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硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


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第25話:錆びた秤と、過激派の尻尾【前編】

いつもお読みいただきありがとうございます!

馬車が西へと進むにつれ、車窓の風景はなだらかな森から、荒々しく切り立った岩肌の連なりへと姿を変えていった。


西の渓谷。

深い谷の底を這うように続く薄暗い街道の途中に、その目的地はあった。

切り立った岩壁のわずかな隙間にへばりつくようにして建っている、古びた木造の交易所。長年の風雨に晒され、黒々と変色した木材が、周囲の岩肌に同化するようにして身を寄せ合っている。


馬車の重い扉が開き、車外へと降り立った途端、渓谷を吹き抜ける冷たい風が一行の頬を打った。


「これは想像以上に冷たいな…」


ルカは目を開き、少し跳ね気味の亜麻色の髪を風に揺らしながら、その風に乗って運ばれてくる空気を静かに探る。日陰に群生する湿った苔の青々しさ、荷馬車を引く馬たちの微かな獣の匂い、そして各地から持ち込まれた乾燥ハーブの埃っぽい香りが、谷底の冷気の中で複雑に混ざり合っている。

自然の匂いだけならば、ルカの生態にとって心地よいものだったかもしれない。


「…ん…ぐぅ…これはなかなか…ぅぅ」


交易所の入り口付近を行き交う薬種商たちからは、それぞれが胸の内に抱える『油断ならない思惑の匂い』がとめどなく立ち昇っていた。


誰よりも早く良質な薬草を安く買い占めようとする、酸味を帯びた焦り。

情報を隠し持ったまま他者を探り合う、油のように淀んだ思惑……

それらは見えない靄となって、交易所の周囲に重く滞留していた。


ルカは顔を伏せ、麻のストールで眼鏡の下を深く覆い隠した。

それは、留守を預かるリーゼが一切のノイズを取り除き、無香の石鹸で洗い上げてくれた無垢な防具である。ストールの清らかな布地を通して呼吸をすることで、ルカは外の濁った空気を濾過し、なんとか脳の処理落ちを防ぐことができた。


そんなルカの様子を見て、テオとジンがごく自然な動作で一歩前へ出た。

仕立ての良いテーラードジャケットを着込んだテオと、キャンバス地のジャケットを羽織ったジンの広い背中が、行き交う薬種商たちの視線と、彼らが放つ無用なノイズからルカを遮る。


「ルカ。お前はここで、ジンと一緒に待ってろ」


テオが振り返り、誠実な濃紺の瞳を細めて静かに告げた。


「俺が『ランバート商会』の看板を使って、あの中に入ってくる。この辺りで、どこのギルドの連中がどんな動きをしているのか、探ってくるつもりだ。お前は無理に嗅ぎ回るなよ」


「……うん。わかった」


ルカはストール越しに、丸眼鏡を指で押し上げながら静かに頷いた。


「僕はジンの背中の後ろで、静かに呼吸の回数でもを数えていようかな。君たちの馴染んだ匂いの中でなら、まだ脳の処理は追いつくから」


ジンが微妙な顔をしながら自分の肩口に鼻を寄せてクンクン嗅ぎだしたが、自分の匂いはよくわからないらしく、眉を顰める。


テオは静かに目を閉じて、ふぅと息を吐き出した。まさかこんな所で、 自らランバート商会の名を利用しようとする日が来るとは。そして息を吸い込む。静かに瞼を開いたテオは、温室の不器用な相棒の世話を焼く青年の顔から、歴史ある大手商会の若旦那としての、洗練された品格を持つ商人の顔へと、佇まいが変わっていた。 威圧感を与えることなく、しかし決して侮られない確かな隙のなさが、その背筋に宿る。


「じゃあ、行ってくる」


テオは外套の襟を正し、一人で交易所の重い木扉を押し開けた。


残されたルカとジンは、人目を避けるようにして、交易所の建物の陰にある岩場へと身を寄せた。

ジンは周囲の薬種商たちがこちらを気にしていないことを確かめると、岩肌に張り付くように生えている小さなシダの葉にルーペを当て、その生態を観察する素振りを始めた。 それは、シードハンターとしての自然な所作を装うことで、怪しまれずにこの場に留まるための静かな配慮であった。


「……たくましいもんだな」


ジンがルーペから目を離さず、ぽつりとこぼした。


「こんな日当たりの悪い岩場でも、僅かな水分と風の通り道を見つけて、しっかりと根を張っている。……生存戦略を知っている種は、過酷な場所ほど、静かに、確実に育つもんだ」


その言葉は、まるで目の前でたくましく交渉の場へと向かっていったテオの背中を讃えるかのようでもあった。

ルカはジンの横にしゃがみ込み、ストールの中でゆっくりと息を吸い、そして吐き出す。 岩場を撫でる冷たい風の音と、ジンの服から漂う焚き火の残り香を感じながら、ルカは自分の内側にある凪いだ静けさを保つことに意識を集中させていた。


窓越しに見える交易所の薄暗いカウンターには、年季の入った真鍮の天秤や、大小さまざまな分銅が並んでいる。しかし声までは聞こえてこない。


その古い秤がどんな情報を量り出し、どんな陰謀の重みで傾くのか。

冷たい風が吹きすさぶ渓谷の底で、彼らの観察が始まっていた。







荒々しい岩肌が連なる「西の渓谷」へ到着した一行。

薬種商たちの交錯する思惑のノイズに耐えながら、テオは自ら実家の看板を背負い、単身で交易所の中へ!

影で控えるルカとジン。

果たしてテオは、どんな情報を引き出すのか?

次回、テオのスマートな尋問と、裏窓から漏れる「怪しい匂い」に迫る中編へ続きます!


***


最後までお読みいただきありがとうございます!

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明日も更新予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします!

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