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硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


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第28話:いつもの水やりと、不整合の記録【中編】

いつもお読みいただきありがとうございます!

リーゼは一つ小さく咳払いをして、乱れかけた呼吸と居住まいを静かに整えた。


「……さて。皆様にご報告すべき、重要な不整合の記録があります」


彼女はいつもの記録係の顔に戻ると、作業机の引き出しを開け、紐で厳重に縛られた書類の束を取り出した。羊皮紙とインクの、ひどく乾いた匂いが周囲の空気に混ざる。


「これは、皆様がご不在の間に、私が薬事局に在籍していた頃の記憶の糸を手繰り寄せ、独自に書き起こして整理したものです。……対象は、5年前の『調香師アンディの追放記録』について」


その名前に、テオの顔つきがスッと支配人のそれへと切り替わる。 リーゼは紐を解き、一枚の精緻な書き込みがなされた帳簿の模写を広げた。


「表向きの記録では、アンディ氏は過激派に糾弾されて薬師ギルドを追放されたことになっています。しかし、当時の資金の流れを遡ると、明らかなノイズ……不自然な資金の動きが見つかりました」


リーゼの透き通るような瞳が、書類の数字を正確になぞる。


「アンディ氏の身の安全を確保し、追放という名目で過激派の手から引き離し、彼を安全に街の外へと逃がすための法的手続き。その出所不明の資金を密かに動かしていたのは……おそらく、現在の医師・薬師ギルド長であるギルバート氏です」


「ルカの、親父さん…?」


テオが息を呑み、書類を覗き込んだ。

アンディの名前がリーゼの口から出たことで硬直していたルカも、微かに目を見開き、リーゼの提示した書類の数字を食い入るように見つめた。


「はい。これはあくまで資金の流れから推測される影に過ぎませんが、ギルバート氏は意図的にアンディ氏を保護し、過激派の目から隠そうとしていた形跡があります」


リーゼは淡々と事実だけを述べる。


「自分の主であるルカ様の背後に、こうした不透明な謎が残っていることは、従業員としてどうしても看過できなかったため、整理させていただきました。……今後の盤面の、推測材料になさってください」


涼しい顔で言い切るリーゼを見て、テオは心の中で静かに感嘆の息を漏らした。薬事局時代の、彼女にとって決して思い出したくもない冷たく過酷な日々の記憶。その深淵にわざわざ自ら潜り込み、ルカのためにここまで深く、精緻に情報を手繰り寄せてくれたのだ。


「……お前、本当にうちの有能な身内だな」


テオが深い感謝の念を込めて呟くと、リーゼは


「職務ですから」


とだけ短く返し、また少しだけ耳の裏を赤くした。


恩師と父を繋ぐ、重々しくも重要な政治的陰謀の糸。 テオがその情報の重みを噛み締め、これからの工房としての立ち回りを真剣に思考し始めた、まさにその時だった。



「……ふふっ、ジン。見てよ、この西の渓谷の岩場に張り付いていた苔の群生。素晴らしい生命力だ」


「ああ。こっちは避難所の裏手で採取した、東の国の気候に適応した珍しいシダの種子だ。発芽の条件を割り出すのが楽しみだな」


「んふふ、とても興味深いよ」


テオが振り返ると、そこには重苦しい政治の陰謀など完全にどこ吹く風で、遠征用の鞄からちゃっかり持ち帰ってきたお土産(ルカは苔、ジンは種)を作業台いっぱいに広げ、我を忘れて無邪気な笑みを浮かべている植物愛好家二人の姿があった。


「お前ら!!」


テオの通りの通った怒号が、温室のガラスを震わせる。


「アンディ先生と親父さんの裏の繋がりに迫る、めちゃくちゃ大事な話をしてたんだろうが! なんで一瞬でいつもの草いじりに戻ってんだよ!」


「だって、父の不合理な思惑なんて、いま推測したところで僕には制御できないノイズだもの」


さらりと言ってのけるルカの表情には、確かに思い詰める色がない。


「それよりも。この苔の微細な根が乾燥で死んでしまう前に、適切な湿度の寝床へ移してあげることの方が、今の僕にとって百倍重要なタスクだよ」


ルカは悪びれもせず、銀縁の丸眼鏡を中指で押し上げながら、嬉々としてピンセットを手にした。

いつもなら、ここでリーゼが「外部からの未確認生体データの持ち込みを確認いたしました。直ちに検疫エリアへ隔離します」とかなんとか処理するところである。


だが今日の彼女は、先ほどの『一割増しの喜びの余韻』によって、生来の好奇心と温室の一員としての顔が、ほんの少しだけ理性を追い越していた。リーゼは書類をパタンと閉じると、自らの糊の効いたエプロンのポケットから、専用の『マイ・ピンセット』をスッと取り出した。


そして、ルカとジンの横に並ぶようにして作業台の前に立つ。


「……苔の鮮度維持、および新種子データの分類を、最優先の職務としてただちに実行します」


リーゼの透き通った瞳が、ルカが持ち帰った苔の瑞々しい緑色を見て、微かにキラキラと輝いている。


「ルカ様。この苔の微細な根の土落とし処理は、精密動作に長けた私の担当でよろしいでしょうか」


「うん、助かるよリーゼ。君のピンセットの角度はいつも完璧だからね」


「承知いたしました。直ちに処理を開始します」


「待て!…リーゼ、お前それでいいのか?お前まで、そっちの世界に回るなよ!!」


一人取り残されたテオが、頭を抱えて叫んだ。 シリアスなギルドの陰謀劇は、彼らの『植物への純粋な愛』という圧倒的な日常の前に、あっさりと打ち砕かれてしまった。


「……まあ、お前が楽しいなら、それでいいんだが……」


三人がピンセットを片手に肩を並べ、土と緑の匂いに包まれながら心底楽しそうに笑い合う光景を見て。 テオは大きな溜息を一つこぼしながらも、結局は世話焼きでオカンな、ひどく優しい苦笑いを浮かべるのだった。








リーゼが暴いたのは、テオの父とルカの恩師を繋ぐ「裏の資金ルート」だった。

重々しい政治的陰謀

――しかし、ルカとジンの「植物オタクコンビ」は完全スルー。

さらには真面目なリーゼまで「マイ・ピンセット」を取り出してそっち側に寝返る!?

孤独にツッコミを入れるテオの悲鳴が響き渡る、後編へ!


***


最後までお読みいただきありがとうございます!

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明日も更新予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします!

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