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007:【side・ババアンナ】②


 皇王家の紋章が入った重たい書類箱を前にして、ババアンナは苛立たしげに扇を打ち鳴らした。

 目の前の税務官が訪ねてきたのは、この重たくて、面倒で、厄介極まりない書類箱を押し付ける業務のためだった。


「――つまり、どういうことですの?」


 机の向こうに座る税務官は、感情のない声で書類をめくる。

 

「ご説明した通りです。故パパーダ・レイン子爵の遺産を奥様お一人で相続される場合、相続税はこの額となります」


 差し出された紙を見て、ババアンナの眉がギリリと音を立てて吊り上がる。


「なっ……こんなに!? これでは、遺産の半分にも相当するわ!」


「はい。正確にはそれに近い額です」


 淡々とした返答に、ババアンナは思わず椅子から身を乗り出した。


「そんな馬鹿な! 私は妻ですよ!? 正当な相続人でしょう!」


「ええ、もちろんです、奥様。しかしながら……2年前から隣国と戦争が続いていることはご存じでしょう?」


 ババアンナは眉をひそめた。

 確か海を隔てた隣国との戦争が原因で物流が多少悪くなっていることは知っている。


 だが、この聖皇国(せいおうこく)はそれ以外の国とはそれなりに良好な関係を維持しているし、そこまで極端な物価上昇は起こっていない。


 もはや聖皇国の勝利は揺るがないのに、その隣国がいつまでもしぶとく降伏しないだけ……

 それがこの戦争の実態だ、と誰もが認識している。

 

「ええ、もちろんですわ。でも戦争とは言え一部地域での小競り合いでしょう?」

 

「はい。小競り合いに過ぎないのは事実ですが、それでも軍費が拡大している現状を鑑み、去年から相続税のあり方が変わったのです。」


「そんな……!」

 

「これはすでに施行されている現行法です。相続税は身分やお気持ちで変わるものではありません」


 無機質とも思えるような冷静な財務官の声音に、ババアンナの口元が引きつる。

 夫が死んだとき、彼女は胸の内でほくそ笑んでいた。

 あの男の遺産はすべて自分のもの。

 

 顔に傷のある前妻の娘など、さっさと家から追い出して、残りのお金で可愛くて魔力容量も多い愛娘のイヤミーナをより魅力的に着飾らせ、よりお金のある上級貴族に嫁がせる。


 そんな万全の計画を立てていたというのに!


「で、ですが……! こんな大金をっ! ソウゾクゼイ? とやらで持っていかれてしまっては、可愛い娘が社交に出るためのドレス代すらままなりませんわ!」

 

「ええ、それは国の方でも理解しています。……ですので、相続税の控除を最大限利用する方法について説明します。」


 税務官は次の紙を差し出す。


「法定相続人は三名。奥様、前妻の娘であるパメリア様、そして奥様のご息女のイヤミーナ様です。この三名で同時相続をした場合――」


 差し出された紙の数字を見た瞬間、ババアンナは息を止めた。


「……税金が、減っている?」


「はい。総額の四分の一ほどになります。相続人が複数になる場合は、控除として一人につき一定額を差し引くことができます。つまり、複数名で相続した方が税金は安くなります。」


 たったそれだけの説明なのに、まるで胸ぐらを掴まれた気分だった。


「つまり……あの子にも遺産を渡さなければならない、と?」


「ええ。まぁ、お二人のお子様と奥様との共同相続の方が法律上、最も控除額が大きくなりますね。」


 ババアンナの顔がみるみる歪む。


 あの娘に?

 ようやく家から追い出した、あの女に?――冗談じゃない!


 だが、紙に並ぶ数字は残酷だった。

 半分持っていかれるのと、四分の一で済むのとでは話が違う。


 しばらく沈黙したあと、ババアンナは大きく息を吐いた。


 「……相続人は3人でお願いできるかしら……」


 税務官は苦虫をかみつぶすようなババアンナの様子を特に不自然だと感じていないのだろう。


 「かしこまりました。」


 書類にさらさらとペンを走らせながら、彼は何気なく言った。


 「なお、成人されているパメリア様の分につきましては、ご本人の管理となります。未成年であるイヤミーナ様の分につきましては、保護者である奥様の管理となります」


 その言葉に、ババアンナは扇で口元を隠した。


 「ええ、分かっておりますわ」


 ――表向きは。


 だが、あの娘は公爵家で働いている。我が子爵家の金の管理など、どうせ分からない。

 それに、そもそもあの娘の給料だって、ずっとこの家に振り込まれるのだ。

 今さら何を言う資格があるというのだ。


「では、三人分の書類はこちらにお送りして構いませんか?」


「書類?」


「控除を受けるには、それぞれが相続人として承認していただくための書類にサインが必要になります。もし、お子様が成人されてご実家を離れているようでしたら、そちらに直送も可能ですが?」

 

 そんなものを、がめつくて書類に強いあの娘に見せてしまったりしたら、後から「お父様の遺産を渡せ」と言われかねない。


「……レイン家に3人分を直送でかまいませんわ」


 ババアンナは税務官にそう伝えると、彼は気にしている様子もなくチェックリストにレ点を書き入れた。

 

(サインなんて、誰かに代筆させれば良いだけの事だわ。)

 

 ババアンナは口の端をわずかに引き上げた。


「では、そのように書類をまとめてお送りしますので、期日までにお手続きをお願いいたします」


 扉が閉まり、部屋に静寂が戻る。

 税務官が退出した後姿を見送ると、ババアンナは舌打ちすることを止められなかった。

 

 厄介な娘を追い出し、夫の遺産で悠々自適。

 後は可愛い娘を玉の輿に乗せるだけ――そう思っていた。


 だが、最近になって気づいたことがある。

 あの娘がいなくなってから、この家から妙に金が出ていくのだ。


 税の支払い、

 帳簿の整理、

 使用人の賃金、

 修繕費の計算、

 日々の生活費。


 これまでは、このような雑務はあの娘の仕事だった。

 だが今では、ババアンヌの机だけではなく、ドレッサーの上にまで書類が積み上がっている。

 

 「奥様、水道利用料金の納付期限の書類をお持ちしました」「奥様、貴族院から請求書が届きました」「奥様、こちらの帳簿はどちらに置きましょう?」「奥様、今月の食費についてご相談が」「奥様、古くなったクローゼットの修繕はいかがいたしましょう?」「奥様」「奥様!」「奥様!!」


 使用人たちがこぞって面倒な書類を自分に渡してくるのだ。

 

 ババアンヌは気づいていない。

 パメリアがいなくなったから、金が出て行っている訳ではない。

 実際は、レイン子爵家に遊んで暮らせるほどの余裕など、元々無かったのだ。


「……面倒なこと」


 ババアンナは苛立たしげに呟いた。

 机の上には、まだ大量の書類が積まれている。


 それは、かつてすべてパメリアの手で片付けられていたものである。

 不足が発生すればパメリア自ら内職を増やし、時には経費を切り詰め、なんとかやりくりをする。

 それでようやくレイン子爵家が回っていたことに。


「はぁ……それよりも、今はイヤミーナの社交界のことを考えなくては」

 

 彼女は、まだ気づいていなかったのだ。


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