011:湯あみと交渉と
よしよし!
乗り気……ではないかもしれないが、最低限の協力はしてもらえそうだ。
「ではマリク様、熱も下がってきているようですし、汗もかかれたでしょう? まずは湯あみをして、それからお昼にしましょう。」
こくり、と小さく頷くお坊ちゃま。
わたしが、お坊ちゃまを移動させようと手を伸ばした瞬間。
「……トラ、いつもの」
ざばばばばばしゃーんっ!!
「ごぼぼぼへっ!?」
突如、お坊ちゃまおよび、彼のすぐそばに居たわたしにも大量の水が滝のごとく降り注いだ。
「ちょ!? えっ? ええっ??」
頭のてっぺんから足の先まで、ずぶぬれぐしょぐしょ……
いったい何が? と思ったのもつかの間。
ぼごふぉぉぉぉぉん!!
「ふごぶっ!!」
乙女が……いや、女性があげてはいけない声が出てしまった。
突然の斜め下からの突風。
空気の渦が、まぶたと眼球の間に入り込み、皮膚をめくりあげるような強風!
おぼぼぼぼぼ!?
う、裏返っちゃう!?
衣類とかじゃなくて、顔面の皮が……っ!?
と、困惑した刹那、何事も無かったかのように水は消え、服も、床も、ベッドも、すっかり乾いていた。
な、な?
何が起きたの……?
「……はい……湯あみ、おわり。」
マリク様の声が響いた。
いや待て。
これは湯あみではない。
断じて違う。
だが、思い返してみると、かなりの期間お世話する人も立ち入れなかった中に放置されていた割にはマリク様から据えたニオイとか悪臭とかがなかったな、とは思うけれども!
でも、きちんと洗剤を使ったわけではないから髪の皮脂汚れは落ちきっていないし、なにより、まだ肌寒い春先だというのに、こんな冷水&強風!
「はっくし!……ごほっ、げほっ。」
ああっ! ほら! すっかり身体が冷えている。
「マリク様? 湯あみというのは、もう少しゆっくり体を温めて、疲れを癒すことも重要な要素なのですよ? だから、しっかり温まる方法でもう一度入りましょうね?」
わたしの言葉に少し面食いつつも、面倒くさそうに表情をゆがめる公爵家第四公子様。
このお屋敷には蛇口から直接お湯が出る高価な魔道具まで装備されているというのに!
なーんでこんな、歴戦の魔導士が戦地で体臭を消すために止む無く行うような湯あみ(?)を日常的に行う必要があるのか!
だってこの屋敷、浴室2部屋有ったんだよ?
おそらく主人用と使用人用が!
……まぁ、最近使われた形跡は無かったんだけれども……
「では、浴室に向かいましょう。」
「え?」
「大丈夫ですよ、わたし、腕力には自信があるんです! お坊ちゃまくらいなら抱いたままでも移動できますよ?」
「……ボク、この部屋から……出られない……」
「ええ、ですから、わたしがお運びしますよ?」
「ちがう。……ごほっ、ごほっ、そうじゃ、なくて」
「?」
聞けば、魔力暴走を抑えるためと、万が一暴走したとしても被害を最小限に留めるために『この部屋から出てはいけない』と言われているのだそうだ。
さらには、実際出ようとしても結界のようなもので遮られて出られないのだとか。
「ど、どなたがそんな事を?」
アークヴェル様から、そんな注意は受けなかったのだが?
「……いつも来る……ぬとぬとした……魔法医のひと」
ぬ、ぬとぬと?
……薬湯の事かしら?
それを処方した主治医さんってことかな?
