025:【side・アークヴェル】③
【sideアークヴェル】
――下町の瓦版製作所へ依頼に行く。
たったこれだけの事なのに、まるで世界中の空気の重さが変わってしまったのではないか、と思うほど、息がしやすい時間だった。
馬車の中で取った簡単なランチタイム。
だが、食べ物の味をうまい、と感じたのはいつぶりだろう。
ちなみに、今回は中央役場から出した書類の中に、父と母宛でこの別邸での運営報告が含まれている。
セレスとマリク……そして、何よりパメリア殿のおかげで久しぶりに明るい報告が書けたのも私の気分を軽くしていた。
だが、馬車が屋敷のエントランスまで戻ってくると、一台の馬車が止まっていた。
あの紋章は……私の母のものだ。
だが、母本人がこの別邸に来るという予定はない。
おそらく母からの使いだろう。
「あれは……」
「アーク坊ちゃま……何をなさっておいでか?」
私達が馬車から降りると、その様子を目ざとく見つけた男性が私に声をかけてきた。
その後ろには、二人の付き人を従えている。
「……これは、ゲドーダ殿」
年の頃はまだ30代程度なのだが、王都でも評判の魔法医として母に信頼され……昔からマリクの主治医を務めてくれている方だ。
ご本人曰く、生まれは平民のようなもの、とおっしゃっていたのだが、その魔力量は上級貴族に比肩しうる量を誇り……実際、私よりもよほど豊富、と言っていいだろう。
だが、そんなゲドーダ殿の視線が、私の後ろ……弟のマリクとパメリア殿に向けられた途端、急に険しさを増した。
「これは、どういうことですかな? 私の言う通りの治療を続けてくれていれば、そろそろ処置を次の段階へと進めたというのに……」
忌々しそうに呟くゲドーダ殿。
「その事なのですが、ゲドーダ殿……」
私がパメリア殿から聞いた魔力多可症についての話をしようとするのを、ゲドーダ殿は片手で遮り、後ろの付き人に声をかけた。
「おい、ソノイ、チトニ、あれを処置室へ戻して、いつもの薬を飲ませておけ。飲まないようなら注射でも座薬でも何でも構わん。暴れるようなら拘束しろ。魔除けと首輪は持ったな?」
「「……はっ!」」
ソノイ、チトニと呼ばれた屈強そうな付き人がパメリア殿と弟の方へ歩き出した。
それを見たマリクが、明らかに何かおびえた様子でパメリア殿の袖を掴む。
「マリク様?」
パメリア殿の声に混ざり、ふわり、と。
何か不自然なほど生暖かい風が弟の方から吹いた気がした。
「お待ちください!」
私は、咄嗟に二人の付き人とパメリア殿達の間に立ち塞がる。
「アーク坊ちゃま……治療の邪魔です。お退きください。」
その様子を目にしたゲドーダ殿が、まるで、苦い薬を嫌がる子供に言い聞かせるような口調で私に声をかけてきた。
だが、その瞳の奥に宿るのは暖かな気遣いなどではなく、何か冷たい……
まるで愚かな実験動物が、誤った方向に走り出すのを止めるような冷酷さに満ちていた。
「ゲドーダ殿、貴方の治療方針では弟の魔力多可症は進行する一方でした。一体どういうことなのかご説明ください! それがこうやって、外に出られるまでに回復したのは、パメリア殿のおかげです!」
「ハハハッ! 魔力多可症? 私はそんなものを治療している訳ではありません」
力強く断言するゲドーダ殿の言葉に、思わず眉を寄せる。
パメリア殿から魔力多可症についての指摘を受けた後、私自身も魔道医学書を取り寄せ、さっと一読してみたのだが、彼女の見立てと弟の症状は驚くほど一致していた。
「ならば……弟は一体、何の病だと?」
「……もっと深い……公爵家の病根を断つための処置をしているのです」
「ですが、実際、弟の体調は……」
「『次期公爵』ともあろう方が、表面的な物事に惑わされてはいけません。第一、これは、貴方の治療の為でもあるのですよ」
「私……の?!」
何を言っているんだ?
