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硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


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第30話:いつもの剪定と、遠い国の破綻【後編】

いつもお読みいただきありがとうございます!

温室の分厚い硝子屋根を打つ雨音が、不思議なほど遠く、くぐもって感じられた。


パチン、パチン。


伸びすぎたローズマリーの枝が、正確なリズムで切り落とされていく。

切断面から微細な飛沫となって弾け飛ぶ青い揮発成分が、湿度を含んだ温室の空気と混ざり合い、ルカの鼻腔へと静かに吸い込まれていく。


「……ふふっ。やっぱりね」


ハサミの心地よい金属音の隙間に、ルカの少しだけ力の抜けた声が響いた。

その声には、過激派が自滅したことへの感情の起伏はない。ただ、自らの脳内で長らく未完成だった『数式』が、最後のピースを嵌め込まれて完全に組み上がったことへの納得だけがあった。


「彼らが特効薬だと信じ込んでいるあの『不完全な球体』のレシピを嗅いだ時から、僕の頭の中でずっと引っかかっていたんだ。……アンディ先生が、あんな初歩的な環境変数の計算ミスを犯すはずがない、って」


ルカは視線を植物の瑞々しい緑に向けたまま、事実と結果だけを紡ぎ始めた。


「アンディ先生のあの歪んだレシピは、最初から、この結果を引き起こすためだけに設計されたものだったんだよ」


テオが小さく息を呑み、手にした便箋を握る手に無意識に力を込めた。

隣で聞いていたジンも、黙ってルカの横顔を見つめている。


「先生にはわかっていた。過激派たちがアンディ先生の処方を自らの手柄にしようとすること。その威力を誇示するために、自分たちがマスクを着けて、群衆の前で派手なパフォーマンスをするであろうこと……先生はそれを『起動の条件』として組み込んでいたんだ」


パチン、と、一際太い枝が切り落とされる。


「先生は、気候の変動による成分の変化プロセスすらも、正確にコントロールしてみせたんだ」


リーゼが提示してくれた、5年前の調香師追放記録。

不当に追放され、ルカの前から姿を消したアンディは、5年後の今、再び擦り寄ってきた薬師ギルドの過激派たちへ、意趣返しをしたのだろう。 アンディ自身は頼まれた調香を素直に行う。このグランヴェルの地であれば問題なく効果を発揮する時限付きのレシピを。


「あいつらしい、と言えば、あいつらしいのかもしれないな…」


ジンが硝子の天窓を仰ぎながら呟いた。

ただの香りの化学式を、人間の心理や環境変数すらも巻き込んだシステムとして組み上げるアンディ。そのとてつもない知性を前に、テオは感嘆のような深いため息を漏らした。


…… だが。


『情報の流れ』を読むテオの商人としての嗅覚が、未だ残る違和感を捉えていた。



「……待てよ、ルカ。だとしたら、一つ、不自然なことがある」


テオは眉間に皺を寄せ、小間使いから送られてきた手紙に目を落とした。


「これだけの規模の騒ぎと自滅劇が起きたんだ。当然、薬師ギルドの内部は揺れているはずだ。なのに……この手紙のどこにも、事件の元凶である『アンディ』という名前が出てこない」


テオは顔を上げ、ルカを真っ直ぐに見据えた。


「過激派の連中も、当初は手柄を独り占めするためにアンディ先生の名前を伏せていただろう。でも、これほど手痛い自滅をやらかしたんだ。『アンディの処方だ』と責任をなすりつけて、今頃、槍玉にあがっていてもおかしくないじゃないか!」


ここまで来たら真実を知りたいテオであったが、ルカは興味がなさそうに剪定する枝を探っている。


「……なぁ。ルカ、これ。お前の親父さんが動いたってことじゃないか?」


テオの指摘に、ルカはハサミを動かす手をピタリと止め、静かに銀縁の丸眼鏡を中指で押し上げた。


「……うん。間違いないだろうね」


ルカはゆっくりと振り返り、テオと視線を合わせた。


「父は、一報を聞いて、すぐに先生の関与を察知しただろうね」


ルカの脳裏に、執務室の奥で万年筆を走らせるギルバートの姿が浮かび上がる。


「……父は、『僕が尊敬しているアンディ先生』を守ってくれたんだと思う。過激派が責任転嫁するよりも早く、裏から手を回して情報を書き換えたんだろう」


医師ギルド長、薬師ギルド長を兼ねるギルバートが本気で動けば、情報の制限は難しくない。

リーゼが独自調査で手繰り寄せた、5年前の逃亡資金の記録が、テオの脳裏にフラッシュバックする。

ギルバートは、ルカとアンディを取り巻く状況を、過去の追放時だけでなく、今この瞬間においても、水面下で静かに見守り続けている…


「……どれだけの盤面を動かしてるんだよ、あの二人は」


テオは無意識のうちに自分の腕をさすり、小さく息を吐いた。



パチン…パチン…


ルカの剪定の手が再び動き出した。青い清涼感あふれるローズマリーの香りが温室を包み始めていた。










気候の変動、そして「権力者が群衆の前で見せびらかす」という人間の心理すらも計算に入れた、恩師・アンディの時限トラップ。

さらにその裏で、ルカの父・ギルバートが展開していた「完璧な情報隠蔽」。

途方もない大人たちの盤面ゲームを前に、戦慄するテオ。

――そして次回、情報過多でフリーズしたルカに、リーゼの「強制クッション」が襲いかかる!?

次回、絶品シチューが待つエピローグへ


***


最後までお読みいただきありがとうございます!

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