最終章
あれから、どれくらいの時間が経ったのか。
正確なことは、もうあまり覚えていない。
ただ、あの頃と同じように朝が来て、
同じように一日が過ぎていくのに、
どこか少しだけ、世界の色が違って見える。
あれ以来、華さんの投稿はピタリと止まった。
私も、あの場所を訪れることをやめていた。
写真が嘘だったことを、受け入れられなかったからじゃない。
あの投稿に、どれだけ自分が縋っていたのかを、思い知らされたから。
私は、何も知らないまま、
一つの側面だけで彼女を見て、
自分の感情をぶつけてしまった。
直接の繋がりなんてなくても、
あんなにも支えてくれていた人に、
私は何ひとつ返せていなかった。
理想を押し付けて、
本当の彼女を見ようともしていなかった。
華さんは、あんなにも寄り添ってくれていたのに、
私は───。
そんなある日。
スマホに、一件の通知が届いた。
「氷野 華さんが投稿しました。」
久しぶりに見る、その名前。
息を止めるようにして、画面を開いた。
そこに映し出された投稿を見て、
私は、言葉を失った。
今までとは明らかに違う、ひとつの写真。
白いシーツに包まれた、細い身体。
機械に繋がれた腕。
あまりにも現実的なその姿に、息を飲む。
添えられていた文章を、
私は、縋るように読み進めた。
───────────────────
突然のご報告となりますが、
氷野 華は、先日、永眠いたしました。
生前は、たくさんの温かい言葉をいただき、
本当にありがとうございました。
華は、生まれた頃から病と向き合いながら、
限られた時間の中で精一杯生きていました。
このアカウントで投稿されていた写真や言葉は、すべて本人が大切に作り上げていたものです。
華がしたいと願うこと。
それらはほとんど、叶えてあげることが出来ませんでした。
それでも、幼い頃から華は、いつも前向きで。
辛い顔を見せるどころか、私たち家族を励ましてくれるような、そんな優しい子でした。
病状が回復し、退院出来るかもしれないといったタイミングは何度かありましたが、
その度に病状が急変し、一度も病室から出たことがありません。
華は、窓の外から季節と時間の移り変わりを眺めることが大好きでした。
そして、本や映画、テレビなどを通して、世界を知ることに、喜びを感じていました。
昨年の夏頃。
病状が悪化し、主治医から余命宣告をされたすぐ後に、華はこのアカウントを開設し、投稿を始めました。
その写真は、いつも私たち家族に、
「こんなこと出来るのすごいでしょ?」と、楽しそうに見せていた、『もしも』の写真でした。
もしも、家族旅行に行ったら。
そんな写真を作ったことをきっかけに、華はいろいろな場所を旅している姿を作っては、投稿するようになりました。
皆様からの温かいお言葉を頂戴するようになってからは、より一層投稿に力を入れ始め、
病が華の身体を蝕み、辛いはずなのに、
華自身の想いを紡ぐことをやめませんでした。
華は、最後まで、誰かの力になりたいと願っていました。
彼女が紡いだ言葉と写真は、すべて本物の想いです。
どうか、華が伝えたかったものを、受け取ってあげてください。
華は、誰かを励まそうと、最後まで自分の世界を作り続けました。
どうか、その想いを忘れないでいてください。
そして、どうか氷野 華がここに存在していたことを、忘れないであげてください。
私たち家族も、華が残したこの小さな世界を、これからも大切にしていきます。
────────────────────
読み終えたあとも、
しばらく画面から目を離すことができなかった。
文字のひとつひとつが、
胸の奥に静かに沈んでいく。
もう、画面の向こうに華さんはいない。
その事実が、
どうしても、うまく受け止めきれなかった。
これまで見てきた華さんと、
今ここにある現実。
そのどちらもが本当で、
でも、どこかで繋がっていることに、
ようやく気づいた気がした。
ぼんやりと画面を見つめていると、
再び、通知が表示された。
「氷野 華さんが投稿しました。」
