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硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


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第22話:行き過ぎた鎧と、微熱のリネン【中編】

いつもお読みいただきありがとうございます!

ハインツが傲慢に一歩踏み込もうとした瞬間。


ジンの横へと、音も立てずに歩み出たのはリーゼだった。

彼女の表情筋は固定されたまま、その佇まいに一切の揺らぎがない。


「……なんだお前。…ん?どこかで見た顔だと思えば……」


ハインツはリーゼの顔をまじまじと見つめ、やがて醜く歪んだ嘲笑を漏らした。


「思い出したぞ。薬事局の資材調達部で、ただ機械のように文字を書き写していただけの女か。役に立たずに弾き出された無能な記録係が、こんな辺境の温室で雇われていたとはな」


ハインツの濁った嘲りが温室に響き渡る。


しかし、リーゼの瞳は揺らがない。

彼女は王都グランヴェルの薬事局という、強欲と欺瞞を監視する部署で、長く業界に蔓延る横暴な振る舞いを記録し続けてきた観測者だ。

監視を行う部署の長を務めながらも、出入りする業者に賄賂を要求し、様々な悪事を働いてきた元上司ハインツ。薬師ギルドに天下りし、処方管理室長に収まった男。

目の前の男の恫喝など、彼女の脳の中ではよくある予測可能なデータの一つに過ぎなかった。


リーゼは濃紺のワンピースの懐から、一冊の古びた記録手帳を取り出した。

そして、ゆっくりとページを繰り、ハインツの濁りきった目を見て口を開いた。


「……ハインツ様。ご機嫌麗しゅうございます」


その声は、いつものフラットで機械的トーンではなかった。 極めて理知的で冷酷、鋭利な刃物のようなトーンだった。


「部屋の隅の記録係として扱っていただいたおかげで、私は皆様の素晴らしい行動の数々を、何一つ見落とすことなくデータとして書き留めることができました」


リーゼの放つ静かな凄みに、ハインツの嘲笑がピタリと止まる。


「〇年〇月。あなたは東の国から仕入れた上質なハーブを、質の悪い廉価な偽物とすり替え、監査結果を捻じ曲げましたね。その差額は金貨三百枚。取引先は、港町の裏手にある――」


「な、貴様……っ! 適当な作り話を!」


ハインツの顔色が、みるみるうちに蒼ざめていく。


「作り話ではありません。帳簿の数字のズレと、納入された資材の重量から導き出された、極めて単純なデータに過ぎません。」


リーゼは淡々と、しかしハインツの退路を完璧に断ち切るように、次々とページをめくっていく。


「〇年〇月。資材調達監察官たるハインツ様、素材ギルドへの不正な水増し請求。同等請求件数7件。〇年〇月。希少生薬の「輸送中事故・破損」の捏造、その他、グランヴェル領備蓄薬の「期限切れ廃棄」偽装など。……これらはすべて、裏帳簿の隠し場所の情報と共に、この手帳にバックアップされています」


リーゼはパタン、と手帳を閉じ、感情の読めない凪いだ瞳で、激しく震えるハインツを見据えた。


「なんの企みで…そんなデータを温存して……」


もはや悪事を認める言葉を吐き出しながら、ハインツの目は血走っていき、リーゼの手からその手帳を奪う隙を狙い始めていた。


「私の薬事局での仕事は、飽くまで『記録』でございましたので」


ヒューと微かな口笛をジンが吹いた。


「この記録の写しは、現在テオ様がお持ちになっております。まもなく始まる調印式にお越しの薬事局長様へ、あるいは既に渡っていると予測されます」


「……なっ!」


「ハインツ様。あなたの薬師ギルド処方管理室長の座は、あと数時間以内で剥奪されるでしょう。……これ以上、この工房で醜態を晒されますか?」


退路を断たれたハインツは、反論の言葉を完全に失った。

顔面を蒼白にし、役職剥奪までの間打てる手がないがブツブツ呟きながら頭を掻きむしりながら、温室から飛び出していった。


扉が閉まり、ハインツの残した過剰な悪臭が、換気システムによって外の冷気へと散っていく。


「……お見事だな、お嬢ちゃん」


ジンが感心したように息を漏らし、再びルーペを手に取った。


「獣を追い払うのに、猟銃はいらねえ。知性ってのは、時にどんな牙より鋭いもんだよな」


リーゼは小さく一礼すると、再び手帳を懐に収めた。

表面上、彼女から漂う『洗い立てのリネン』の匂いは、ハインツの悪臭に汚染されることなく平熱を保っているように見えた。


しかし。

(……違う。この香りの乾燥度合い……あの凄まじい悪意とトラウマを弾き返すための鎧は、リーゼの身体の内に溜まり爆発する熱も、外へ通していないんだ……)


ルカだけは注意深くリーゼから微かに漂う匂いの異変を感知したのだが、やれやれとリビングのソファーに倒れこむと、ハインツの悪事の成分を鼻腔に残したまま、意識を飛ばしていった。







「暴力はいらない。知性こそが鋭い牙」 過去の不正データを突きつけられ、完全敗北で逃げ出すハインツ。 見事な大逆転……

しかし、ルカだけはリーゼの纏う香りの「異常」に気づいていた。

次回、気絶から目覚めた天才調香師が提示する、優しいロジックとは。

後編へ!


***


最後までお読みいただきありがとうございます!

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