012:【side・アークヴェル】
【sideアークヴェル】
はぁ……。
私は目の前にある面談希望書に対して小さくため息をついた。
父に認められるため……代行としてこの屋敷を取り纏めはじめてようやく1年。
思いの外、代行業はスムーズにいかない事だらけで自分のいたらなさが嫌になる。
そのうえ、父や母からの「わざとなのか?」と疑いたくなるようなダブルブッキングや無茶な指示。
おそらく『貴族としての付き合いを続けていくための優先順位の付け方』を、身をもって学ばせたいのだとは思うが……
ことあるごとに昼食会の日程をかぶせてくるのはそろそろ勘弁して欲しいところだ。
特に、断った後で不機嫌になられるのは私のフォローの仕方が未熟なせいなのだろう。
こればかりは未だに上手くいかない。
どうも私の「晩餐会や舞踏会ならば社交界として割り切れるが、ランチ程度は一人でさっさと済ませたい」と言う態度が、両親には透けて見えてしまっているようだ。
当然、当主代行の仕事はそれだけではない。
領地の運営だっておろそかにできる事では無いし、公爵家の収支状況も決して安泰とは言えない状況だという事は、この一年で思い知ってしまった。
それに、最近は弟たちの教育にも手が回っていない。
正直、父も母も弟たちの教育に手間をかける気があまりないことは……いや、もっとはっきり言えば、下の二人には興味も関心も薄いことは昔から薄々は気づいていた。
そんな弟たちを唯一気にかけてくれていたのが、今は亡きママリア殿だ。
病床で「下の子供たちを、お願い」と、私を頼ってくれた時のことは今でも鮮明に脳裏にやきついている。
彼女の遺言を守れるのは、この公爵家で私しかいない。
……と、気負ったところで、セレスは騎士道学園での素行に苦情が出ているし、ここ最近は末弟マリクの荒れ方も酷い。
特にマリクについては、これ以上は新しい家庭教師の手配も限界だ。
今はレイン子爵家のパメリア殿がその任についてくれているが……
彼女まで音を上げた、となると、流石にもう私には伝手が無い。
それもあってか、正直、この面会申請を避けていた部分はあるのだが、これ以上引き延ばすわけにもいかないだろう。
……この前の家庭教師のように、勝手に出奔されて実家に戻られてしまったら目も当てられない。
あの時は、彼女の実家である侯爵家へ私が直接謝罪訪問することで事なきを得たが、公爵家の醜聞はゴシップ記事の良いネタだ。王都にいる父の耳にでも入ったら、それこそ大事である。
だが、面会希望書が自分の手元に届いたということは……おそらく、希望退職の話だろう。
気が重い……。
一週間……か。
最近の採用としては比較的長続きした方だ。
以前は家庭教師を任せてからほんの数時間で私の部屋へ飛び込んできて「辞めます!」と泣きじゃくった女性も一人や二人ではない。
仕方が無い、か。
私は腹をくくって「了承」の通知を執事に渡したのだった。
「夜分遅くにご対応いただきありがとうございます」
結局、パメリア殿との面談がかなったのは、翌日の晩餐会をこなした後の深夜と言って良いような時間帯だった。
「いえ、こちらこそ。こんな遅くにしか時間をとれず申し訳ありません」
約束の時間キッカリに現れたパメリア殿は、私の予想に反してキラキラと輝くような笑顔を浮かべていた。
……どういうことだ?
末弟の家庭教師になった女性が私に面会を申し込むときは、大概、世界の終りのような表情か、恐怖に彩られた顔をしているのに。
中には「話が違う」とか「私を殺す気ですの!?」と、ヒステリックに怒鳴られたことも一度や二度ではない。
上流階級における女性の笑顔はあくまでもマナー。
表情筋とは意志の力で動かすものであって、感情で動かすものではない、と学んではいるものの、案外実践できている人間は多くない。
それに、彼女の瞳は他の感情を隠すための笑いではない、素直な微笑みが浮かんでいるように思えた。
「アークヴェル様にマリク様の事でご報告とお願いがございます。」
「え……ええ、何でしょう?」
「お願い」という言葉に思わず身構えてしまう。
だが、私の予想に反し、彼女の口から出た言葉は、弟の体調を心配するものと、その改善方法だった。
まさか、こんなに建設的な話だとは……!
「……正直、驚きました。」
「はい?」
「いえ、末弟の家庭教師に就任してすぐの方からの面会申請は……その、離職を求めるものが多いもので……」
「そ、そうなんですか?」
素で驚いている彼女の様子に、思わず自虐めいた本音が漏れた。
「ええ、初日から怒鳴られたことも一度や二度ではありませんからね……ハハ、面会がこんな時間になってしまったのも、私が少し避けてしまったのが原因です。……すみません。」
「いえ、そんな事はお気になさらないでください!」
私の弱音とも愚痴ともつかない呟きに、彼女は「何てことはない」とばかりに首を振った。
「でも、中にはヘドロまみれで『部屋から問答無用で投げ出された!』とおっしゃる方も居まして」
「ああ! あれはわたしも驚きました。何度か投げ出していただいたんですけど、慣れると癖に……ではなく、楽しいですよね」
「………………………………はい?」
一瞬、彼女が何を言っているのか分からなかった。
今、私の耳が壊れたのか??
なんだかずいぶんと自分に都合の良い言葉が聞こえたような気がするのだが?
私が不自然なほど、無言で考え込んでしまったせいなのか、パメリア殿は人のよさそうな顔を心配そうに歪ませると
「そんなことより、アークヴェル様こそ、思いつめすぎて、ご無理なさらないでくださいね?」
と、私自身を思いやるような言葉を投げかけてくれたのだった。
私は思わず、パメリア殿の顔をまじまじと見つめてしまった。
やはり一番に目に入ってくるのは、白磁のようななめらかな肌を無残に切り裂いたような顔面の火傷痕だ。
この傷跡さえなければ、社交界でも評判になっていたことは想像に難くない。
だが、今は、それよりもくるくると表情を変え、生き生きと輝く緑色の瞳の方が強く印象に残った。
その緑色は、私にとって希望を思わせる……
冬の寒さを融かす、暖かな春の色だった。
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