もう届くはずのない名前からの通知。
指が、自然とその先へと進んでいく。
そこには、
華さん自身が残した、最後の言葉があった。
───────────────────
出逢ってくれた、あなたへ。
私を見つけてくれて、ありがとう。
私が投稿していた写真は、作り物かもしれない。
「嘘だったんだ」と、ショックに思った方も多いかもしれません。
本当に、ごめんなさい。
無理に、受け入れようとしなくて大丈夫。
どうか、あなたの気持ちを尊重してください。
ただ、これだけは伝えたいです。
私が作った写真たちは、どれも私の夢の世界であり、
「もしもこんなことができていたら」という、パラレルワールドを描いたような写真たち。
私のせいで、家族旅行に行くことも叶わなかった家族に、冗談混じりで作ってみせたことがきっかけでした。
あまりにもリアルすぎて、
本当にこの場所に行くことが出来たんじゃないかと錯覚してしまう程、
思い描いていたことを実際にこの目で見ることができたことに、喜びを感じていました。
そんな自分勝手な世界を、
あなたの存在が広げてくれた。
自分や家族のためだけではなく、
あなたのためという目的ができた。
それが、本当に嬉しかったんです。
結果的には、偽りになってしまったけれど。
これが私にできる、最大の表現の方法でした。
そして、全ての投稿に綴った言葉たちは、
あなたへの本物のメッセージです。
ちょっとかっこつけすぎていて、綺麗にまとめすぎている部分もあるけど、
私が、あなたに本当に伝えたかった想いです。
だから。
もし、こんな私でも許してくれるのなら。
私のこの言葉を、少しでも信じてくれるのなら。
辛い時や、背中を押して欲しい時、
またここに遊びに来てください。
私はいつでも、ここで待ってます。
そして、どうか思い出してください。
あなたは、ひとりじゃない。
私が、そばにいるから。
いつも、本当にありがとう。
あなたに出逢えて、幸せです。
───────────────────
読み終えた瞬間、
胸の奥が、音を立てて崩れた気がした。
涙が止まらない。
視界が滲んで、文字が揺れる。
「華さんっ……」
それ以上の言葉が、出てこない。
でも、確かに感じていた。
あの人の声が、ここにあることを。
私はずっと、
華さんの一部分しか見ていなかった。
綺麗な写真も、優しい言葉も、
全部が本当なのに、
全部がそれだけじゃなかった。
でも。
私が救われたのは、
あの世界の綺麗さじゃない。
あの人が、そっと寄り添うように届けてくれた、
言葉だった。
それは、紛れもなく、
華さん自身の想いだった。
それだけで、
もう、十分だった。
気づけば私は、
これまでの投稿を、ひとつずつ見返していた。
「あなたはひとりじゃない」
その言葉が、
静かに、でも確かに、胸に流れ込んでくる。
私は、やっとわかった。
華さんが最後まで願っていたのは、
ただ誰かの心に、
小さな光を灯すことだったんだと。
そして、私もまた、
その光を受け取ったひとりなんだと。
そっとスマホを置き、深く息を吸う。
胸の奥にあった痛みは、
少しずつ、あたたかいものへと変わっていった。
涙は、まだ止まらない。
でもそれは、もう悲しみだけじゃない。
もう、私はひとりじゃない。
華さんは、
今も、ここにいる。
形はなくても、
確かに、この中に生きている。
だから──。
私は、前を向こうと思う。
泣きたいときは、泣けばいい。
立ち止まったっていい。
それでも、
もう一度、歩き出してみようと思う。
あの人が残してくれた言葉を、胸に。
華さんが見たかった世界を、
私が生きていく。
そして、もし。
今、あなたがどこかで立ち止まっているのなら。
どうか、思い出してほしい。
あなたは、ひとりじゃない。
見えなくても、
あなたを想っている誰かがいること。
そして、きっとあなたの中にも、
誰かをそっと照らす光があることを。
暗闇でも、大丈夫。
見上げれば、きっと星はそこにある。
そしていつか、必ず。
朝は来る。
あなたの道を、やさしく照らす光とともに。




