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硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


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第27話:隔離病棟と、四人の泥棒の酢【後編】

いつもお読みいただきありがとうございます!

過酷な現場の検分と、したたかな手配を終え、三人は人目を避けるようにして、待たせていた馬車へと戻ってきた。


乗り込む前、ルカは鼻先を覆っていたストールを少しだけ緩め、隣を歩くテオの顔を見上げて、クスリと静かに笑った。


「……何がおかしいんだよ」


テオが怪訝そうな顔で眉を寄せる。


「いや。先ほどの小間使いとの取引……その清濁併せ呑む鮮やかな手口が、ものすごく『ランバート商会の人』っぽかったよ。ね、ジン」


「ああ、お前、手先が器用で料理上手なルカのオカンってわけじゃなかったんだな」


「なっ…」


先刻の避難所でのやり取りを受けたルカとジンの言葉に、テオは顔を赤く染めた。


「うるさい。なにがオカンだ!ジンだって、用心棒ばりに手伝ったじゃないか」


「俺はなんか、お前がそうして欲しそうだったから一歩下がったまでだ」


ジンが大きな身体で死角を作ってくれた、あれはテオの意図が通じた訳ではなく、ジンの直感と反射だったのかと、愕然とした深いため息をつく。


「俺は今、独立した調香工房『硝子の庭』の支配人なんだ」


テオは肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。


「あの手の下働きの人間から、無理なく確実な情報を引き出すには、ああした手口を使うのが一番手っ取り早くて確実だからやったまでだ。うちの利益と、安全な日常を守るためなら、使える手札はなんだって使うんだよ」


大商人の顔から、いつもの世話焼きで誠実な支配人の顔へと戻ったテオを見て、ルカもまた凪いだ顔で静かに頷いた。


「うん。とても理にかなった、合理的な立ち回りだったよ」


「だな、俺にはできん技だ。…さぁ、帰るぞ。長居は無用だ」


風向きを気にしたジンに促され、三人は馬車の車内へと滑り込んだ。


目的を果たした彼らを乗せ、馬車の車輪が回り出す。重い木柵の隔離病棟を背に、一行は王都グランヴェルの郊外にある穏やかな我が家へと帰路についた。



***


馬車が走り出し、隔離病棟の過酷な空気が遠ざかり始めた、その直後。

車内で一息ついていたルカが、突如として、その深みのあるダークブラウンの瞳に、過剰な熱を宿し始めた。


「……テオ」


「なんだよ、急に真顔になって」


「さっきの『不滅の粥』の鴨の脂質と、『四人の泥棒の酢』の配合比率について……僕の頭の中で、感染症対策に関する新しいロジックが、完璧な形で組み上がったんだ」


ルカはじりじりとテオに詰め寄り、その両手には、何かを引っ掻こうとするかのように指先が立てられていた。


「忘れないうちに数式を刻み込んでおきたい。僕の脳内で今、酢酸と鴨の脂質が奇跡的なバランスで乳化しているんだ! この香りの層が分離してしまう前に!鞄から万年筆を取り出す数秒すら惜しい。今すぐ君の持っている、その帳簿を貸してくれ」


「大事な帳簿に、爪で傷をつけようとするな!!」


テオの通りの通った怒鳴り声が、狭い車内に盛大に響き渡った。


「万年筆を出すから三秒待て! なんでお前は、インスピレーションが暴走すると、すぐ俺の帳簿を破壊しようとするんだ!」


「でも、脳内のメモリが揮発して、せっかくの香りの層が消えてしまう…」


「今すぐ紙と万年筆を出すから大人しく座ってろ、このポンコツ!」


それは決して子供のわがままではない。若き支配人と、香りの理においてネジの飛んだ天才調香師による、いつもの飾らない口論だった。 その光景を見て、向かいの席のジンが


「クックッ…相変わらずだな」


と目を細めて笑い、車内は、いつもの過不足ない温度へと戻っていった。


やがて馬車が荒野を抜け、見慣れた王都郊外の街道へと差し掛かる。

テオが重い窓枠を開けると、青々とした草木と湿った土の匂いを含んだ、静かな自然の風が流れ込んできた。 人の思惑が混じらない、その清らかな呼吸に触れることで、ルカの鼻と脳はようやく本来の穏やかな静けさへとリセットされた。


「……ほら、少し糖分を入れておけ」


テオが背嚢から取り出したのは、温室を出る際に厨房から持参していた、ドライフルーツがたっぷりと練り込まれた焼き菓子。 安心できる身内の匂いに囲まれ、焼き菓子を咀嚼する。馬車の心地よい揺れに合わせて、サクッ、という素朴な音だけが響いている。


ふと、ルカの胸元のストールから這い出してきたモカが


「ぽわ」


と静かに鳴いた。


モカは隔離病棟の強烈な酸っぱい匂いと、小間使いの男に握らせた取引の生々しい残り香を、小さな口で吸い込み、喉の奥でコロンと澄んだ音を立てて、一つの結晶を吐き出した。


ルカが指先でそっと拾い上げたその結晶は、彼らの帰るべき日常を示す『深い青緑色』をベースにしていた。しかしその中心には、小間使いの小さな欲と過酷な現実のような『茶色い斑点』が、ピリッとスパイスのように混じっていた。


「……とても生々しくて、力強い結晶だね」


ルカはそれを窓越しの光に透かし、静かに呟いた。



過酷な外界の風に触れ、新たな情報への確かなハブを繋いだ遠征。

『硝子の庭』の主たちは、得られた成果と疲労を抱えながら、静かな植物たちが待つ我が家への到着を心待ちにしていた。








次回からは第28話がスタートします。

隔離病棟の緊迫した空気を切り裂く、テオの怒号。

インスピレーションが暴走するルカと、呆れるジン。

いつもの「平熱」を取り戻した一行。

――しかしモカの吐き出した結晶には、生々しい「欲」を示す茶色い斑点が。

無事に情報を繋いだ彼らを待つ、王都の我が家。

次の更新もお楽しみに!


***


本日もご来店ありがとうございました!

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