020:魔導書写本はひと押しで
そんな訳で、セレス様の所から毎日のように空っぽの魔石を、ありったけ回収させていただいたところ、マリク様の体調の方が徐々に改善しているのがわたしの目からも明らかになってきた。
背中の痣はほとんど消えてきているし、腰の痣も薄くなりつつある。
呼吸が楽になっているのか、夜の睡眠もしっかりとれているようだし、今の顔色なら「お体が弱そう」の範疇に収まっている。
……今思えば、最初の顔色は……ご遺体の方に近かったからな……
「……ねぇ……何、してるの?」
お? 珍しいな。マリク様がこっちに興味を示すなんて……
マリク様がお元気になってくださるのはありがたいのだが、その反面、ちょっと目を離すのが危なくなってきているのも事実。
……この子、何をしでかすか予想がつかないからなァ……マジで。
精霊との対話が内臓乱舞とか、誰が想定するというのだ。
一応、他の人に対して何か干渉している訳ではないから良いけど。
「これですか? 今、魔導書の写本をしているんです」
ちなみに、ついさっきまでは、口や頭から光る粒を出したり、入れたりして遊んでいたようなのだが、今、その粒たちは見当たらない。
「……なんで?」
「セレス様のお手伝いですよ。いつもマリク様に魔石をくださるでしょう?」
「……うん」
そう、ペガサスの件で空っぽの魔石を頂ける約束をしたのだが、マリク様の消費量がわたしの予想を遥かに上回っていたのは、ちょっと想定外だったのだ。
西宮に溜まっていた空っぽの魔石は早々に使い切り、今はセレス様達のパーティーがわざわざ空っぽの魔石を探すためにダンジョンに潜ってくれている。
「ふん! 僕がわざわざ、あの『出来損ない』のためにダンジョンに行くわけないだろ!! ペガサスとの連携も含めて、パーティーのレベルを上げる為に行っているんだ! 誤解するな!」
……と、怒鳴ってらっしゃったけど、絶対に数十個は空っぽの魔石を持ち帰って来てくれるのよね……
ツンデレお兄ちゃんめ。
ただ、そのせいで汚してしまった魔導書写本作業は遅々として進んでいない。
そのため「これ以上、毎日のように空の魔石が欲しいなら、少しは手伝え!」と交換条件を出されてしまったのだ。
魔導書の写本作業なら、マリク様を見ながらでもできるし、分量については特に取り決めをしていない。
つまり、マリク様のお世話で忙しければ、一日「数文字」でも写本したことになるのだ。
この程度の事で良いなら、と引き受けていた訳である。
「マリク様は魔法文字が読めるんですか?」
「……これ?『火炎の呼ぶを至りて、火霊の労に報うるに足る魔力捧ぐべし』?」
ほぼ完璧に読めとるやないけ。
マリク様はわたしの写した文字をすらすらと読み上げた。
これは……アークヴェル様から、マリク様に魔法文字を教えてあげて欲しい、と言われたけど、教える必要性が無いくらいだ。
火霊のことを「ファーレム」とか、魔力のことを「マリク」と呼ぶのは古典読みだが、意味を理解するのに大きな問題は無い。
「すごいです、マリク様! どうして、魔法文字が読めるんです?」
「……この形のヤツは……エクゥが教えてくれた」
えっ? 精霊さんってそんなに知能高いの?
それとも、エクゥさんが特別個体なの?