いや、まぁ、病気の急性期や手術直後等は静かに寝ているに越したことはないが、熱も下がった小康状態なら、室内に閉じ込めっぱなしにしておいては体力が低下する一方だ。
マリク様の主治医らしき魔法医の方は、あまり『魔力多可症』には詳しくなさそうだし、本人が嫌がるようでなければ連れだしても問題無いでしょう。
……というか、むしろ少しは外の空気を吸うべきである。
「確かに、熱が高かったり、息が苦しかったり、体のどこかがすごく痛い時は別ですけど、そうでなければ、お部屋を出ても大丈夫ですよ?」
不審気にわたしを見つめる子羊の瞳。
……そりゃそうよね。
マリク様から見たら、わたしも魔法医さんも「大人」という大きな括りに属している人間だ。
それが別々に「部屋からは出ろ」「部屋からは出るな」と指示したのだとしたら、子供はたまったものではないだろう。
「あ、でも、もし、マリク様がお部屋から出たくないのであれば、こちらにお湯を運びますけど、どうされます……?」
その提案に、一瞬、驚いたように目を見開くお坊ちゃま。
だが、ふいっと顔をそむけると、小さく答えた。
「……別に……どっちでも……」
「はい。それでは浴槽へ行きましょう!」
その方が片づけの手間が無い。
マリク様は7、8歳児にしても小柄で軽いから、わたしでも軽々運べる。
扉をくぐる瞬間に、マリク様が何かに耐えるように、びくりと体を竦めたのだが、特に抵抗は無かった。
マリク様を抱いたまま浴室まで歩みを進めると、午前中に準備をしていた浴槽は、しっかりと温かなお湯が満ちていた。
温度は少しぬるめかもしれないが、子供は皮膚が薄いからこのくらいの方がちょうど良いだろう。
わたしは、浴室の棚に備え付けられていたハーブ類をお湯に混ぜてゆく。
う~ん、さすが上流階級。
結構古いドライハーブだと思うんだけど、元々が最高級品。
湯船に混ぜると、ふわりと花びらが開いたように広がり、良い香りもしてくる。
そんなわたしを子羊の瞳が不思議そうに見つめていた。
「はい、準備が整いましたよ」
「……」
お坊ちゃまの服を脱がせて、わたしは小さく息をのんだ。
……これは、なかなか病の進行が深いようだぞ?
マリク様の両足にはどす黒い渦のような痣が出来ている。
これも魔力多可症の症状の一つだ。
魔力が体内で石のように凝り固まってしまい、体の動きを阻害するのだ。
ある種の石化と言えなくもない症状である。
……ただ、この痣……両足はもちろん、腰から背中にかけても広がり始めているのが非常に気になるところである。
筋肉だけでも結構問題なのに、生命維持に不可欠な臓器類にまで石化が浸透してしまうと、文字通り命に係わってくる。
ここまで進行してしまっていることを考えると、正直、早急に的確な治療をしないと危険なレベルだ。
だが、ここでひるんでいる暇はない。
「さ、ゆっくり温まりましょうね」
痣を除くと、病的な白さの素肌だ。
お湯をかけると、少し熱いのか一瞬『ご不満』と言う表情を浮かべるものの、文句を言うほどではないらしい。
肩まで湯につかってしまえば、ほっとしたようにゆっくりと足も伸ばせていたから体がほぐれているのだろう。
「それでは御髪を洗いますね。」
湯船から頭だけ少し外に出し、灰色がかった髪をお湯で濡らし、備え付けの高級シャンプーで洗う。
最初は流石に泡立たなかったのでお湯ですすぎ、もう一度シャンプーをすると、灰色だと思っていた髪が透き通る様な蒼銀色だったことに気づいた。
「……ねぇ、まだ?」
おっと?
シャンプーをする間ずっと湯舟に浸かっていたマリク様が、汗ばんで上気した顔色でこちらに不満そうな視線を送っている。
痣の部分はともかく、それ以外のあの病的な白の肌は、あたたかなピンク色に染まっていた。
この後、トリートメントやヘアパックなんかもできる備品は揃っているのだが、これ以上湯船に入ったままだとのぼせてしまうかもしれない。
「……あつい……」
「そうですね。そろそろ終わりにしましょうか」
私はそういうと、お坊ちゃまを湯舟から救い出し、さっと身体を石鹸で洗い流した。
身体の方は、あの水浴びのおかげか、ひどい汚れは無いのだが、骨が浮いたような細さと魔力多可症による痣が気になるところだ。
さらに、手首・足首・首元に、じゃらじゃら装備のアミュレットが結構負担になっているらしく、擦れたような痕や痣が痛々しい。
これは、改善してさしあげないと!
と、決意も新たに一番柔らかなタオルで水気をふき取ると、ふわわ~と、マリク様の髪が不自然に揺れていた。
これも何かの加護とか、聖霊さんのいたずらなのか?
「どなたか存じませんが、髪を乾かしたいなら暖かい風にしてくださいね? あの突風みたいなのはダメですよ?」
わたしは、目に見えない何かに声をかけてみた。
が、特に反応は変わらず。
まぁ、当然である。
海の荒波に向かって「もう少し凪いでくれ」と言っているようなものだから、単なる独り言だ。
「……ダメだよ。この子たちには……ちゃんと入れて言わないと……聞こえない。」
「へ?」
だが、まさか、そっぽ向いたままのマリクお坊ちゃまから返答が貰えるとは思っていなかった。
「……入れて」
「え、えーと、何を入れるんでしょう?」
「声に。……こう。温カイノニシテ」
ほわんっ! ふわわわっ!
