↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
84/96

第28話:いつもの水やりと、不整合の記録【前編】

いつもお読みいただきありがとうございます!

一見、藪にしか見えない薬草園、その向こうに硝子の反射光が見えてくる。


石造りの二階建て洋館。


磨き込まれた玄関の扉を、テオが静かに押し開けた。

冷たい冬の風にさらされていた三人を、圧倒的なまでの『安息の気配』がふわりと包み込んだ。


「……ああっ、やっと帰ってきた」


テオが背嚢を床に下ろし、大きく安堵の息を吐き出す。


そこは、王都の郊外にひっそりと佇む『硝子の庭』調香工房。


温室では 天窓の下で真鍮の換気ファンが「ゴォ……」と低い駆動音を立てて回り、数え切れないほどの植物たちが静かに、そして健やかに呼吸を繰り返している。

交易所の煤けた欲望も、隔離病棟の強烈な酸味も、避難所の埃っぽい焦燥も、ここには存在しない。

あるのはただ、湿った土と緑の葉が放つ、限りなく純粋で穏やかな自然の香りだけだった。



「……お帰りなさいませ。予定より二時間と四十分、早いご到着ですね」


玄関からほど近い執務室。

濃紺のワンピースの上に糊の効いた白いエプロンを身につけたリーゼが、姿勢良くスッと立ち上がった。 彼女の透き通った瞳が、長旅の心地よい疲労を滲ませた三人を静かに見つめている。

留守を預かっていたこの数日間、彼女が温室の温度と湿度のローテーションを守り抜いてくれていたことは、室内に満ちる香りの層を嗅げば、ルカの鼻には一瞬で理解できた。


ルカは首元に深く巻いていた生成りの麻のストールをゆっくりと解き、リーゼの前に進み出た。


「ありがとう、リーゼ」


ルカは銀縁の丸眼鏡の奥の瞳を和らげ、まっすぐで誠実な声で告げた。


「君が僕のストールや白衣の防香処理をこなしてくれたおかげで、僕は過酷な外界のノイズを最小限に抑えて、無事に帰って来ることができた。……君の仕事は理にかなっていて、本当に助かったよ」


それは、お世辞や社交辞令など含まれていない、ルカの『事実に基づく感謝と敬意』だった。 隣に立つテオも肩の力を抜き、笑みを浮かべて頷いた。


「俺からも礼を言う。お前がここを守ってくれているとわかっていたから、俺たちは背後を気にせずに仕事に集中できた。お前がうちの従業員で、本当に良かったよ」


「ほれ。これは俺からの留守番の駄賃だ」


ジンが横から無造作に差し出したのは、西の渓谷で拾ったらしい、表面が滑らかに磨かれた美しい蒼色の石だった。


「お前のその殺風景なデスクの、文鎮にでも使え」


その瞬間。 リーゼの常に変化しない表情の奥に、かつてない明確な揺らぎが生じた。


薬事局の記録係として働いていた数年間。

膨大なデータを処理する彼女の正確な仕事は、上層部にとって『自動的に行われる当たり前の結果』として消費されるだけだった。誰一人として、彼女の処理能力を尊重し、「ありがとう」と目を合わせてくれた人間などいなかったのだ。


不要な感情の出力を削ぎ落とし、分厚い鎧を着込んで生きてきた彼女にとって、ルカとテオから向けられた飾らない感謝の言葉は、許容量をわずかに超える、温かくも未知のノイズであった。


「……っ」


リーゼは目を見開き、ほんのわずか息を呑んだ。 いつもなら即座に


「当然の職務です」


と無機質に返すはずの唇が、戸惑うように微かに震える。


「……いえ。私はただ、規定のフォーマットに従い、職務を遂行したまでですから。感謝されるような……特別な演算は、何も……」


言葉を紡ぎながら、リーゼの視線が少しだけ泳いだ。透き通るような白い耳の裏側が、ほんのりと赤く色づき始めている。それは、感情の出力を抑えきれずに生じた、『一割増の人間味』だった。


「……っ、それと、テオ様」


リーゼは元の静かな佇まいを保とうと居住まいを正し、少しだけ早口で言葉を継いだ。


「テオ様たちがご不在の間、この温室の広さに対して、私の単独のデータ処理では、空間に不要な『余白』が多すぎました。……非常に、非効率的でした」


「ん?すまん、なんだって?」


テオが首を傾げる。


リーゼはエプロンの上で両手をきゅっと握り締め、ほんの少しだけ俯き加減になりながら言葉をこぼした。


「……つまり、その。皆様が無事にご帰還されたことにより、この温室の空間稼働率が百パーセントに回復したことを……嬉しく、報告いたします」


これまでの彼女であれば、


「余白が多かった」


という事実の指摘だけで会話を切り上げるはずだった。


しかし、どうしても胸の奥から湧き上がってきた安堵と喜びの成分が論理の壁をはみ出し、「嬉しく報告いたします」という、合理的ではない感情の言葉を付け加えさせてしまったようだ。


自らの口から飛び出したその人間らしい言葉に、リーゼ自身が一番戸惑い、耳の赤さをさらに濃くして俯いてしまう。 そんな彼女の不器用で愛らしい姿に、ルカも、テオも、そしてジンも。 三人は顔を見合わせ、まるで手のかかる大切な身内を見守るような、底抜けに温かく穏やかな眼差しを彼女へと向けていたのだった。








過酷な外界から、穏やかな『硝子の庭』へ無事帰還!

完璧な留守番をしてくれたリーゼに向けられる、三人の心からの「ありがとう」。

感謝の言葉に処理落ちした元・記録係の彼女が見せた、不器用すぎる「人間味」。

次回、リーゼが導き出した「衝撃の裏データ」が炸裂する中編へ続きます


***




***


最後までお読みいただきありがとうございます!

もし少しでも「面白い!」「続きが気になる」「お腹が空いた」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマーク】や【☆☆☆☆☆】(星)を押して応援していただけると嬉しいです!

皆様の応援が、ルカとテオの生活費(作者の執筆の励み)に直結します。

明日も更新予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします!

最後までお読みいただきありがとうございます!

もし少しでも「面白い!」「続きが気になる」「お腹が空いた」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマーク】や【☆☆☆☆☆】(星)を押して応援していただけると嬉しいです!

皆様の応援が、ルカとテオの生活費(作者の執筆の励み)に直結します。

明日も更新予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。