準備をしていた。
「……今日は、早く寝よう」
『賛成です。今夜は訓練を中止すべきです』
「……うん」
鞄を肩へかけた瞬間、端末が震えた。
――北部研究区画において、異常魔術反応を検出。
――周辺区域への立ち入りを制限。
――関係者以外は、速やかに退避してください。
「……北部研究区画?」
教室の扉が開いた。
「玲司!」
朔夜だった。
「見たか、通知」
「……うん」
朔夜が差し出した地図には、赤い警告表示があった。
その中心は、二人が調べていた旧地下搬入路だった。
「……ここだ。俺たちが調べてた場所だ」
玲司は息を呑んだ。
地下に何かがある。そして今、それが暴走している。
「……先生に、連絡しよう」
「ああ。もう送った」
そのとき、ノアが警告を発した。
『北部研究区画において、黒魔術反応の急激な増大を確認』
表示された波形を見て、玲司の表情が変わった。
「……これ」
『人工供物異形化個体の反応と、複数の特徴量が一致しています』
続いて学院から緊急待機指示が届いた。実技担当教員は防衛局との連携準備を開始し、関係生徒は指定場所で待機するよう求められている。
「……僕たちは」
「分かってる。勝手に動くなって言われてる」
朔夜は頷いた。
「でも、先生たちから協力を求められたら、そのときは俺たちも動く」
「……うん」
◇
午後六時三十九分。北部研究区画。
都市防衛局の先遣調査班が現場へ到着した。
地上に大きな損傷はない。しかし、地下搬入路の鋼鉄製扉は、内側から押し破られたように変形していた。
「……地下構造、確認」
調査員が青魔術、論理構築術式による構造解析を行う。
地下三十二メートル。本来、空洞が存在しないはずの場所に、巨大な施設があった。
複数の実験室、培養槽、搬入路。そして中心部には、巨大な術式反応。
「北部研究区画地下に、未登録の研究施設を発見。内部構造の一部が崩壊しています」
調査員が無線で報告する。
「了解。内部進入は増援到着まで待機します」
そのとき、地下から金属を引き裂く音が響いた。
調査員たちがデバイスを構える。
「……何か、いるぞ」
暗い搬入路の奥に、人影が現れた。
いや、人影に見えたものだった。
異常に長い腕。不自然な方向へ曲がった関節。目も鼻もない顔。皮膚の下を這う黒い術式。
「……人工供物?」
さらに、その背後から影が現れる。
一体、二体、三体。
暗闇の奥には、まだ何かがいた。
「……緊急報告! 地下施設内に、複数の異形化個体を確認!」
直後、最前列の個体が跳躍した。
黒い腕が暗闇を切り裂く。
調査員たちは咄嗟に青い障壁を展開した。
だが、その向こうで異形の群れは増え続けていた。
◇
午後六時四十五分。天城魔術学院、教職員棟。
玲司と朔夜は、榊原の前に立っていた。
机には防衛局からの緊急情報が表示されている。
地下研究施設。黒魔術、深淵接触術式反応。複数の異形化個体。そして施設内部の崩壊。
「……まさか、本当にあったとはな」
榊原は険しい表情だった。
「お前たちの情報が、今回の発見につながった」
「……じゃあ」
「ああ。地下に研究施設が存在していた」
玲司は画面を見つめた。
人工供物、黒魔術、失踪事件。すべてがそこへ繋がっている。
「……先生。僕たちに、できることは」
榊原はしばらく黙ってから答えた。
「ある。ただし、現場への突入は認めない。現場付近の観測支援を頼みたい」
「……観測支援?」
「お前たちが収集した記録と、現場の術式反応を照合する。防衛局の調査班だけでは情報が足りない」
玲司と朔夜は頷いた。
「いいか。絶対に無茶はするな。異常があれば、すぐに退避しろ」
「……はい」
◇
午後七時十二分。天城市北部研究区画。
二人は都市防衛局の臨時指揮所へ到着した。
防衛車両、魔術障壁、監視ドローン、武装した調査員。その先に、地下搬入路の入口が黒く口を開けている。
「……ここが」
「ああ」
朔夜の声は低かった。
暗い通路から冷たい空気が流れてくる。
『地下方向から、未登録の術式反応を検出。人工供物異形化個体の反応と類似しています』
「……うん」
玲司がデバイスへ手を伸ばしたとき、朔夜が肩へ手を置いた。
「……大丈夫か?」
「……うん」
「無理すんなよ」
「……分かってる」
玲司は小さく笑った。
だが、その笑顔はすぐに消えた。
