第25話:錆びた秤と、過激派の尻尾【中編】
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交易所の内部は、外を吹き荒れる清冽な風が嘘のように、むぁっと重く淀んだ空気が漂っていた。
薄暗い室内の壁際には無数の木箱が積み上げられてる。乾燥させた植物の根や葉が放つ独特のえぐみが、微かなカビや埃の匂いと共に空間を占拠している。
テオはカウンターの前に立ち、取引を仕切る初老の商人と対峙していた。
仕立ての良いテーラードジャケットに身を包み、背筋を真っ直ぐに伸ばした佇まいは、薄暗い空間の中で明らかに異質に浮かび上がっていた。
「……で、ランバート商会の若旦那が、こんな辺境の谷底まで何のご用ですかな。うちには今、そちらの大きな蔵を満たせるような品物は残っていませんぜ」
老商人は値踏みするような濁った視線を向けながら、手元にある古い真鍮の秤へ分銅を乗せた。ギイ、と錆びた秤が不穏な金属音を立てて傾く。
「ああ、構いませんよ。大げさな買い付けに来たわけじゃないんです。ただ、少しばかり奇妙な噂を耳にしましてね」
テオは威圧するでもなく、穏やかに丁寧に、そして老商人に耳打ちするように声を顰めて言葉を紡ぐ。
「ここだけの話ということにしておいてください。…ギルドの息がかかった者たちが、この数ヶ月、特定のハーブだけを市場から根こそぎ買い占めていると聞きまして」
老商人はテオから視線を外して秤を見つめた。
テオは手元の情報を小出しにしながら老獪な商人の様子を探る。
「それも、市場の相場を大きく無視した、強引なやり方だそうで…ここから不審な荷馬車が出て行くのを見ただとか…」
手元の分銅を引き寄せ、老商人は一つずつ確認するように摘み上げる。
テオは爽やかな顔に、わざとらしく眉を下げて見せた。
「先日も元薬事局員の悪事が明るみに出たところですし、不正には厳しくなりそうな流れですよね。帳簿にも不自然な取引の痕跡が残っていたりしたら危ういもので」
テオの、老商人の手がピタリと止まった。
「……薬師ギルド内の小競り合いで誰が何を企んでいるかなんて、我々商人の知ったことではないな。高く買ってくれる相手に売る、それだけのことだ」
(相手は薬師ギルドの一派で内部に火種があるということか)
「荷車は東のオストヴァルに向かったとか。ああ、ご存知ですよね、奇病が出たと言いますし。」
老商人が小さく息を呑んだ。
テオはそのわずかな変化を見逃さず畳み掛ける。
「不思議ですよね、我がエルゼリア王国のグランヴェルの薬師が。この西の交易所でわざわざ強引に買い付けたものが、東のオストヴァルに向かうなんて。いや、私の常識ではさっぱりわからない」
と、言い放ちつつ、テオの頭の中では、これまでに集めた情報と、目の前の取引の偏りが、静かに結びつき始めていた。
「それこそ東の貴族連中の小競り合いなんぞ、我々の知ったことではないわっ」
老商人は錆びた秤の傾いている皿に、大きな分銅を載せる。
ガチャン
音を立てて秤が最大値まで傾く。
弾みで小皿が飛びあがって分銅がこぼれ落ち、再び均衡を失ってガチャガチャと錆びた金属の軋んだ音を立てた。
原因不明の奇病が蔓延し始めている東のオストヴァル公国。
多岐に渡る対策の種を蒔き続けている東の辺境領主・ヴァルター侯爵。
オストヴァル貴族間の小競り合い。
特定のハーブを買い占めてオストヴァル貴族に送りつけているエルゼリア王国の薬師ギルド一派。
そしてペストマスクを被ったオストヴァルの医師一派。
(……見えてきたかもしれない。政治劇の尻尾が)
テオは傾いたままの錆びた秤と転がった分銅を見つめながら、心の中で情報をストーリーとして構築してみる。
エルゼリアの薬師ギルド一派が ヴァルター侯爵の領地で病を流行らせ、薬効のあるハーブの流通を止めて独占する。ヴァルターが為す術もなく疲弊する。最も被害が拡大した絶望の底で、ヴァルター反発貴族たちが独占されたハーブ由来の特効薬を持って救世主のように現れる。 侯爵の統治能力を失墜させ、新たな権力者となる貴族たちに莫大な恩と利権を売りつけるための、薬師ギルド一派によるシナリオとは考えられないか…
それは、関わる人々の生活や自然な経済の循環を真っ向から否定する、誠実な商人が最も嫌うやり方だ。
「……邪魔をした。失礼するよ」
テオは一言だけ低く呟くと、埃っぽい交易所の扉を押し開け、乾いた冷たい風が吹きつける建物の外へと出て行った。
***
一方、建物の外の岩場で待機していたルカとジンの元にも、わずかな動きがあった。
ジンが岩肌からルーペを離し、枯葉のような黄褐色の瞳で交易所の建物の下層へと続く細い裏道に目を向ける。
「テオが表で上手く立ち回ってくれているようだ。あいつが視線を引きつけている間に、こっちも少しばかり裏を覗いてみよう」
ジンはルカの肩を軽く叩き、足音を殺して歩き出した。
二人が人目を避けてこっそりと向かったのは、渓谷の底へ向かってせり出すように作られた『出荷待ちの倉庫』の裏だった。植物の種がどこへ飛んでいくのか、その風の通り道を知り尽くしたシードハンターのジンは、どの位置に立てば倉庫内の匂いが最も濃く漏れ出してくるかを、岩肌の形状と気流から探った。
「ここだ。窓の隙間から、中にある荷物の空気が流れてきている」
ルカは、ジンの分厚いキャンバス地ジャケットの背中に隠れるようにして裏窓に近づき、ずり落ちそうになった銀縁の丸眼鏡を中指でそっと押し上げた。そして、顔を覆っていた生成りの麻のストールを、ほんの少しだけ下へずらす。 無香に洗い上げられた布地の奥から、外の空気を迎え入れる。
(……この匂い。カンファーとクローブ、それにミルラだ)
隙間から漏れ出してくる香りを、ルカは静かに、しかし深く吸い込む。 そこにあったのは、あのペストマスクに残っていた恩師のレシピの原料になるものの匂いだった。 目を閉じ、匂いの層を成分ごとに解体し始めたルカの脳内で、バラバラだった事象のピースが音を立てて組み上がっていく。
前日に持ち帰ったペストマスクの底に仕込まれていた、不自然なほどに調和を欠いた『歪んだ球体』の香り。本来あるべき人間らしい温かなラストノートの欠落。
その意味が、今、ここにある大量のハーブの不均等な匂いと、はっきりと結びついたのだ。
静寂に包まれた隠密の境界線上で、ルカは恩師の技術の深淵に、確かに触れようとしていた。
錆びた秤が傾き、炙り出される政治劇の裏側――。
薬師ギルド一派とオストヴァル反発貴族が仕掛ける、邪悪なシナリオとは?
そして倉庫の裏窓に迫ったルカは、ペストマスクの原料となるハーブの匂いから、恩師の「真実」に触れる。
次回、隠された調香のトリックと、宿での美味しい「チーズ粥」が待つ後編へ!
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