かすかな記憶
その夜。
鏡花探偵事務所の二階、仮眠室。紗香はうなされるように眠っていた。
夢の中——。
ぼんやりとした光の中に、白衣を着た女性が立っていた。
女性はやさしい声で話しかけてくる。
「……紗香。あなたはね、特別な使命を持って生まれたのよ。
この世界には、“ふれてはいけない真実”がある。でも、あなたなら——」
「まって、誰……? あなたは……」
目の前が揺れた。
女性の輪郭が崩れていく。だが、その目だけははっきりと残っていた。
紗香とまったく同じ目だった。
目を覚ましたとき、額には冷たい汗がにじんでいた。
「夢……だったの?」
彼女は枕元にあった古いペンダントを握りしめた。
それは亡き父がいつも大切にしていたもので、裏には母の名前と思われる「R.K.」というイニシャルが刻まれていた。
***
朝。事務所では祐一と早瀬が例の監視者からの脅迫電話について話していた。
「……考えてみれば、妙な点が多すぎる」
早瀬がカップに注いだコーヒーを見つめる。
「紗香が誘拐されなかったのも、命を狙われなかったのも、
やつらが“紗香に何かをさせたい”からだとしたら?」
「何かを、させたい……」
そのとき、階段を下りてきた紗香が言葉を重ねた。
「私、夢を見たの。
たぶん母……だと思う。姿は曖昧だったけど、目は、私と同じだった。
それに……“使命”という言葉を口にしてた」
祐一と早瀬が静かに彼女を見つめた。
「“母が科学者だった”という可能性は?」と祐一。
「父はなぜか、母の話を一度もしてくれなかった。写真もないし、記録もあいまい。
でも、母が“国家の研究”に関わっていたとしたら……今の状況と繋がる気がする」
祐一が立ち上がった。
「一度、柚山家の実家に行こう。紗香の記憶の断片、
何かそこに“鍵”があるかもしれない」
「……うん」
***
その日の午後、三人は東京郊外の古びた屋敷に足を運んだ。
ここが、紗香の幼少期を過ごした家。すでに誰も住んでいないが、今も当時のまま残されている。
廃屋同然の屋敷の奥、地下への階段があった。
「こんな場所……記憶にない」紗香が言う。
階段を降りると、そこは隠された小さな研究室だった。
ホコリをかぶった棚、散らばった書類、そして冷却装置の中で凍結された試験管の数々。
「これは……!」
祐一が棚から取り出したノートには、こう記されていた。
『抗命コードの持ち主は、世界の“命令”を拒絶する唯一の存在。
人類の進化は、すでに彼女の中で一度完結している』
早瀬が呆然と呟いた。
「まるで……“紗香の体そのもの”が、ある種の計画の最終結果だって言ってるみたいだ」
その瞬間、地下室の奥から電子音が鳴った。
モニターに映し出されたのは、一人の人物の映像だった。
それは、紛れもなく——
石化した執事だった。
「――ようやく、たどり着いたか」
モニターの中で、石のような肌の口元がわずかに動いた。
「君たちが動けば動くほど、計画は加速する。
だがそれが“運命”だ。……柚山紗香、“最後の命令”は、君の中にある」




