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硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


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第30話:いつもの剪定と、遠い国の破綻【エピローグ】

いつもお読みいただきありがとうございます!

恩師アンディの緻密な数式と、父ギルバートの鮮やかな隠蔽。


切りたてのローズマリーの香りと共に、温室の中に事実が沈殿しかけていた時だった。


「……っ」


作業台の前に立っていたルカが、奇妙な姿勢のまま、唐突にピタリと動きを止めた。 剪定バサミを突き出したまま、先ほど切り落としたばかりのハーブの断面に鼻先をギリギリまで近づけ、身動きしなくなってしまったのだ。


「……おい。おい、ルカ? どうした」


テオが怪訝な顔で声をかけるが、返事はない。

ルカの特異な嗅覚が、『ハーブの断面から揮発する青い粒子の軌道』を捉えて分析を始め、過集中によって脳がエネルギー切れを起こしたのだった。いつものグダグダのようでいて、それは、一連の事態の情報過多から逃れるための、彼なりの防衛本能でもあった。


すると、作業台で切り落とされたローズマリーの選別をしていたリーゼが、コツ、コツと硬質な足音を立てて進み出てきた。


「ルカ様。鋭利な刃物を持ったままのフリーズは、身体損傷のリスクが極めて高く、非合理的と存じます」


リーゼは大真面目な顔でそう告げると、フリーズしているルカの右手から有無を言わさずハサミを没収した。 そして、代わりに自分が小脇に抱えていた小豆色の『光合成用クッション』を、ルカの胸にドンッと押し付け、両腕で強制的に抱え込ませた。


「代わりの緩衝材をお使い下さい。…これで身体への危険は排除されました」


「だから、それはお前のお気に入りなんだろう?」


静かな緊張感を一瞬にして霧散させる従業員の暴走を、テオの声が引き留める。


「まだルカ用のクッションは買ってきてない! っていうか、床と仲良くなりたいルカに、高価なクッションを抱かせる必要性があるのか、まだ結論がでないんだよ」


「迷ってはいるんだな」


ジンがたまらず吹き出し、ルカもクッションを抱え込んだまま、パチパチと瞬きをしてようやく再起動を果たした。


「……むう。でも、リーゼのクッションは無臭の処理が完璧だから、これはこれで脳が休まる」


ルカがぽつりと呟き、小豆色のクッションに顎を乗せる。

クッションの無臭の安心感に包まれながら、切り落としたローズマリーの鮮烈な香りを深く吸い込むと、隣の国の因縁の匂いが、ルカの脳内からスッとリセットされていくのが分かった。



「はぁ…なんか無性に腹が減ったな、飯にしよう」


テオが大きな溜息を一つこぼしながら、厨房へと向かった。


テオが手際よく鍋を運んでくる。蓋を取ると、濃密な白い蒸気とともに、バターと濃縮された肉出汁の濃厚な香りが爆ぜた。シチューのベースは、地下室で冬を越し、甘みを蓄えたカブと玉ねぎだ。トロリとスープに溶け込んだ根菜の上に、ルカが剪定したばかりのローズマリー、タイム、オレガノを散らした。


まろやかな乳白色のシチューの中で存在感を放つのは、香ばしい焼き目のついた太い燻製ソーセージだ。スプーンを挿し入れると、ぱつん、と張った皮が弾け、閉じ込められていた肉汁と香辛料の旨味が黄金色の脂となって白いスープへ溢れ出す。


「……いただきます」


ルカが真っ先にパンをちぎり、濃厚なスープにたっぷりと浸して口へと運ぶ。カブのとろけるような甘みとソーセージの塩気、そこにローズマリーの清涼感が完璧な調和をもたらし、噛むたびに小麦の甘みと混ざり合っていく。


「ほわっ、ほれはほーふはいーはひひへひふ…」


「ああ、これはローズマリーが効いている…いや、その通りなんだが。ルカ、飲み込んでからにしてくれ」


難解な翻訳をこなしつつ、テオが呆れた目をしながら案の定 口元からシチューをたらしかけているルカにナプキンを渡す。ジンは匙でソーセージをごろりと掬い上げると、豪快に噛み砕いた。ジュワッと口いっぱいに広がる燻製の香りと肉の濃密な出汁。喉を鳴らして飲み込み、思わず低く息を吐き出す。


「おお、腹の底まで温まるな。溜まってた疲れも溶けてなくなりそうだ」


リーゼもこくこく頷きながらスプーンを口に運んでいる。テオは3人の様子を満足そうに眺めた。帰還後もどこか張り詰めていた空気も、拍子抜けするように解けていく。



食事が終わり、ふぅと一息ついた頃。 ルカの足元で丸くなっていたモカが、「ぽわ」と気の抜けた声で静かに鳴いた。ぷるっと力を抜くように身体を震わせた後、モカはアンディが巻き起こしギルバートが片付けた巧妙な事件の顛末の残り香を


「すぅぅぅぅぅ」


と一気に吸い込んだ。

そして、喉の奥でコロンと澄んだ音を鳴らして、一つの結晶を床に吐き出した。

ルカは指先でその結晶をそっと拾い上げる。


そのベースは、彼らが今いる温室の安息を示す『深い青緑色』で満たされていた。

その内部には、温かみのある『真鍮色の小さな歯車』が無数に散らばっており、さらにそれらを優しく、けれどしっかりと保護するように『幾何学的な格子の模様』が走っている。


「……静かに見守られている、のかな」


ルカはランプの柔らかな光にその結晶を透かし、二人の深い愛情の形を見つめながら、ダークブラウンの瞳を細めて静かに呟いた。



降り続く静かな雨音の中、『硝子の庭』の主たちは、ようやく真相を知り穏やかな時間を取り戻した、かのように見えた。この先に新たな旅が待っているとは思いもよらなかったのである。








次回からは第31話がスタートします。

フリーズしたルカの凶器を没収し、愛用のクッションを押し付けるリーゼ。

テオ特製「カブと燻製ソーセージのシチュー」、カブとソーセージ相性がいいので読者の皆様もぜひお試しを。

モカが吐き出した『歯車と格子の結晶』が示す、二人の大人からの不器用な守護。

全ての真相を知り、穏やかな時間を取り戻した『硝子の庭』

――しかし、運命は彼らを次の旅へと導く? 新章開幕となる次の更新もお楽しみに!


***


本日もご来店ありがとうございました!

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