第2話:癒やしの花と、青い結晶【中編】
硝子の庭 調香工房で紐解かれていく、依頼人たちの悩みや困りごと。お楽しみいただけたら幸いです。
限界を越えて、なお他人の期待に応えようとする仕立て屋アネットーー。
頑なな防衛本能。
自分を追い詰めることでしか自分の存在意義を見出そうとしない、悲しくもよくある人間の生存戦略におけるエラーだ。
ルカが更なる分析の言葉を紡ごうとしたその時、ふわりとイリスが間に割って入った。
「ルカ、女の子を実験器具みたいに扱うのはやめなさい。……いらっしゃい。重たい荷物を、一人でたくさん背負い続けてきたのよね」
イリスは驚くアネットの肩に優しく手を置き、傍らにある木製のベンチへ腰かける。
珈琲とわずかに甘い香りを漂わせた彼女が、ルカの分析によって張り詰めたアネットの警戒心を少しずつだが解きほぐしていく。
「あのね?自然を旅するシードハンターの知人がよく言っているの」
イリスは、傍らのウコンの葉に触れながら、今は不在の逞しいジンの言葉を、彼女なりの優しく温かいニュアンスに翻訳して語り始めた。
「植物が冬枯れして葉を落とすのは、決して死に向かっているわけじゃない。土の奥深くで静かに根を休ませ、力を蓄える。それは、次の春により美しい花を咲かせるための、立派な『お仕事』なんだって。……ふふっ…ねぇ、人間も、同じじゃないかしら」
「休むことも……仕事……?」
「ええ。あなたは今まで、他人のために休まず花を咲かせ続けてきたのでしょう?でも、植物にも休息をして力を蓄える冬が必要なんだわ。」
イリスの言葉は、説教でも慰めでもなく、生命の摂理としての『休息』を肯定するものだった。
アネットの目から、ふっと怯えの色が消える。
代わりに、限界まで張り詰めていた糸が切れかかったような、痛々しいほどの脆さが顔を出した。
「……処方箋が、見えた気がするよ」
ルカは踵を返し勝手口を出ると、野原とも藪とも言える自称薬草園から、ラベンダーを引きちぎった。
そして、温室の隣にある彼の調香室に向かう。
重厚な硝子扉が閉まると、外へ出て部の音も匂いもすっきりと遮断され、静寂に満ちた無音の世界が訪れる。
ルカは静かに息を吐き、調香台の横の棚の引き出しから、必要な素材を選び出した。
手に取ったのは、黄金色に乾燥したカモミールの花と、先ほど庭で摘んだ深い紫色のラベンダー。
「カマズレンの消炎作用……。擦り切れた神経の炎症を物理的に鎮めるには、科学的なアプローチが必要だ。そして、それに結びつけるべきは、脳の奥に眠る『揺るぎない安心感』の記憶」
乳鉢にハーブを入れ、乳棒でクシャリと揉みほぐす。
かすかな音が響き、植物の細胞壁が破壊されると、内部に秘められた芳香成分が空気に触れて一気に立ち昇り始める。
カモミールの青リンゴのような甘さと、ラベンダーの静謐な清涼感。そこに、土の温もりを感じさせる微量のベチバーを隠し味として滴下する。
調合の最終段階。ビーカーの中で液体が澄んだ青色へと変化していくのを見つめながら、ルカは調香室の静けさの中で、独りごちた。
「――表面を飾る『理想の仕立て屋』という偽りのトップノートが揮発した後に残る、本当のラストノート」
ひんやりとした空間に、ルカの声だけが落ちる。
「誰かのための強さでも、期待に応えるための鎧でもない。ただ自分自身を労わり、無防備な子供に還るための、深い眠りの香りだ」
完成した小瓶を持ち、ルカは硝子扉を開けてベンチの女性のもとへ戻った。無言のまま、小瓶の栓を抜き、彼女の鼻先へとかざす。
ーー張り詰めたアネットの脳をクールダウンさせる、静かな香り。蓋をしていた感情が解き放たれる時、彼女が見つける本当の願いとは。
次回、癒やしの後編へ続きます。
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