↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
66/99

第22話:行き過ぎた鎧と、微熱のリネン【前編】

いつもお読みいただきありがとうございます!

冬の冷気が森の木々から色彩を奪い、世界をモノクロームへと染め上げつつある季節。

しかし、分厚いアーチ状の硝子板に守られた『硝子の庭』の内部は、今日も外界の厳しさとは無縁の安定した空気に満ちていた。


換気システムを担う真鍮の歯車が回り、室内の空気を緩やかに循環させている。壁際に群生する夜行性の苔(エア・モス)が瑞々しい緑の吐息を吐き出し、熱帯の羊歯(シダ)の葉先から滴り落ちる水滴が、テラコッタタイルを静かに濡らす音が等間隔に響く。


無臭の環境を保つ調香室の中では、白衣を纏ったルカが、先日採取してきた『夜鳴きシダ』の抽出液を調べていた。


純水を含ませた柔らかい布で硝子のフラスコを磨く音が、かすかに漏れ聞こえてくる。

香りのピラミッドを底辺から支える『絶対的な杭』としての役割を、ルカは静かに見つめていた。


温室のテーブルでは、シードハンターであるジンが、自らが山から持ち帰った未知の種子の仕分けを行っている。彼は片目にルーペを当て、ピンセットで小さな種子を一つ一つ慎重につまみ上げていた。

ジンのその所作は、熊のような外見からは想像もつかないほど繊細で、植物の生命と種の理に寄り添う誠実なマナーが伴っていた。


そして、作業台では、仕立ての良い濃紺のワンピースを着たリーゼが、背筋をピンと伸ばして事務作業をこなしている。


「……抽出液の第九ロット、温度安定。続いて、資材の在庫確認と帳簿の照合を実行いたします」


彼女から漂う『洗い立てのリネン』の匂いは今日も揺らぎを見せず、万年筆が羊皮紙を滑る音だけが、機械のように正確なリズムを刻み続けていた。


この日、環境管理者であるテオは朝早くから王都グランヴェルへと出かけていた。

『慈愛のヴェール』の生産・流通システムを実稼働させるための、販売元になるランバート商会、製造元となる硝子の庭 調香工房、委託製造を行う工房、各ギルドとの正式な調印式に臨むためである。


テオが不在の温室には、いつもより少しだけ広々とした静寂が横たわっていた。


やがて、ガチャンと重いラッチの音を響かせ、調香室の分厚い硝子扉を押し、白衣の裾を揺らしながらルカが出てきた。ルカはフラスコを作業台の隅に置くと、不意に、温室の片隅にある木製のベンチに目をやった。


「ねぇ、ジン。あのベンチは硬すぎると思わないか」


唐突な問いかけに、ジンはルーペから目を離して首を傾げた。


「ん? まあ、オーク材だからな。頑丈さが取り柄のベンチだよな」


「……テオが帰ったら、クッションを置くように伝えておいてくれないか?」


「お前が使うのか?」


ジンが笑うと、ルカは視線を落とし、静かに首を振った。


「いや。僕の生態には関係ないよ」


ルカの言葉の真意を測りかねてジンが眉をひそめた、その時だった。




玄関扉が、乱暴な力で開け放たれた。

吹き込んできたのは、冬の澄んだ冷気ではない。分厚い外套に悪趣味な宝石をじゃらつかせた男から放たれる、ひどく濁った、吐き気を催すような悪臭だった。


「支配人の小僧は不在だな。ちょうどいい、留守番のガキども。あの香水のレシピを今すぐ寄越せ」


踏み込んできたのは、薬師ギルド・処方管理室長のハインツだった。

テオが独自の流通網を構築しようとしているという偏った情報に焦りを募らせ、その不在を狙ってレシピを脅し取りに来たのだ。


その瞬間、ルカの足取りがふらりと揺れた。

ハインツから放たれているのは、他者を搾取してきた泥水のような匂いと、己の利益が脅かされることへの焦燥が入り混じった、淀みきったノイズだった。


温室の澄んだ生態系を一瞬にして濁らせる、ひどい不協和音。


「……酷い濁りだ。淀んだ泥水の底にいるような……」


ルカは鼻元を白衣の袖で覆う。


「呼吸そのものが塞がれそうだ…」


かつての悪徳地主を上回って余りある不自然で暴力的な悪臭。一体これまでにどんな悪事や謀を重ね、ここまでの悪臭を育てて来たのか。


(……彼がこれまで踏みにじり、搾取してきた者たちの、無念と絶望が発酵したような匂い……ダメだ、情報量が多すぎる……っ)


ルカの鼻と脳が、その粘度の高い成分と情報量の多さで処理落ちを始め、一歩後退ると、その背後でジンがすっと立ち上がった。ジンはピンセットと希少な種子の入った硝子小瓶を安全な懐へ収めると、ルカを庇うようにしてハインツの前に立つ。


「無作法な客だな。ここは植物と香りの理を愛する者の居場所だ。あんたのその腐った泥みたいな匂いは、ひどく場違いだな」


シードハンターとしての静かな怒気が、ハインツを見据える。


しかし、ハインツは傲慢な笑みを浮かべ、強欲に歪んだ顔で言い放った。


「山猿風情が、薬師ギルドの重鎮である私に盾突く気か?」








テオが不在の温室を狙い、強欲な薬師ギルドのハインツが襲来!

搾取と悪意の「悪臭」にルカが倒れ、ジンが立ち塞がる。絶体絶命のピンチ!?

――しかし、この温室には「最も敵に回してはいけない記録係」がいた。

次回、リーゼによる容赦のない逆襲が始まる中編へ続きます!


***


最後までお読みいただきありがとうございます!

もし少しでも「面白い!」「続きが気になる」「お腹が空いた」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマーク】や【☆☆☆☆☆】(星)を押して応援していただけると嬉しいです!

皆様の応援が、ルカとテオの生活費(作者の執筆の励み)に直結します。

明日も更新予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。