第30話:いつもの剪定と、遠い国の破綻【中編】
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ーー東の国オストヴァルのヴェルター公爵に反発する貴族の直轄領。
そこに大量のハーブを運び込んだエルゼリア王国 薬師ギルドの過激派たちは、自分たちが組み上げた『ペストマスク』こそが奇病を防ぐ絶対の特効薬であると信じて疑っていなかった。彼らはヴェルター侯爵への決定打として件のペストマスクをお披露目し、領民たちに権威を見せつけるためのデモンストレーションを計画したのだ。
なぜか、即席の紙製指人形が差し込まれたリーゼの人差し指が、ぴょこんとテーブルの上に現れ、ふんぞりかえるような仕草を見せた。
『このマスクさえあれば、我々は奇病の脅威から完全に守られる! 見よ、この絶対の安全性を!』
領民たちに知らしめるため、過激派の薬師たちと反発貴族達は、まずは自らがそのマスクを得意顔で装着し、街の目抜き通りを行進し始めたのである。
リーゼの五本指全てに悪役らしい顔が描かれた紙の指人形が差し込まれ、テーブルの端から移動を始めた。
「だが、あの国の気候にさらされた瞬間、マスクの中で『反転』が起きた。ルカの予測通りだ」
ビクンと一瞬だけ縦に飛び上がる指人形。
「行進を始めて数分後……マスクを被っていた奴らが突然、顔をかきむしって倒れ込んだそうだ」
指人形がブルブル震えた後、もがくように倒れ込む。
「まぁ、そうなるだろうね」
「過激派も貴族も、顔を真っ赤に腫らして、咳き込んで、沿道の領民たちの目の前で次々と転げ回ったんだとよ」
五本指全てが伏せられ、ピクピクと痙攣する動きを見せる。
「……リーゼ、ありがとう、素晴らしい指の演技力だった」
リーゼがスッとテーブルから手を引き、ペコリを小さくお辞儀をした後、3歩下がって即席指人形を外し、無造作にポケットへ押し込んだ。
ルカは微かに目を閉じ、彼らがマスクに詰めたハーブの化学式を脳内で展開した。
「……うん。当然の結果だね」
ルカの冷たい声が、雨音の響く温室に静かに落ちた。ルカの脳内に広がる香りの数式の中で、本来は人を守るはずだった分子の球体が、無残に歪み、崩壊していく。
「ハーブに含まれる特定のフェノール類と精油成分が、高温多湿の密閉空間で急激に酸化・加水分解を起こしたんだろう」
「ああ、無効化されるって話だな」
ルカがコクリと頷く。
「その結果、病の忌避成分は完全に中和・変質して、皮膚の粘膜を直接焼く『猛烈な炎症物質』と、気管支に激しいカタルを引き起こす『局所的な有毒ガス』へと変化したんじゃないかな」
彼らが顔に装着していたのは、もはや特効薬などではない。 自分たちの呼気で発動する、自分たち専用の『毒ガスマスク』だったのだ。
「……馬鹿な奴らだ」
リーゼの指人形劇を見に来ていたジンが、吐き捨てるように低く呟いた。
「自分たちで不当に買い占めたハーブで、自分たちの顔を焼いたってわけか」
テオが手紙の続きに目を落とす。
「突然、特効薬だと言ってマスクを被った権力者たちが行進を始めて、泡を吹いて倒れたんだから、当然、見ていた領民たちは大パニックになった」
「…それで?」
ルカが先を促す。
「騒ぎを聞きつけたヴェルター侯爵の陣営によって、『領内に危険な有毒物を持ち込み、無用な混乱を招いた戦犯』として、過激派と反発貴族たちが捕縛されたそうだ」
それぞれが権力を握るための醜悪な政治ゲーム。
隔離病棟の機能を見捨てかねない状況で強行されたその計画は、無実の領民たちを巻き込む手前で、『自滅』という形で脆くも破綻したのである。
「……小間使いからの報告は、以上だ」
テオは手紙を下ろし、深く息を吐いた。
過激派の計画が潰れたことは、朗報であるはずだった。
しかし、テオの顔には冷ややかな戦慄が走っている。
なぜなら、この事態の裏側を垣間見てきた彼らには分かっていたからだ。
ーーこの滑稽な自滅劇が、偶然の産物ではないことを。
「……ルカ」
テオが静かにルカを見る。
ルカは表情一つ変えず、ただ静かに、自らの脳内で組み上がっていくパズルの完成を見つめていた。
リーゼのシュールすぎる『即席・指人形劇』が炸裂しつつ、驚きに包まれる温室。
――しかし、この滑稽な破綻は偶然ではない。
次回、特効薬マスクに隠された「恐るべき化学式」の全貌が明かされる後編へ続きます!
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