地下搬入路の奥から、声が聞こえたのだ。
――たすけて。
「……え?」
「どうした?」
「……今、誰か呼んだ?」
朔夜は眉をひそめた。
「……いや」
周囲の調査員も、誰も反応していない。
だが、もう一度。
――たすけて。
『玲司。音声入力に該当する信号は検出されていません』
「……じゃあ」
『ただし、あなたの神経活動に異常な反応を確認。記憶読込時に類似した反応です』
その瞬間、視界が揺れた。
暗い通路。冷たい床。白い壁。培養槽。
そして、誰かが泣いている。
――ここは、どこだ。
――俺は、誰だ。
「……っ!」
玲司は頭を押さえた。
「玲司!」
朔夜が肩を掴む。
知らない記憶。知らない場所。知らない声。
それなのに、すべてを知っている気がした。
「……朔夜」
「何だ」
「……ここ、何かいる」
朔夜はゆっくりとデバイスを構えた。
「……分かってる。俺にも嫌な予感がする」
◇
午後七時十八分。地下研究施設。
崩壊した実験室には、割れた培養槽の破片と黒い液体が散乱していた。壁一面には黒魔術、深淵接触術式の術式が刻まれている。
研究員の姿はない。
ただ、一台の端末だけが稼働していた。
――実験対象:人工供物第七個体。
――黒魔術接触率:上昇。
――人格反応:検出。
――記憶情報:検出。
――存在干渉率:臨界値超過。
そして、最後の行。
――世界線干渉実験。
◇
午後七時二十三分。臨時指揮所。
玲司と朔夜の端末へ、調査班から映像が転送された。
崩壊した実験室。破損した培養槽。黒い術式。そして研究記録。
「……世界線干渉実験?」
朔夜が呟く。
玲司は息を呑んだ。
世界線。別の可能性。別世界の自分。
そして、自分の能力。
「……まさか」
「玲司?」
「……僕の能力と、似てる」
「……何が?」
「……別の世界の記憶を、今の世界へ持ってくるところが」
朔夜は黙った。
「……僕は、別世界の自分の経験を読んでる」
その言葉に、朔夜の表情が変わった。
「……やっぱり、そうなのか」
「……え?」
「お前の動き、ずっとおかしかったからな。でも、そういうことなら少しは納得できる」
朔夜は再び画面へ目を向けた。
「……別世界の、人格」
その表情が曇る。
「……玲司。俺、ずっと気になってることがある」
「……何?」
「お前が怪我した、あの夜」
玲司の心臓が跳ねた。
「……俺、記憶がないんだ。でも、デバイスの記録には黒魔術、深淵接触術式の反応が残ってる」
朔夜は拳を握った。
「……俺、何かしたんじゃないかって」
玲司は視線を逸らした。
あの夜、朔夜は自分を殺そうとした。
赤魔術、生命錬成術式。緑魔術、原生循環術式。青魔術、論理構築術式そして黒魔術、深淵接触術式
あれは確かに朔夜だった。
けれど、今の朔夜ではなかった。
そんな感覚が、ずっと残っていた。
「……朔夜。あの夜……」
言葉が喉で止まる。
世界線干渉実験。別世界の人格。記憶の重なり。
そして、あの夜の朔夜。
「……もしかしたら」
玲司の声が震えた。
「……あの夜の朔夜は、別の世界の朔夜だったのかもしれない」
沈黙が落ちた。
周囲では調査員たちが忙しく動き、無線機の声と警告音が響いている。
だが、二人には遠く感じられた。
朔夜はしばらく黙っていた。
「……そうか」
やがて、苦しそうに笑った。
「……だったら、ちゃんと確かめないとな」
「……うん」
玲司が頷いた、そのとき。
臨時指揮所の警報が鳴り響いた。
「地下施設から、複数の異形化個体が接近!」
二人は同時に振り返った。
端末の映像には、暗闇の奥で蠢く無数の影が映っていた。
長い腕。歪んだ関節。黒い術式。
人間の形を失った人工供物たち。
朔夜がデバイスを構える。
「……玲司」
「……うん」
『警告。複数の高危険度魔術反応を検出』
玲司は暗い通路を見つめた。
その奥から、また声が聞こえた。
――たすけて。
同時に、知らない誰かの記憶が流れ込む。
燃える街。崩れた建物。倒れた仲間。そして、血に濡れた手。
玲司はゆっくりとデバイスを握った。
百回の敗北。
百回の選択。
師匠の言葉が脳裏に浮かぶ。
――必要なのは、目の前の敵に勝てる自分だ。
玲司は静かに息を吸った。
今度は、何を選ぶべきなのか。
それを、自分で考えなければならない。
暗闇の奥で、異形の群れが動き始めた。