「す、すごいんですね、エクゥさん……」
私の言葉に、今まで姿が見えなかった光の粒が、不意に輝き始め、マリク様の隣に現れたひときわ大きな光の玉が得意げにぷるぷる震えた。
なお、エクゥさん達については、あんまりしつこく尋ねると、マリク様が不機嫌になるか、意味不明度が増すんだよね。
「……エクゥはタムタムのソーガでフィエシスタイドのがイーの」
……とご説明いただいた時は
「ナルホド、ソウナンデスネ……」と答えることしかできなかった。
「……写本って……なんで、そんなに……ゆっくりやるの?」
わたしの手元を不思議そうに見ながら首をかしげるマリク様。
「これは魔力がある人しか読むことができない文字を書くインクなんですよ。だから、それを複製するには、それを使ってこうやって一文字づつ書き写すしかないんです」
だが、マリク様は納得できないご様子。
突如ふわり、と浮いた魔道インクを自身の左手に垂らすと
「……こうすれば?」
と、ぺたん、と判でも押すように白紙に左手を押し当てた。
「えっ!?」
マリク様が左手を離すと、その白紙には、元の魔導書と同じ文字がきれいに写本されていた。
まるで、一つの見開きページを判子として写し取ったかのように、元の魔導書の文字が複製されている。
「す、すごいです! マリク様! で、でも、どうやって?」
「……え?……だって、同じ形に写すんでしょ? だから、これを同じ形にして……来てもらったの」
むしろ逆に何でできないと思うの? と言う顔で残ったインクを左手でスライムのように握りしめているけど、そもそも、普通の人間は「液体を中空で握り締める」と言う行動が出来ないんだよなぁ……
「えーと……ちなみに、次のページも同じようにできますか?」
「……できるよ。」
ぺたん。
書き直された……と言うより、転写されたページには一言一句誤差が無い。
おぉう……なんという速度と効率……!
「……次は?」
どうやら、マリク様はこの写本作業が気に入ったらしく「次は? 次は?」と促されるままにページをめくってあげると、結構、楽しそうにぺたん、ぺたんと作業を続けている。
ほんのわずかな時間で、1冊分の写本が終わり、2冊目に突入してしまった。
しかも、汚れてしまって読みづらいページであっても、きちんと「文字」と「汚れ」の違いが分かるのか、マリク様が転写したページは正確な魔法文字の記述となっている。
こ、これは……地味にすごい……!
多分、写本したことがある人なら、この凄さがわかると思われるけど、普通、1ページを完全に写し切るのに、半刻程度はかかるのだ。
しかし、マリク様は「ぺたん」という一瞬で、完璧に仕上げている。
しかも、2冊目は1冊目の基礎的な魔導書とは違って、魔法陣の記述が多く、写本難易度が飛びぬけて高い魔導書なのに……である。
「……ん~……そうなの? ……ねぇ、これ、トラがちがうって」
「へ?」
唐突に、それまで、ぺたん、ぺたん、と転写を続けていたマリク様が何かと会話するように頷いた後、元の魔導書の魔法陣を指さして呟いた。
そこに描かれていたのは魔術の威力を増す地場を作るための魔法陣だ。
「えーと、一応、元と同じものをこちらに写してもらえますか? で、正しいものはこちらの用紙にお願いできます?」
「……うん、いいよ」
わたしは、ぺたん、ぺたん、と無造作に転写された2枚の用紙、それと、元の魔導書を見比べた。
確かに、最初のものと元の魔導書は同じ魔法陣が描かれているが、マリク様が「正しいもの」として転写した魔法陣には、中央部分に今はあまり使われていない魔法文字が追加で記入されていた。
他にも、魔法陣を形作る線が増えていたりしているけど、その改変の意味までは……流石に専門分野ではないのでそこまで詳しい判断はできない。
これは、アークヴェル様経由で研究機関にでもご提出いただいた方が良いのかもしれない。
「……あ……終わっちゃった」
その後も、ぺた、ぺた、と転写を続けていたマリク様が左手を見て呟いた。
どうやら、魔道インクが終わってしまったらしい。
「えっと……まだ写本を続けますか?」
「……いいの?」
マリク様の瞳が輝いたように見えた。
良いも何も、こちらとしては、ありがたい限りである。
そんな訳で、新たなインクと新しい用紙、そして写本したい汚れた魔導書を渡したところ、精霊さん(?)とおしゃべりをしながら、作業を続けて3冊分の写本を数刻の内に終わらせてしまったのだった。
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