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硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


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第27話:隔離病棟と、四人の泥棒の酢【中編】

いつもお読みいただきありがとうございます!

隔離病棟の裏口に指定された、わずかな物資の受け渡しスペース。


そこに現れたのは、鼻から下を分厚い防護用の布で何重にも覆った老医師だった。衣服からは先ほどの強烈な酸味が染み出し、その立ち姿には擦り切れた深い疲労が滲んでいた。


「……ランバート商会の方々だな。届けられた香水のおかげで、外のパニックは収まって、病棟の完全な崩壊は免れた。感謝するよ」


老医師の低い声には感情の起伏がほとんどなく、ただ目の前の絶望を処理し続けることで精一杯の、乾ききった響きだった。


テオが短く挨拶を交わした後、ルカが静かに一歩前へ出た。


「……一つ、よろしいですか?」


ルカは老医師の疲弊した目をまっすぐに見据えた。


「これから先、オストヴァルの貴族たちから、この避難所に『特効薬』が持ち込まれるという噂があります。僕の知人が関与しているかもしれなくて…でも、あれは成分の球体が歪んでいて、この環境下での使用には適していないんです。何かご存知のことはありませんか?」


ルカの静かな警告と質問に、老医師は深く重い息を吐き出した。


「……その特効薬の噂なら、我々の耳にも届いている。背後に醜い政治的な陰謀が絡んでいることもな。だが……」


老医師は、血走った目でルカを見据えた。


「薬の成分が歪んでいようが、どんな陰謀が渦巻いていようが、我々には持ち込まれる物資の真相を追って精査する余裕などないんだ」


相変わらず乾いてしゃがれた声に感情は見えない。


「…おそらく病の本当の波は、これからやってくるだろう。有効な薬が来るにしても来ないにしても……我々はただ、今この瞬間にある手札を使って、目の前の命を繋ぐための努力しかできない」


専門的な成分分析や、調香の真意を問うような余白は、この隔離病棟には一ミリたりとも存在していない。


「……そうか。そうですね。お忙しい中、失礼しました」


ルカは静かに引き下がり、過酷な職務への深い敬意を示すように小さく頭を下げた。


「すまないが、私はもう戻らねばならない。急患だ」


と、老医師は踵を返し、足早に重厚な木柵の向こう側へと消えていった。


その背中を見送ったテオは、商会の名代としての顔の裏側で思考を巡らせていた。

この東の状況やルカの恩師アンディについての情報を知らせてくれないかと、医師に持ちかけるつもりだったのだ。


(……医師の言う通り、目の前の命を繋ぐために必死に駆け回り、いつ自分が感染するかも分からない極限状態の人間に、定期的な情報提供を頼むのは、酷すぎる…)


ーーならば、誰を『情報のハブ』とするべきか。


テオの鋭い商人の視線が、おろおろと物資の確認書類を抱えている一人の男に向けられた。

病棟の小間使いとして働く、若い下働きの男である。テオは男のすり減った靴の底、不安げに周囲を窺う視線、そして物資の束を抱え直す際に見せた、僅かな執着の手つきを見逃さなかった。 決して豊かな暮らしはしていないだろう。等身大の金銭への欲があるはずだ。


テオは傍らのジンに目配せをした。


ジンが自然な身のこなしで死角を作り出し、テオは老医師や他の役人の目が届かない天幕の裏手へと、男を誘導した。


「ひっ……な、なんですか、商会の人……」


テオは実家で培った鮮やかな交渉術を展開し始めた。


「怯えなくていい。少し、個人的な取引がしたいだけなんだ」


テオの腕が滑らかに動き、男の手元へ、何か小さな包みをスッと握らせた。闇市に流せば高い値で換金できる『上質な乾燥ハーブ』の束と数枚の銀貨だった。男が息を呑む音を確認し、テオは言葉を続けた。


「医師には内緒でいい。これからこの病棟や避難所に届く物資の出所や、状況について変わったことがあったら、ランバート商会宛の定期便に手紙を一枚、紛れ込ませてほしい」


テオは男の目をまっすぐに見つめる。


「君が情報をくれる限り、対価は払い続ける。……これは、その前金だ。頼めるだろうか?」


下働きの男は震える手で包みの確かな重さを確かめると、生唾を飲み込み、素早くそれを自らの懐へと収めて深く頷いた。


「……は、はい。間違いなく、異変があれば手紙を紛れ込ませます」


ルカとジンは鮮やかすぎる商人の技を、ぽかんと眺めていた。


「……テオのあんなに洗練された『悪い顔』、初めて見たかも」


「それは本人に言ってやるな」


ジンがボソッと呟いた。


これで今後、直接現場を訪ねなくても『硝子の庭』へと情報が途切れることなく、もたらされることになる。若き支配人の手腕によって、したたかなハブが、今ここに生々しく繋がれたのだった。









目の前の命を救うことで限界の医師。

恩師の情報を得る余裕などない。

――ならば、どう動く? 「硝子の庭」の若き支配人、テオの実力が炸裂。

銀貨とハーブで小間使いを買収する、テオの鮮やかすぎる「悪い顔」。

次回、緊張感から一転、帰りの馬車でルカが暴走する後編へ!


***


最後までお読みいただきありがとうございます!

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