「!?」
マリク様の声に反応して、突風とまではいかないが、それでもそこそこ強めの温風が吹いた。
「モウイイヨ……」
マリク様の声に従い、その不思議な風はぴたりと収まる。
すっかり乾いた癖の無い青銀髪が、サラリと頭部を縁取るように落ち着いた。
え? これって……わたしは、この呪文とは別の方法で魔術のような技を使いこなす様子を目の当たりにして、一つの可能性に思い至った。
マリク様って、もしかして「音」に魔力を込められるの!?
そう考えると、納得できる節もある。
昨晩、あの影に襲われていた時も言葉だけで風魔術のようなことをしていたけど、あれだって単なる魔力暴走ではなかったのかもしれない。
魔力の込められた文字を読むには、「瞳」に魔力を込めなければ読み取れないのと同じく、「音」に直接魔力を込められるか、否か、が「魔法使い」と呼ばれる特殊技能職になるための大きな壁なのだ。
貴族で、魔力が有っても、大概の人間は「物」に魔力を込めるところまでが限界なのだ。
魔法文字の筆記だって、専用の特殊インクや魔力込用のペンが必須だし。
実際、「魔法剣士」とか「魔法戦士」みたいな役職は、手にしている「剣」だったり、自分自身の「筋肉」に魔力を込めて使うし、「魔導士」や「呪術師」と呼ばれる人たちだって、「杖」や「指輪」と言った媒体を必要とする人が大半だ。
だが、「魔法使い」にはそんなものは必要がない。
下手をしたら「光」とか「空間・時間」とか「概念」にまで魔力を込められる可能性すらあると言われているのだ。
……まぁ、そこまでアレな技術は『勇者伝説』の中ですら神話レベルの話だけど……
「す、すごいです、マリク様! お声に魔力を込められるなんて、伝説の賢者様みたいです!」
そうなのだ!
わたしの推しの賢者様と同じ素質をお持ちだなんて!!
なんて羨ましい!!
しかも、この技術は習得者が少なすぎて、書物として残っていないんだよね。
習いたくとも魔法使いの称号をお持ちの魔導士様なんて、宮廷魔導士の中にも数人居るか、いないか、レベルだ。
むろん、皇族の皆様方には、何名かいらっしゃったと思うけど、そんな殿上人にお目にかかれる機会が、子爵程度の下級貴族の娘に有るはずがない。
それなのに、こ~の天災児 ときたら
「? ……こんなの……誰でもできるよ」
と、事も無げにお答えくださりやがりましたわ。
「それは……マリク様みたいに、魔力量が多い方はそうかもしれませんけど、わたし程度の魔力量では、とてもできない憧れの技なんですよ?」
わたしの言葉に、マリク様はじろり、とこちらに瞳を向けた。
何かを探るような視線が少しくすぐったい気がする。
だが、すぐにつまらなそうにふいッと視線をそむけると
「……できない訳、ないのに……嘘つき」
と不機嫌そうにつぶやいた。
えええええ!?
ちょ、ちょと待って!?
「う、嘘じゃありません! もし、わたしにもできるなら、是非、やり方を教えてくださいッ!」
しゅたたたっ!
思わずわたしは、視線をそむけたマリク様の視線の先に回り込んで懇願してしまった。
その行動にはさすがのマリク様も面食らったらしく、いつもの不機嫌そうなジト目から、目を丸くしながら、わたしをみつめていた。
わたし程度の微々たる魔力量だと、声に魔力を込められたことろで、大した意味は無いかもしれないけれど、そこはあまり関係ないのだ!
単純に推しと同じ技術をちょこっとでも模倣できるなんて最高の自己満足ではないか!
「是非、おねがいしますッ!!」
あまりに必死だったのか、マリク様の表情があきれたものへと変化したような気がした。
その顔には『おまえが先生なのに、どうしてボクが教えるんだよ? 普通、逆だろ?』と書いてあるような気がしたが、そんな些細なことを気にしてはいけない!
「エリスさんが見つかってからで良いのでッ! なにとぞ! なにとぞォッ!!」
必死に両手を合わせるわたしに、マリク様は渋々ながら「……エリスが、帰ってきたら」と頷いてくださるのだった。
やったね!!
ただ、その後「……変なの」と小さく呟いたお坊ちゃまのへの字の口元が、ほんの少しだけ柔らかかったような気がした。
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