私は別に治療を必要とするような病気ではない。
……多少、胃が痛む事はあるが、あれは魔法薬などではなく、一般的な薬草から処方されているもので十分賄える範疇である。
第一、ゲドーダ殿はマリクの主治医であるはずだ。
だが、そんな私の動揺に気づいたのか、ゲドーダ殿は「やれやれ」と言った様子で大きく肩を竦めた。
「アーク坊ちゃまは、ヤンデルーナ様からは何も窺っていないのですか?」
「……母上から?」
突然、出された母の名に困惑は深まる。
「わたくしの可愛いアークヴェル……貴方はもう少し魔力量さえ増やせれば、次期公爵どころか、皇王家に養子に出したって何も恥ずかしくない血筋なのよ」
「あの女の子供になど、かわいい貴方が負けるはずが無いでしょう?」
「魔力量が少ないからって、卑屈になる必要はありませんよ。貴方の魔力量は必ず、わたくしが増やしてあげますからね」
「さ、このお守りを肌身離さず持っていなさい。魔力量を増やす効果があります」
「貴方は、やればできる子です」
思い出す母の言葉はそんなものばかり。
私の事を思って色々と手を尽くしてくれているのは理解できるのだが、その度に、母の思いに応えられない自分が情けなく……どうにも居心地が悪く、私の方から母に何かを尋ねる事は稀だったと言っていいだろう。
ただ、カネモティア殿に置いて行かれて泣いていたセレスの事や、マリクの体調が悪化している事。
その辺りを相談してみた事はある。
だが、いずれも「そんなことを貴方が気にするべきではありません」という態度だった。
一応、貴族の子供の成長を祝う5歳と10歳の際は、弟たちにも最低限の贈り物を送ったりしていたが……基本、母上は弟たちに無関心に近かったと記憶している。
「……魔力量増加の魔道具、と言われても分かりませんか?」
ゲドーダ殿が、あきれた様子で腕を組む。
「……母から弟に贈られた、あの魔道具のことですか? それなら残念ですが破棄させていただきました。弟の病気治療には逆効果になってしまう、と母にも手紙で報告してありますが?」
私の答えに、ゲドーダ殿は、一瞬驚いたように目を見開いた。
「なるほど。……箱入りも、度が過ぎると滑稽ですな」
「それは……どういう?」
「いやだぁぁぁっ!!」
ドゥッ!
「うわっ!?」「なっ!?」
だが、次の瞬間、唐突に響いた弟の悲鳴と、全身に突き刺さるような強さの突風。
思わず引き攣った叫びをあげたのは私だけではなかった。
どうやら、私がゲドーダ殿との会話に集中していた隙に、付き人のうちの一人がマリクを何か刺激するようなことをしたに違いない。
車いすではなく、地面に直接倒れこんでいるマリクと、それを庇うようにひざまづいているパメリア殿の姿が見えた。
「やめろ! 二人に何をしたんだ!?」
私は、マリクとパメリア殿の所に駆け寄ろうとするも、この突風が邪魔をしてまともに前へ進むことができない。
「……ッチ、まだこれほど操作容量が残っていたとは……【魔波結界】!」
そんな私を後目に、ゲドーダ殿は、高等技術である魔力そのものを遮る結界魔術を自分自身に付与すると、この暴風をものともせず、パメリア殿とマリクの方に歩みを進める。
「おい! ソノイ、チトニ! この程度の魔力嵐も防ぎきれないのか? 私の魔除けを持ちながら情けない。さっさとこの女をそれから引き剥がせ」
「で……ですが……ゲドーダ様……うぉっ!? どんどん風が強く!?」「うわぁ!?」
二人の付き人は飛ばされないよう地面に四つん這いになって、動くことができないようだ。
ただ、それは私にも言えることで、風をわずかでも防ぐよう、背を低くしてその場にとどまるのが精いっぱいだ。
「ふん! 役立たずどもめが! おい! 女、邪魔だ! そこをどごふぇっ!?」
「「「!?」」」
突如、ゲドーダ殿が奇妙な声を上げると同時にその体が吹っ飛んだ。
「え?」
「ああ、やっぱり。【魔波結界】は、魔力的な影響力を最小にするかわりに、物理に非常に弱くなってしまうので、使用時には注意が必要、と教本にあったとおりですね」
私の視力がおかしくなっていなければ、彼女はただ、その場に立ち上がっただけである。
ただし、ゲドーダ殿が地面に伏せるマリクに触れようと、腰をかがめた瞬間に、その顔面めがけて頭突きするような勢いで……という注釈は付くだろうが。
にこにこと、場違いな笑みを浮かべているようだが、私には、いつものあの暖かいパメリア殿の笑顔ではなく……
明らかに怒気を放っているように見えた。
面白いと思ったら☆を5個か4個
普通かなと思ったら☆を3個
イマイチと思ったら☆を2個か1個
押してね! 励みになります!!
続きが気になる……続きも読みたい、と思ったら、ブックマークをお願いします!




